7/7 お祭り
朝起きて、バイト行って、帰ってきて。
昨日の夜にオオタキから『四時に家行くね』というメールが来ていたので、それまで家でボーっとしていた。主に、オオタキのことを考えながら。むしろそれ以外何も考えていなかった。
バイト中も「なんか心ここにあらずって感じ? 珍しいね」と店長に言われた。その後、家に帰る途中、何も無いとこで転びかけた。どんだけ重く受け止めてんだろう。
あれは全く以て事実なんかじゃない、ただの推察に過ぎないのに。
オオタキが来る前に、シャワーを浴びておくことにした。外に出て汗かいたし。
それで着替えたり髪整えたりとしてる間に四時になって、オオタキが家に来る。まるでいつの間にか、みたいな書き方だけど、ぶっちゃけ二十分くらい前から待っていた。遠足の前日、楽しみで寝れない小学生みたいだ。
「……おぉ」
インターホンが鳴ってから玄関のドアを開けたら、浴衣で綺麗に着飾ったオオタキが立っていた。薄紫色に白い模様の入った花柄の浴衣を着て、髪を綺麗に結っていて。一方顔の方はと言うと斜め下に目線を向けて、口角が微妙に上がっている。何その表情。
「へぇ、なるほどねぇ」
いつものことだけど、今日はより一層じろじろ見つめてしまう。
「まって、すっごい気合入れてるみたいじゃん、やだ」
横に垂らした髪を指先で弄りながら言う。頬がちょっと赤くなる。ざり、と下駄が擦れる音がして、恥ずかしいのかほんの少しだけ足が内側に向く。
「……へ、変じゃない?」
傾けた顔、少し上目遣いになって言う。動作に声、どこに絞って抽出しても多分、可愛さしか残らない。やばい。心の臓のど真ん中を弓矢で射抜かれたみたいに、胸を押さえて膝から崩れ落ちそうになる。
でも実際にそんなことをしたら救急車を呼ばれてしまうので抑えて、咳払いを挟んで。
「似合ってると、思う」
意図して、淡白な返事をした。こんなに可愛らしい生き物がこの世に存在していいのかとか、神様のミスなんじゃないかとか、結婚してくれないかとか口走りそうになったから。
「あ、ありがとう」
オオタキの赤らめた頬の色が、もっと鮮やかになる。それを見て、なんだかこっちも顏やら身体やらがぽかぽかしてくる。なんだこれは。
「じゃ、じゃあ、そろそろ、行こっか」
「う、うん」
ほんとに、なんなのよ、これ。
「しっかし、随分気合い入れてきたよね」
商店街に向かって二人、歩きながら言う。
「面倒じゃなかった? 着付けとかさ」
「や、気合い入れてきたとかじゃ、なくて、お母さんが着てけってうるさかったの、ほんと、ていうか、今も恥ずかしいし、……ちょっと、ねぇ、見すぎ、もう」
手で頬を押されて、顔の向きを無理やり変えられた。あぁ、めっちゃ似合うのに。
写真の一枚くらい、撮らせてほしい。ダメかな。ダメ?
そんな感じでゆるゆると歩いていると、商店街に近づくにつれて周囲を歩く人の数が増えていく。お祭りに来たのは何年ぶりだろうって程度に久しぶりで、なんだか新鮮な気分だった。いつも車が通っている道路が封鎖されていて、あぁ、お祭りっぽい。だなんて漠然と思った。
人が多くて騒がしいのも、今日はあまり不快じゃない。
でも、お祭りって何をして楽しめばいいんだろう。友達と来たことなんて当然一度もないし、最後に来たのはたしか、小学校にすら行ってない頃だ。父親と手を繋いでこの辺りを歩いた記憶がある。多分、早く帰りたいなってことしか考えてなかった。
とりあえず歩いてはいるけど、誰か正解を教えてくれないかしらって思うくらいには、お祭りの楽しみ方がわからない。
アサハラとかフジワラがいたら、あっちだこっちだ、と手を引いてくれそうだ。
こうしてただ歩いているだけでも私は楽しいけど、オオタキもそうとは限らないしな。
二人で来てるなら、二人で楽しまなきゃいけない。
そんな感じのことを口にしてみると「オガワのそういうとこ、好きだなぁ」と笑われた。
っす、すきだなんて、あなた。ちょっと。
なんて動揺するような深い意味は、きっと、無い。
ないから。
「そんなの別に、考えなくていいよ。雰囲気を楽しむものなんだよ、お祭りって」
多分ね、と付け足す。
「なるほど」
さすが、オオタキだ。私よりもそういう経験は豊富らしい。
でもたしかに、こんなこと考えるまでも無かった。友達、多そうだし。
「わたし、たこ焼き食べたいな」
「へぇ。甘いものじゃないんだ」
「あ、あとわたあめも」
「やっぱり甘いものかあ」
オオタキらしい。
地元のお祭りだけあって、すれ違う人すれ違う人に「オガワじゃん! 久しぶり!」と挨拶されて、ごめんなさいあなたの顔覚えてないんですと心の中で思いながら久しぶりぃウフフなんて言葉では返しておく。
あっちに○〇いるよ、と言われても、その名前すら記憶にない。雑にあしらって、今日の私にとってはそんなことよりオオタキだった。
何度かオオタキについて触れられて、その度に「高校の友達」と紹介した。
彼女です! とは言えなかった。当たり前だ。
「オガワ、人気者だね」
わたあめを食べながら、オオタキが言う。私が昔の知り合いに話しかけられているのが面白くないのかな、目は合わせてくれない。かわいいなぁ。
「そんなことないよ。顔知ってれば、話しかけるでしょ。そんだけだよ」
「でもみんな、オガワのこと好きそう」
「えぇ、そう?」
「まぁ、オガワはそういうの、わかんないかもね」
呆れるように会話を打ち切られて、んーあめーとわたあめをまた齧る。そういうのって、どういうのを指していたんだ。皆が話しかけてくるのも、別に私だからって訳じゃないでしょ。こんな経験、オオタキだって身に覚えがあるはずだろう。
それから特に何をしたということも無く、たこ焼き食べたり焼きそばを食べたり、と過ごしている間に空が暗くなり始める。時刻にして七時ごろ。夕暮れ時よりも子供の数が減ったように感じる、ちょっとだけダーティな空気の中で。
「……オガワ? どうかしたの?」
「…………」
オオタキが変な歩き方をしていることに気付いて、ついつい凝視してしまう。
普段から歩幅が狭くてちょっと個性的と言うか特徴的な歩き方ではあるのだけど、それとはどうも違う。びっこを引く、なんて言葉がぴったりだったと思う。
何があったか、今の彼女の格好からして、容易に察しが付くことだった。
「ちょっと、こっちきて」
「あっ」
手を引いて促し、道の端に寄ってオオタキを座らせる。右足の下駄を脱がせれば思った通り、親指と小指の付け根が擦り剝けていた。靴擦れだ。
優しくしたつもりだったけど、脱がせるときに「いっ」なんて漏らしていた。赤く湿った傷跡。提灯の弱い灯りの下でも、痛そうなのがよく分かる。
「言ってくれればよかったのに。いつから?」
「わかんない……ごめん、下駄、慣れなくって」
ううん、謝ることないよ、と彼女に背を向けてしゃがむ。人の往来が激しいここでずっと座りこんでるわけにはいかないし、背負ってあげるから移動しよう、と提案する。
「……え、むりだよむりむり、背ぇ、同じくらいじゃん」
大袈裟に手を振りながら言う。
「いいから。どうせ歩けないでしょ」
「……無理して腰とか、やらないでね?」
「私を何だと思ってんの。おばあちゃんじゃないんだから」
オオタキが腕を私の肩に回して、身体を密着させてくる。その腰の少し下を支えて、持ち上げる。よっこいしょ、ってリアルで言う日がこんなに早く訪れるとは思わなかった。
さっき彼女の言った通り、オオタキは背も高いし、決して軽くは無かった。こういうのって大概、びっくりするくらい軽くて、ってのが定石だと思うんだけど。でも全然、余裕だった。運動部でよかった。これは多分、私より軽いな。
別にそれを期待しておんぶを提案したわけじゃないけど、ね、なんか、胸とか当たるじゃん。浴衣越しでもわかる柔らかさね。あと腰とか脚とか、触れるじゃん。
不可抗力とは言え、ね。こう、滾るものがあったよね。
背負っている間、「ごめん」と何度も何度も耳元で言われた。その度に大丈夫大丈夫、と言ってあげた。もう十分にお祭りは楽しんだし、あとは二人でどこか静かな場所で熱を冷ますのも、悪くない。ちょうどいい場所も、知っていた。
商店街から少し離れた場所にある神社の石段に、ゆっくりとオオタキを下ろす。短時間で太陽も沈み涼しい空気の中とは言え、やっぱり人一人背負って歩くのは結構堪えた。
額を拭うと汗で若干湿っていて、うわ、と思う。
この神社は少し小高い場所に拝殿があり、石段がかなり長い。それでいて造りが古く、長らく整備されていなくてガタガタだから、オオタキを背負ったまま上まで行くのはちょっと危なかった。
夜の虫の声と、お祭りの喧噪が遠くから聞こえてくる。
提灯の数も少なく、それが落ち着いた雰囲気を醸し出してる。
「足、見せて」
実は家を出る時に「これ、一応持ってっときなさい」と母さんに絆創膏を渡されていた。オオタキの浴衣姿を見てすぐにそれを出してくる辺り、気が利く人だなぁなんて思う。ありがとう母さん。おかげで、オオタキの前でカッコつけられた。
擦り剝いた箇所に絆創膏を貼ってあげて、それから彼女の隣に座る。いつだったか、こうしてオオタキの怪我の手当てをしてあげた時があったっけ。
申し訳ないのだと思う。オオタキは、さっきからずっと黙ったままだった。
何も気にしなくていいし、二人きりになれてむしろ私は願ったり叶ったりな状況ではある。
正直に言えば、思うところは、あるけれど。今は、考えないことにする。
「……オガワ。今日、楽しかった?」
隣で膝を抱えて丸まったオオタキが言う。
「うん。すごく楽しかったよ」
ていうか今が一番楽しいっていうか、幸せまである。
「それなら、いいんだけどさ。……なんか、いっつも、迷惑かけてるかもなって。……ダメな彼女だね、わたし。フラれちゃうかも、これじゃあ」
苦笑いしながら、そう溢す。迷惑だなんて、一度も思ったことは無い。
「彼女なら、もっと頼ってくれてもいいんじゃない?」
思い返すとこの言葉、小っ恥ずかしいにもほどがある。
でもオオタキには効いてくれたみたいで。
「…………そっか、うん、そうだね、彼女、だもんね」
へへ、と笑みを漏らす。それから少しだけ明るさを取り戻し、にこ、と微笑んで。
「なんか、元気出た。いつもありがとね、オガワ」
「……こっちも、いつも楽しませてもらってるよ。今日は、ありがとう」
上手くできているかは分からないけど、精一杯、笑顔を返す。放った言葉は勿論、今の状況を冷静に分析して少々照れくさくなり、赤くなる前にとすぐにオオタキから目を逸らす。
「かわいい」
すると隣から、小さくそう聞こえてきて。
「…………あ、や、ちがくて、その、ただ、つい」
すぐに取り繕おうとして、でも、それが逆に変なんだよ、と私に思わせてくる。
「深い意味は、ないから、ほんとに」
右手の甲で口元を隠して、緩く折れた細い指まで赤く染まっている。
斜め下に泳ぐように揺らぐ視線が、焦りを訴えかけてくる。
昨日と、同じだった。
愛くるしくて堪らないはずなのに、それよりも大きな何かが心を侵して主張してくる。
薄い疑念が、質感を持って覆うように私に襲い掛かってくる。
勿論、オオタキと仲を深めることは、嫌じゃない。決して、嫌なんかじゃない。
でも、これは、違う。言葉では示せない違和感が、どんどん大きくなっていく。
だって、私だけが。
私だけが、彼女のことを、好きなはずなのに。
それで、よかったのに。
……何を、書いてるんだろう。
最低じゃないか、私は。
でも、おかしいんだ、明らかに。
人付き合いの経験が浅い私にだって分かるくらい、最近のオオタキは変だ。
薄々思っていたそれが今日、確信に一歩、いや、十歩くらい近づいてしまった。
付き合っているフリをしているだけのはずのオオタキは、まるで。
まるで本当に私のことを、好きみたいなんだ。
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