7/6 祭りの前日

 オオタキは、運動が得意じゃない。

 なんでも腕立て伏せが出来ないらしいし、腹筋も怪しいとか。

 今日、昼休み前の授業は体育だった。そのとき、五十メートル走は何秒? とかシャトルラン何回? だとかド定番のやつを聞いてみたら「覚える必要ないよね、それ」と半分怒ったように不機嫌な答えが返ってきた。ごめんなさい。

 ウチの高校の体育は、男子はそれなりにちゃんとやってるけど、女子はほぼほぼ自由時間みたいなものだった。身体を動かすのが好きな子(アサハラとか)たちはバレーやらバスケやらに興じていて、私とオオタキはというと、いつも端の方で座って喋っている。オオタキは運動が、私は団体行動が苦手だからこうなるのは仕方ないことだ。

 ちなみに私だけは、たまに人数合わせで参加したりする。面倒ではあるけど、身体を動かすこと自体はそこまで嫌いでも無いし。


「……そもそもボールの投げ方が分かんないのに、まっすぐパスなんかできる訳ないじゃん。蹴るなんて、もってのほかだよ」


 オオタキが壁にもたれかかり脚を伸ばして、あーだこーだと球技に難癖をつける。

 ボールの投げ方なんて、持って腕振るだけじゃないのかなって思った。でも、それが出来ないから運動が苦手って言うんだろうなぁ、とか一人で勝手に納得していた。

 オオタキにとって体育の授業と言うのは、動き回るクラスメートを眺めながらこうして私に不満を垂れ流す時間らしい。

 いつの話かはわからないけど、私の知らない誰かに運動が不得意なのを馬鹿にされたのを根に持ってるとか。今日はコンタクトを切らしたのでとメガネをかけていたから、なんだか余計に「そういう子」みたいだった。

 体育座りが似合いすぎだ。


「……今、失礼なこと考えてるでしょ」


 メガネのレンズ越しに、睨んでくる。本人は気に入らないっていつも言っているけど、似合うんだよな。すっごく可愛い。

「まさかぁ、そんなわけないじゃないですか」なんてはぐらかすと、ほんとかよぉと肘で横腹を突いてくる。そのまま横に倒れて、伸ばしてた私の膝に頭を乗っけてきた。これは膝枕をする? される? どっちが正しんだろう。長い髪が肌に当たってくすぐったかった。


「……ねぇ、オガワ」


 膝に乗っかるオオタキの目が私を見上げてきて、その愛らしさが心臓を穿つ。

 平常心を装って返事をした。


「明日さ」

「うん」

「…………」

「……オオタキさん?」


 何かを言いかけて口籠り、私のお腹側を向いていたオオタキの顔がバスケットコート側へ回転する。顔が見えなくなって、あぁ待って待って、となる。

 明日? 明日……何か、あったかな。

 何を言いたかったんだろう、と考えながら、左手でオオタキの髪を撫でる。細い髪が指に馴染むように気持ちがよかった。聞くべきかそうでないかを思案して、先日の出来事を連想してしまう。

 怯えにも似た気持ちが沸き、及び腰になって結局、聞けなかった。


 帰りに歩いた商店街。今日はいつになく賑わっていた。

 明日はお祭りだ。七夕だし。恐らくその準備で、人が多いんだろう。こんな日なら、いつも暇なバイト先も混んでいたりするのかな。いや、お祭りが近いのにそういう話は全然していなかったしな、店長。多分、いつもとほとんど変わんないんだろう。

 でも台風が来ているらしいし、今も若干、天気は悪い。多分、夜は降るだろう。

 そんな天気で、お祭りなんかやるのかな。そういえば去年も台風だったっけ。雷も鳴ってたのに、中止にならなかったのをよく覚えている。そしたら、今年も普通に催されるだろうな。

 まぁどうせ、行かないけど。バイトだし。そもそも無くても、人多いのって好きじゃない。


「……お祭りなんだね、明日」

「そうだね」

「オガワ、行かないの?」

「行かないよ。人混み、苦手だし」


 この町の出身じゃないオオタキが、酒屋さんに貼られていたポスターを見ながら言う。

 市外から人が集まるような大きいお祭りじゃないし、知らないのも当然かも。花火も上がらないしな。そこで大小を判断するのは、少し子供っぽいかもしれない。

 それから駅で別れるまで、どうしてかオオタキは一言も喋らなくなってしまって。私から何か言うことも特になかったので、無言が続いた。ただちらちらと私の顔色を窺っては、たまに目が合ったりして。ちょっとだけ、くすぐったくなる。

 多分、不機嫌な顔ではなかったと思う。

 ……思えば、この時点で、というか。昼休みとか、ひいては昨日とか、一昨日とか、その前から。オオタキ、ちょっと変だったんだよな。今になって思い返せば、気付かないのおかしいでしょって感じなのだけど。

 駅前でじゃあばいばい、また来週ねと手を振って駅とは反対方向へ歩き出したとき。

 後ろから、右手を掴まれた。

 振り返ると、オオタキががっしりと私の手をホールドしていた。


「あの、オガワ」


 手を握ったまま、言い辛そうに歯切れの悪い言葉を並べていく。ここのところ、数えるのも面倒なくらいには互いの手を握ったり握られたりとしている気がして、でも未だ慣れなくて肌がそわそわする。当たり前だ。

 変に意識するなって思えば思うほど、そういった方向へと思考は行き渡る。


「…………あ、あした、さ、お祭り、じゃん」

「……うん。それが? どうしたの?」

「……」


 一緒に行きたかったのかな。推測して、もしもそれが正解だったのなら、こんなに仰々しく引き留めたりする必要なんか無いんじゃないかな、なんて思う。聞いて数秒黙り込んでしまい、駅前の通りで人も多い。ちょっとこの図はどうなのだろうなと思いながらオオタキの返事を待っていると。


「さ…………誘って、ほしいな、とか、なんて」


 ……あぁ、そういう。

 合点がいって、だけど、うーん、となる。普通に、そっちから誘うんじゃダメなのかなとか、客観的に見れば少し冷たいかもしれないことを考える。私なんかに対してなんでそんなことを思ってしまうのか口にしてしまうのかと一瞬だけ考えて、いやいやそんなこと、と気を揉む。

 伏せた目が上を向く気配も、手を離す素振りも無く。私が動かなきゃダメみたいだった。

 幸い、バイトは午前だけ。夕方からならば、行けないことも無かった。


「……えーと、明日のお祭り、一緒に、行きませんか」


 やりづらいながらも、月並みの言葉でお誘いを申し上げてみる。


「…………うん、行く」


 オオタキはまだ顔を伏せたままで、でも声色から何となく、笑ってるだろうなって思った。

 この時のオオタキは可愛かった、いや、可愛すぎる、くらいだったのに。

 なんだろう。何か、変だった。

 オオタキがじゃなく、私が。胸の奥がざわざわして、もはや気持ち悪いくらいで。こんなに愛しいのに、いつものような喜びや嬉しい感じが微塵も無く。

 心臓の奥の奥で、何かが濁ってどろどろ溢れて零れて、じわじわと内臓が侵されているような。オオタキに向けていた想いが、表現しようのない色に染まっていくような。そんな、感覚だった。

 手を握っていたことに気付いて恥ずかしくなったのか、バッ、と過度に仰け反って「ごごごごめん」と言われた。そのまま「じゃ、じゃあ、明日、あの、メールするから、……ばいばい!」と早口でまくし立ててから、小走りで駅に向かってしまう。


「………」


 さっきまでオオタキと繋いでいた手を一瞥して、思う。

 どうして付き合ってる「ふり」でしかないのに、こんなに意識してしまうんだろう。

 彼女と初めて言葉を交わしたとき、可愛いなって思ったとき、この日記を書き始めたとき、モミジさんへの憤りから虚言をまくしたてたとき、そして、今。

 確実に、変わってる。

 オオタキという人間に対する、見方みたいなものが。

 握った手に、まだオオタキの熱が仄かに残っている気がした。それをかき消してしまうくらい、さっきのやり取りを思い出して全身が熱くなる。きっと赤らんでいるであろう顔を、左手で覆う。はぁ、と息を吐く。なんでなんで、と意味のない自問で頭がいっぱいになる。

 ……誘ってほしい。って。

 どうしてああいう言葉が私に向けられてしまうのか、これっぽっちも、理解できない。オオタキは私のことを、なんだと思ってるんだろう。今の関係を、どう思ってるんだろう。

 付き合ってるふり、アピール。

 幼馴染を遠ざけるための、本心からの関係じゃない、形だけの交際。

 私は、そう思っている。いや、言い聞かせている。これ以上深みに落ちてしまうことを避けるがために、意味深なオオタキの行動に振り回されないように。

 そうやって自分に言い聞かせることで、意志を抑えて。

 まさか私は、ずっと、勘違いしてたのかな。一体、いつからなのだろう。考えを巡らせても、それ以上考えるのは良くないと思考停止して頭がぼうっとする。

 きっとすぐ目の前にあるのに、直視できない。

 なんなんだ、もう。

 どうして照れるんだ、オオタキも。私もだ。

 付き合ってるのは、あくまで飾った体面だけ。中身はただの、友達でしかない。

 だから、普通に誘えばいい。手なんか握ったって、照れることなんかない。

 言い聞かせても、火照った頭の熱は引いてくれない。考えたくないのに、考えてしまう。

 もしかしたら、オオタキは、本当に私のことを、なんてそんな、馬鹿なことを。

 違うってば。

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