2 隠した本音は見えなくて

6/27 うざい幼なじみ

 昨晩、眠れなかった。

 そりゃそうだ。この間なんか、夢にオオタキが出てきてちょこっと変なことを言われたってだけで眠れなくなった、繊細な私なんだし。しかもそのオオタキは眠った意識の中での私の妄想でしかなくて、全然、事実とは関係ない。全然。関係ない。ないってば。昨日のだって別に、深い意味なんか無いに決まっている。

 女の子同士で手を繋いで駅前なんか歩いてる子、よく目にするもん。


 電気を消した部屋の中。徐々に暗闇に目が慣れていって、カーテンの隙間から差す月明かりだけで、視界がはっきりする頃。自分に言い聞かせてみても、眠気はやってこなかった。


 冷房をかけているとはいえ夏なのに、頭まで布団を被ってあーでーもーと唸ったり、寝返りを絶えずうち続けたり、脚とか腕をバタバタさせたり、オオタキの言動を振り返って悶えたり、自分はどうするのが正しかったのかなとか考えたり。もう、とにかく忙しい。


 さすがに授業を翌日に控えた夜に一睡もしないわけにはいかないし、もとより夜更かしが得意なタイプでもない。空が明るみ始める頃にようやく眠気の限界が来て、そこで意識を失った。そんな睡眠では、眠ったという表現は適切じゃない。

 お風呂で例えるなら、足首辺りまでしか浸かれなかったくらいの眠りの浅さだ。

 私は目覚ましで起きるといったことは、生まれてこのかた、一度もしたことが無く。

 だからいつも起きる時間に、瞼が開かなかった。


「起きろバカ娘、遅刻するぞ」


 結果、そんな言葉で母親に起こされた。勢いよくカーテンを開けられて、日差しが目に痛かった。焦って飛び起き時計を見ると、急げばまだ間に合いそうな、そこまで絶望的な時間でも無い。ただ、ゆっくりしてもいられない。それくらいの時間だった。


 急いで着替えてから鞄を手に取って「ごめん母さん、朝ごはんいらない」と伝えると「もうあんたのぶんも食ったよ。いってらっしゃい」と言われた。

 母さんは遠慮がない人だ。いい意味でも、悪い意味でも。


 まだ固くて履きなれないローファーで走るのは、想像よりも遥かにしんどかった。くるぶしに靴の縁が食い込んでいるのが、手に取る様にわかる。まぁ、足なんだけど。

 ぱかぱかとリズミカルに靴を鳴らしながら、住宅地を駆け抜ける。

 元陸上部のパフォーマンスを遺憾なく発揮しようにも、こんな足元じゃそれも叶わないし、そもそも誰も見ていない。

 雲一つない梅雨明けの空からは、ぎらぎらと粘つく光が矢みたいに降り注ぐ。朝の空気が湿った熱を持つ。高校の体育はほとんどサボりに近いし、こんなに全力で走るのは本当に久しぶりだ。


 路地を抜けて広い通りに出る。いつもならこの辺りで制服を着た生徒が視界に増えてくるのだが、今日はそれがない。遅刻しそうなことを実感して、焦燥に駆られる。


「あー、もー、くそ」


 誰に向けたら良いか分からない、感嘆符で構成された不満を息継ぎと一緒に外へ漏らす。漏らしながら、脚を忙しく動かす。ローファーは本当に走り辛くて、もう裸足で登校しようかななどと馬鹿なことを想像するくらいだった。

 だけど、この日差しで裸足って。

 焦げるように熱いであろうアスファルトで、足の裏を火傷しそうだなと思う。

 転ばないように気を付けつつ、一段飛ばしで歩道橋を降りる。さっきから激しく揺れている肩提げ鞄が、より一層騒がしく上下した。

 最後まで降りきってすぐに、同じ制服を着た二人組の女子生徒が前を歩いているのに気が付いた。

 その他に生徒はおらず、あの子たちも遅刻しそうなのかな、と思う。

 思いながら、少しだけ走るスピードを落として早歩きと表現するくらいの動きになる。さすがに人の目があるのに猛ダッシュするのもなんか、イヤだったから。ほら私、女の子だし、一応は。一応ってのも変だな。


 脚を緩めると、忘れていた疲れを思い出すように体が重くなって汗が噴き出てくる。はやく帰ってシャワー浴びたい、と学校に到着すらしていないのに帰宅後の予定を組む。

 …………しっかし、前を歩いてる二人組。歩くのが、遅い。


 本当に遅い。

 亀か。


 遅刻しそうな時間だってのに、気楽なもんだなぁ。何をそんなに盛り上がっているのかは分からないけど、遠目にも楽しそうに話しているのが分かる。そのせいで、こっちはもう走っていないと言うのに、すぐに追いついてしまう。

 二人並んで歩いている歩道の左側が丁度空いていたので、そこを通って追い抜いてしまおうか。なんて考えながら近づくと。


「あれ、オガワじゃねーか」

「ほんとだ、おはよう」


 名前を呼ばれて視線を向ければ、さっきまで前を歩いていた二人組は知り合いだった。

 ちなみに、私がいつも早いのではなく、単にこいつらが遅いだけだ。入学したばかりの頃は随分早く来ていたのに、今じゃほとんど毎日遅刻ギリギリに来ているやつらだ。


 オガワじゃんと声をかけてきた方が、アサハラ。

 私よりも少し短いくらいの髪を後ろで緩く纏めた活動的な髪型に、どこか男の子みたいな話し口なのが合わさって、如何にも元気でやんちゃな女子と言った具合の印象を昔から抱かれがちで。そして、実際そう。

 まだ一年生で夏の時期だというのに、もう制服をだらしなく着崩しているし。あっけらかんなアサハラの性格に、これでもかというくらいにぴったりだと思う。

 そういえば、中学でも似たような着こなしで幾度となく教師に注意されて「うるせー!」とか笑いながら廊下を疾走していたっけ。


「アサハラ、シャツくらい入れなさいよ」

「うるさっ。ユキと同じこと言わないでくれよ」


 アサハラの揺れる後ろ髪とだらしなく外へ飛び出たシャツの裾を眺めていると、ついついそんな指摘をしてしまう。

 ちなみに、ユキというのは今アサハラの隣を歩いているやつだ。こいつらは下の名前で呼びあうことで、幼馴染であることを周囲にアピールしている。なんて意図は多分、ないと思う。


「で、今日はどうしたの? 寝坊?」

「まぁ、そんなとこ」

「そかそか。まぁこの時間なら間に合うし、そんな急がなくても大丈夫だよ」


 そう言ってユキ、もといフジワラが、上品な笑みを向けてくる。

 アサハラとは対照的に彼女は制服もきっちり着ていて、態度も口調も落ち着いていて大人っぽい。真っすぐ伸ばした髪のせいもあり「優等生」といった雰囲気を纏っている。

 でも、中身はアサハラと大差ない。あと、胸が大きい。

 二人とも家がこの辺りなので、小学校から続いている付き合いだったりする。中学では部活動も同じで、何かと三人で行動していた記憶がある。


「なんか、喋るの久しぶりだなおい」


 言いながら肩を組んでうりうりと揺すってくる。完全にヤンキーのそれだけど、これはアサハラの癖みたいなものだ。パーソナルスペースって言葉をいつまでも覚えられないらしい。


「そんなことないでしょ、メールもするじゃん」

「だって、返事くれねぇだろ、お前」

「絵文字だけのメールになんて返せばいいんだよ」


 寝る前に力こぶの絵文字だけ送られて、どういう反応するのが正解なのか。


「えぇ。ミオ、オガワにもやってるの、それ」


 呆れるようにフジワラが言う。ミオってのは、アサハラの下の名前だ。漢字で美桜、と書くのだけど、可憐な字面とお世辞にも可憐だなんて言えない中身のギャップがすごい。

 なんて二人の会話に相槌をうちながら歩いていると、間もなく学校に着く。

 校門前で「そろそろ離れろ、バカ」と肩に絡みつくアサハラを剥がす。

 人っこ一人いない昇降口でローファーを脱いでいるとき、チャイムが鳴って「やべっ」と言うと同時に、アサハラとフジワラが走り出した。おい待て、お前ら。

 私、まだ上履き履いてないんだけど。


「フジワラ、さっき間に合うって言ったじゃん!」

「あははははは」


 三人で勢いよく階段を駆け上がって教室の戸を開けると、まだ先生は来ていなかったようでほっとする。二人が他のクラスメートと仲睦まじそうに言葉を交わしながら席に着くのを横目に、黙って自分の席へと向かう。

 寂しいやつだなぁと客観的に自分を評しながら、既に教室にいたオオタキと、目が合う。


「……おはよ」

「…………お、おはよう」


 気まずかった。

 なんだか恥ずかしいような申し訳なさそうな顔で、歯切れ悪く挨拶を返される。

 どうしてかと考えれば、こちらも恥ずかしくなって顔を覆いたくなる。

 別に照れなくていいじゃないか、変なことなんかどこにもないよ。

 そう思いたいのに、オオタキは思わせてくれない。

 意識すると否応なしに色んなものが頭に浮かんでしまって、あぁあ、となる。


 そんなわけで一日中、オオタキの顔を見るたびにあの言葉や手の感触を思い出して、狂いそうだった。あぁでも、そういえば私はもとから狂ってたね。でも、今日に関してはそれ以上だった。彼女と目が合うだけでときめいて死んでいたし、似たようにオオタキも「あっ」だの「あー」だの「えー」だのかわいい反応をするものだから、もう、死ぬじゃん。そんなの。なんなら今日だけで五百回くらい私は死んでいる。これを誇張表現といいます。


 でもさ、よく考えてみて欲しい。開き直るけどさ、あんな可愛い子に手なんか握られて、しかも、顔赤くしてだよ? そんなことされて、平然としてられるやついんの?

 逆に。逆に聞かせてほしい。

 私は、いないと思うなぁ。もしいたら、仏にでもなった方が良いんじゃないかしら。

 小さい頃から気持ちが顔に出ないことで名を馳せている私にしては珍しく、オオタキ曰く今日はかなり様子が変だったらしい。そんなこと、生まれてはじめて言われた気がする。

 こんなに動揺したのも生まれてはじめてだし、当然かもしれない。


 そんな状態でまともに会話できるはずもなく、返事は粗雑になるし内容も記憶できないで。帰り際に「今日のオガワ、冷たかったね」と言われた。なんでこうなっているのか、あなたはわかってないのかしら。あなたのせいなんですよ。


 放課後にバイトがあり、別段面白いことも無く、いつもと変わらず暇だった。

 店長に何か言われるかと期待したが、特に何もなかった。

 思えば朝、アサハラたちと登校したときも何も言われなかったっけ。

 どうやら私は、オオタキの前でだけ変になってしまうらしい。

 日記を書きながら改めて思うと、なんだかすごく、恥ずかしい気がする。


 どうなんだろうなぁ、と思う。

 恥ずかしい。

 恥ずかしいなぁ。

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