6/26 トゲとネコ

 今日も挙動不審だったらどうしようかなと思って学校へ行ったのだけど、今日はちゃんとしていた。通常運転。ただ、朝からずっと右手の中指が気になっているみたいだった。

 話している時も授業中もずっと、摘んだり擦ったりと、弄っていた。


「どうしたの? 中指」


 二時限目と三時限目の間の休み時間に、そう聞いてみた。


「あぁ。今朝ね、猫追いかけて木の柵飛び越えたら、ほら。トゲ刺さっちゃってさ」


 言いながら、右手をパーにして私に見せてきた。目を凝らすとなるほど、中指に黒く小さな線のようなものが見えた。その周りが腫れたように赤くなっていて、抜くのに悪戦苦闘したのがよくわかった。


「あら。痛い?」

「んー、痛いって言うか、かゆい」

「ちょっと手、貸してごらん」


 オオタキの手を触りたいというのが本音だけど、少しだけトゲが抜けるかどうか、試させてもらうことにした。

 差し出された右手首を緩く握り、いやあんた手首も指も、細っ、肌白っ柔らかっ、やば、などと思いながら親指と人差し指の爪を使い、トゲと格闘する。


「いた、いたた、痛いよオガワ」

「ごめんね、ごめんごめん」

「謝るならその手を離してくれぇ」

「あはは、ごめんごめん、本当にごめん」

「いたぁい、いたい」


 今日は爪長いから、抜けそうなんだ。あと、その苦痛の呻きがね、そのね、え、えっちだからさ、へへ。もっと言っててくれないかな。

 なんて少しの間いじくってみると、割とあっさり抜けた。ただ、そのトゲがなかなか深く突き刺さってたようで、すぐにぷっくりと丸く血の玉が指先に膨らむ。

 それを見たオオタキが「あちゃー」と言いながら、中指を口に含んだ。それ、実際にやってる人初めて見たかも。ついでに、私の指も舐めてくれないかしら。冗談だけど。


 中指を咥えているのを見られたくなかったのか、左手で口元を隠う。その下から、もごもごと籠ったオオタキの声が聞こえてくる。


「今、オガワに中指立ててるみたい」

「そんなに怒るほど痛かったの?」

「いや結構痛かったよ。いじわるなんだから」

「はは、ごめんごめん」


 雑に謝りながら鞄の中を探ると絆創膏があったので、中指(ティッシュで拭いた後)に貼ってあげた。


「助かっちゃうなぁ。女子力だねぇ」

「高いとか低いとかじゃないんだ」


 その後の授業中に何の気なしにオオタキを見ていると、もうトゲは抜けたのにも関わらず、絆創膏を貼った中指を気にしているように見えた。後ろからだと表情は見えなくて、気持ちを汲み取れない。

 貼り方、悪かったかしら。もしくは、まだちょっと痛むとか。

 聞きたいような気もしたけど、それで「うん、最低だった」とか言われたら二か月くらいは塞ぎこんでしまうと思う。寝込むと思う。立ち直れないと思う。

 ので、黙って見ていることにした。


 昼休み、二人でご飯を食べているときに「あっそうだ。これ、今朝見た猫」と携帯の画面を私に向けてきて、そこには猫が収められていたらしいけど、ブレブレで何が写っているのか全く分からなかった。オオタキが走りながらカメラを構える姿を想像して、笑いそうになる。

 というか、猫よりもそれを追いかけてるオオタキの方が見たい。

 高校生にもなって登校中になにをやってんだ、全く。かわいいんだから。


「オガワって猫派? 犬派?」

「犬かな」


 実際、飼ってるし。

 ツヨシの寝てる格好を頭に浮かべながら、そう答える。


「わたしはね、どっちも派」

「そんなのありかよ」


 それなら私はオオタキ派なんですけども。

 そんな他愛ない会話をしながら二人、昼休みを過ごす。いつもと何ら変わらない、穏やかな時間。でも、今日はちょっと違った。

 少しして「飲み物、買いに行くぞ!」と席を立ちあがると同時にオオタキに腕をガッシ! と掴まれた。だからね、そういうのちゃんと予告してくれないとね。心臓止まって死ぬから。

 廊下に出て階段を降りて、昇降口横の購買に向かう。教室と違って廊下は蒸し暑く、だけどオオタキに掴まれている右手首の方が熱い。誰もいないからよかったけど、周りからはどう見えるのかなとか、そんなことを考えたりした。


 昼休み終わり際の購買には誰もおらず、おばちゃんも既に奥へ引っ込んでいた。オオタキが「おばちゃん、いちごオレ二つちょうだい!」なんて少し大きな声で言うと人当たりの良い柔らかな笑顔がハイハイと言いながら表へ出てくる。

 君、選ぶもんまで可愛いじゃないか、どこまで行けば満足するんだよ。勘弁してくれ。

 それでオオタキさん、二つも飲むんですね。欲張りさんめ。まぁ紙パックって小さいし、一つじゃ足りない気持ちも、わからないでもないかも。なんて思っていたら、小銭と交換した二本の紙パックの片割れを私に差し出してきた。


「なに、くれるの?」

「トゲぬいてくれたのと、絆創膏のお礼」


 躊躇わずにありがたく受け取り、ストローを挿して口をつける。

 程よい甘さにすっきりした後味の清涼感を味わいながら、空き箱を持ち帰るかどうかを悩んだりした。だってほら、オオタキが買ってくれたものだしさ……。

 いちごオレを啜りながら、並んで階段を登る。二階と、三階の中間。踊り場でお喋りに興じている数名の男子生徒がいた。上履きの色からして、私たちと同じ一年であることがわかった。

 避けるように横を通り過ぎようとするとその中の一人と目が合い、直ぐに、その視線は私ではなくオオタキに向けられたものだと悟る。


 彼の顔は記憶にないとばかり思っていたが、実際に目にすると存外、はっきりと認識できた。何となく見覚えのある、垢抜けた雰囲気の爽やかな表情。

 件の、幼馴染君だった。


「リコ、昨日。なんかあったの? 返信、くれなかったじゃん」


 談笑を中断して、当然みたいに近づいてくる。私のこともご友人もお構いなしで、まるでオオタキと自分以外はいないものみたいな振る舞いだなと、彼に対しそんな身勝手な印象を抱いてしまう。


「きのうは、」

「中指。どうしたの、これ」


 オオタキの言葉を遮るように、袖を捲って露わになっている真っ白な細い右手首を掴んだ。おい、と口を挟みそうになったけど、堪えた。

 緩慢で優しい動作に見えて、だけど決して離さないような強引さも窺える。幼馴染君が指摘したのは、今朝のトゲの傷だった。私が手当て(?)した場所だ。

 私は二人の関係なんか知らないけど、その様子を目にして、何となく、苛立つ。好ましい相手が好ましくない相手と仲睦まじそうにしてたら、誰だってこうなるだろう。

 正当化するみたいに棚に上げて、目の周りが引きつりそうになった。そして自分勝手なのは私も同じだと自覚して、良くないなとその様子を黙って見守ることにする。


「あ」


 手を掴まれたオオタキはびっくりしてしまったようで、左手に持っていた紙パックを床に落としてしまった。

 それがどういう感情に伴う驚きなのかは分からなくて、やきもきする。あっ、と私が反応するのとほぼ同時に、幼馴染君の腕がすっと伸びて、それを拾って。


「ごめん、これ……新しいの、買ってこようか?」

「あ、や、ううん、だいじょぶ、だけど」


 言い淀みながら、受け取る。まだ右手は、掴まれたままだった。至って紳士的な、気遣いのできる言動。それが余計に、癇に障る。

 苛立ちが募って、とっくに中身のなくなったいちごオレのストローに、私の噛んだ歯形が増えていく。


「いつ? 怪我したの? ちゃんと消毒した? 綺麗な手なのに。痕でも残ったら、困るじゃない。あ、そうだ。そうそう。昨日のメールなんだけどさ、今日の放課後。予定はある? どうかな。メールでは言わなかったけどさ、見たい映画があるんだ。こっちのモールじゃやってないから、一旦家帰ってさ、それで」

「え、えっと」

「うん? どうしたの? 予定、あった? それなら、リコの都合いい日でもいいよ、うん。あぁ、テスト期間なんかどうかな。ほら、早く帰れるしさ、その後は家で勉強して。中学生のときみたいにさ」


 オオタキの返事も待たず、矢継ぎ早にまくしたてていた。強引だ、やっぱり。

 どうしてか言葉に詰まって、口籠るオオタキ。

 黙って見ている数名の男子生徒。

 ストローを齧る私。

 奥歯で噛んで、平らになったら百八十度回転させてその直線に対し直角に噛む。それを繰り返す。品が無いなって今なら思えるけど、その時の私に、そんな余裕はなかった。

 よっぽどのことが無ければ他人に嫌悪なんか抱かない自覚があるのだけど、やっぱりオオタキが関わると私は私でなくなっていくような気がする。こんな思いに行きつくこと自体が初めてで、未知なことがまた憤りを加速させる。

 要するに、イライラしていた。

 名も知らぬ幼馴染君に対しては勿論、自分に対しても。

 そして、どんな気持ちを抱えているのか、はっきり言葉で示さないオオタキに対しても。


「……ぁ、あのさ」


 オオタキが顔を伏せたまま、何かを言いかける。その表情は、この前の雨の日と同じ。見えないけれど、その気持ちは悟れないけれど。そんなこと関係ない。

 あのとき伸ばせなかった手を、今日は。

 一際強くストローを噛んだ後、一歩踏み出してオオタキと幼馴染君の間に割って入る。

 目を丸くしたオオタキを一瞥してから、白い手首を奪い取る。少し、力が強かったかも。

 それからできるだけ無表情を装って、冷めた声で幼馴染君に言葉をかける。上手くできている自信はないけど、そうして、憤りを隠そうとする。


「あの。今日、私が遊ぶので。オオタキと。……もう、いいですか。暑いし、教室戻りたいんですけど」


 思いのほか声のトーンが低くなってしまって、でも喉を整えるのに咳払いするのも格好がつかないし、と勢いで押し切る。

 ちなみに、遊ぶ予定はない。今、私が決めた。この時オオタキは、どんな顔をしていたんだろう。『えっ……なにこの女、勝手に遊ぶことにしてんの……こわ……』って顔じゃないことを願うばかりだ。

 幼馴染君の目の奥を見据えるみたいに、逸らさないで見つめる。隣でストローを齧ってた女がいきなり喋りだして、驚いているみたいだった。数秒黙って考える様子を見せた後、一歩退いて「そう」と吐き捨てるように呟いた。

 一瞬、すっと目が細くなって、睨まれたように感じて。

 え、怖、と思いながら、こちらも表情は崩さずに視線をぶつけ合う。

 そうしてすぐに柔らかな表情に戻ったかと思えば、オオタキに向き直る。


「…………それは、ごめんね。呼び止めちゃって。リコ、暇なとき教えてね。いつでもいいから」


 無言でオオタキが頷く。よし、終わりか? 終わりだな。

 一人で自己完結してから「いこ、オオタキ」と腕を軽く引いて階段を登る。


「う、うん」


 私には、ちゃんと口に出して返事をくれた。

 些細なことだけど、嬉しかった。

 

 掴んだ彼女の手を離さないまま、階段を登る。廊下を歩く。教室から漏れる昼休みの喧噪がいやに耳に入ってきて、つまるところ、お互いに無言だった。沈黙の中に色んな想いが渦巻いていて、だけど私の思うところは変わらない。


「ごめん。勝手だったよね」


 冷静になると、随分恥ずかしいことをしてしまった。自己嫌悪めいた反省を覚える。

 オオタキの気持ちも推し量らないままで、情動に任せて口走ったこと。浅い考えだった。そもそも彼の前で口籠って何も言えなくなるのだって、その理由が好意から生まれる緊張とか恥じらいだったかもしれないわけで。そうであってほしくないとは願っているけど、そこに私の気持ちを正当化できる理由は生まれない。

 所詮、ただのクラスメートに過ぎないのに。出過ぎたことだった。

 誰でも、同じことを思うだろう。

 苛立ちが冷めて自分の行動を鑑みると、謝らずにはいられなかった。

 私の少し後ろを歩く、オオタキに振り返る。そこで未だ手を握ったままでいることに気付き、慌てて離した。


「あ、あぁ、もう、ごめん、ほんと」


 なんか今日の私は、ダメだ。やること成すこと全部が裏目に出るというか、オオタキにはカッコいい人って思われていたいのに、その真逆のことをしてしまっている。

 なんとも言えない気まずい空気に耐えかねて、「昼休み終わっちゃうよ、早くもどろ」と踵を返して、オオタキを背に教室に戻ろうとする。

 そのとき。

 突然だった。何が起きたのかは理解できたけど、そこで思考が停止する。


「…………」


 思わず、立ち止まる。

 オオタキが、私の。

 今度は、手首でも、腕でもなく、手のひらを。


「教室まで、さ」


 ほんの少しだけ赤らんだ顔で、蕾が綻ぶみたいに、優しく笑って。

 それから握る手にきゅっ、と少しだけ力が篭もったのが伝わってきて。暖かいなって思っていたそれが、明らかな熱に変わって。身体の芯まで火照るようで。言葉も行動も、その何もかもを自分に都合よく解釈して、それ以外の答えを考えられなくなって、ダメだダメだダメダメって思えば思うほど、そうとしか思えなくなって。考えられなくなって。

 オオタキの手の感触は、正直、慣れていた。柔らかくて、いかにも女の子と言った具合の手。細い指に綺麗な形の爪。こうして触れあうことは初めてじゃないし、だから、そこまで動転する理由なんか、どこにも無い。そのはずなのに。


「…………」


 声が出なくなって、ただ、かぁっ、と体温が上がっていく。

 繋いだ手が熱いのは果たして、どっちの熱かな。とか、漫画みたいなことを考えてしまう。

 赤くなっているであろう顔を見られないように、少しだけ早歩きする。

 隣に並ばれでもしたら、どうにかなってしまいそうだった。

 同時に、つん、と心臓の奥の方。

 喉の真下で、針を刺すような、そんな尖った感覚があった。

 そのとき感じたそれが、今でもずっと続いている。

 痛みにも似た刺激、だけどそれすら愛しくて胸の内にでも抱き留めたくなるような、そんな想いがある。鋭くて冷たくて、でもどこか温かさもあるような気がして、はっきり言葉で形容できない、そんな気持ちが。オオタキと出会って言葉を重ねて、そこに積み重なっていく関係とか。どうしたって届かないって、叶わないってわかっているのに、心のどこかで求めてしまっているような。上手くまとまらなくて、自分のことを自分で認めたくなくて、終わりまで知りたくなくて。まどろっこしくて、もどかしい。でも、それでいい。むしろそうじゃなきゃならない。分かってはいけないような気がする。


 言い聞かせるように綴っているけれど、それでも、思うところは、そりゃ、少しくらい。

 自分しか読まないんだ、どうせ。少しくらいなら。


 もし、もしも。

 私が。私が、男に生まれてたならって。

 こうして手を繋いで歩いていたって、不自然じゃないんだろうなって。

 オオタキと私が付き合ったって、誰も、変には思わないんだろうなって。

 あの幼馴染に対して抱く憎悪も、別に、憚られることじゃなくなるんだろうなって。


 もしもこの気持ちが、独りよがりじゃなかったのなら。

 互いに、向けて向けられるものだったのなら、私は、きっと、


 いや。

 よくない、こんな考えは。

 やめよう。

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