6/19 セーター泥棒
暑かった。それに尽きる。
今はお風呂上り。クーラーの温度をいつもより二度ほど下げて、その風を浴びながら日記を書いている。風邪を引いたらどうしようなんて思いつつ、とりあえず二日続けて書くことができたことを自己評価する。偉いぞオガワ。
とにかく、今日は本当に暑かった。昨日の涼しさが嘘みたいだった。刺すような日差しが、容赦なくかんかんと地面を焼いていた。ついでに、私の髪や肌も。
染めずに黒いままの私の髪は、日光と随分仲がよろしいみたいだった。迷惑な話だ。
玄関を出てすぐに、うへぇと変な声が出そうになった。日焼け止め塗るべきだった。
明日からまた雨が続くと今朝のニュースで言っていたけど、これなら雨が降ってくれた方がましかもしれない。昨日の身震いした感覚を思い起こしつつ、学校へ向かう。
我が家から学校へは、歩いて十五分ほどで到着する。住宅地を抜けて駅前の商店街の脇道を通り、そのまままっすぐ歩くと高校がある。
そんなたった十五分の道のりでも、この気温。
他人に比べるとあまり汗はかかない方なのだけど、それでも校門をくぐる頃には服と肌の間には不快な湿っぽさを感じた。
やっとついたぁ、と思いながら上履きに履き替えて、階段を登る。一年生の教室は三階にあるので、毎朝のこれも中々に効く。まだ六月だというのに、夏休みが恋しくなった。
オオタキは電車で学校に来ているので、いつも私より先に教室に到着している。
今日もそれは同じで、引き戸を開けて涼しい空気にはぁ生き返るぅ、なんて漫画みたいな感想を抱くとオオタキが「おはよう~」と手を振ってきた。
その可愛さに朝からぶっ倒れそうになるのを気合いで耐えて、後ろ手に引き戸を閉めて席に着く。
「今朝はポッキーですか」
「そうです」
オオタキは毎朝、何かしらのお菓子をつまんでいる。グミだったりクッキーだったりと日によって違うのだけど、何となくチョコ系統のものが多いような気がする。なんでも甘いものに目が無くて、昼食をコンビニで買う時についつい手が出てしまうのだとか。かわいい。
そして、今朝はポッキーをかじっていた。
「欲しい?」
「え? いや、別に……あぁうん。ほしいかも」
オオタキと違って甘いものが特別好きという訳でもなく、いやしかし彼女から何かもらえるのにそれを拒否なんかできる訳ないでしょバカか私は。と考えて、言い直した。
「それじゃあ、一本あげましょう」
「ありがとうございます」
手を伸ばして差し出されたポッキーを受け取ろうとする。と。
「ちょっと溶けてるから、はい、あーん」
「ウッ」
「うっじゃないよ、口開けてほら」
ほらほら、と指先に摘んだポッキーを私に向けてゆらゆら振ってくる。予想してなかったアタックに、卒倒しそうになる。こういうことをするなら、遅くても二週間くらい前からお知らせしてほしい。心臓発作で倒れちゃうから、前もって救急車を呼んでおかないとでしょ。もう。
オオタキの指ごと咥えそうになるのを理性で抑えつつ、差し出されたポッキーを口で受け取る。言う通りに若干チョコが溶けていて、口当たりがもにょっとした。表面のチョコが唾液で溶けたあと、ビスケットの香ばしい生地を歯で砕く。もったりと口に残るような、ねばっこい甘さが口の中に広がった。そうやって一本を味わっている間に、オオタキは三本食べ終わっていた。
「どう?」
「どうって、まぁ、甘かった、です?」
「なんで疑問形なのさ」
感想を求められるとは思わなくて、なんだかよく分からない返答をしてしまう。他愛ないことを話しながらふとオオタキを顔を見ると、口の周りに溶けたチョコがついていることに気が付いた。
オイオイ、舐め取っちゃうぞという言葉を飲み込んで、やんわりと指摘したら「えっ」と小さく漏らしてから袖で拭こうとする。
その時に気付いたけど、待ってそれ、私のセーターじゃないか。なんで今着てるんだよ。
止めようとすると「ホントに拭くと思った?」とニヤニヤしながら懐から取り出した黄色のハンカチで口元を拭っていた。チクショー、騙されたなぁ! という気持ちよりも、かわいいなぁもう! が先行して、どうでも良くなる。かわいいなぁ、もう! いっそセーターで拭いてもいいよ。
チョコを拭いたハンカチを仕舞ってから「てか、今日暑いよね。なんでわたしセーターなんか着てるんだろ」と言いながら、袖を伸ばして腕を引っ込める。ね。こんなに暑いのにね。私もさっき、疑問に思ったもん。
教室の中は外に比べたら幾分涼しかったけど、まだ冷房が効き始めて間もないので上着を着るにはちょっと暑かったみたいだ。
脱いでから頭を緩く振って長い髪を整えようとする仕草が、愛らしかった。
畳んでからはい、と渡してくる。
「昨日はごめんね、ちゃんと洗濯したから」
「なんだ。結局したんだ。別に、そのままでよかったのに」
匂い、嗅ぐし。
「てか、今着てたじゃないですか、オオタキさん」
「まぁそれはそれこれはこれで」
「なにそれ」
昨晩のメールでは洗濯じゃなくて選択をしていたことには、特に触れないで。
セーターを受け取り、何となく鼻に近づけてみる。
それを見たオオタキが一瞬「あっ」という顔をしたかと思うと、
「えっち」
「どこがよ」
謎の指摘をされてしまった。言い方が可愛かったので、もう一度言って欲しい。
返されたセーターからは、私の家で使っているのとは違う甘い柔軟剤の香りがした。意識したことはなかったけど、結構違う。女の子みたいな匂いだった。
そんな私の様子を怪訝に思ったのか。
「……もしかして匂い、きつかった?」
少し申し訳なさそうにオオタキが言った。全くもってそんなことはないし、仮にそうだとして「うん」って言える人、いるのかな。こんな可愛い子に。いる訳ないよな。
考えながら、すぐに否定する。
「いやいや。他人んちの匂いがするなぁって。そんだけ」
オオタキの匂いがする、と悩んで結局、無難な方を選んだ。
昼休みは、いつも二人で過ごす。オオタキが椅子を回して、後ろの私の席に二人分の食事を広げて。私はお弁当、オオタキはコンビニだ。おにぎりとサラダチキンをよく食べているような気がする。
私もつい二週間くらい前までコンビニだったが、最近弁当を持ってくるようになった。家で作ったものじゃないけど。
親は面倒だって言って作ってくれないし、私だってそんな手間をかけるならコンビニで済ませると思う。じゃあ何故と言うと、バイト先の店長が作って毎朝渡してくれるのだ。
『え、お昼コンビニなの? 朝、お店寄れるなら作っておいてあげようか?』と、娘のついでだなんて言ってたけど、あの人は本当に優しい。美人だし。
ちなみに、私がバイトをしてる理由は、暇だからだ。私の趣味は読書とオオタキしかない(始めた当時はオオタキとまだ話していなかったので、実質読書だけだった)ので、とにかく休みの日や放課後にすることが無い。部活動も中学校で十分すぎるくらい楽しんだし、恋愛だ何だってのも、いまいち興味がない。私にはオオタキがいるもん。
そんな退屈な時間でお金がもらえるならば、と土日と平日の夕方に、商店街の喫茶店でアルバイトをしている。まぁ、どうでもいいな。
……私の日記なのに、私自身のことを書くのがどうでもいいって、なにか変な気がしないでもないな。
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