6/20 雨の日

 三日目にして、日記の書き出しが大体天気のことになりそうな気がしてきた。

 今日は予報通り、朝から雨が降っていた。粒の細かい霧みたいな雨で、傘を差していてもあまり意味のない感じだった。素直に地面に落下せずに傘の下を通り抜けて、服や髪やらを湿らせてくる。

 昨日の暑さで雨の方がマシだなんて書いた記憶があるけど、うん。

 私、雨嫌いですね。

 こんな中で傘も差さず自転車で疾走する生徒を見ると、勇敢と言うか無謀と言うか、すごいなぁと思う。合羽くらい買えばいいのにね。風邪ひいちゃいますよ。


 湿度がかなり高めの教室に到着すると、なぜかオオタキが上だけ体操服だった。下は普通にスカートで、可愛いけど、なんだかアンバランスだ。

 おはよう、どうしたの、と聞く。


「おはよ。いやぁ、来るときに降られちゃってさぁ。濡れてスッケスケだったから、脱いだの」


 ナニッ! 濡れて、スッケスケですって!? と身を乗り出しそうになるのを我慢する。


「傘は? 忘れちゃったの?」

「折り畳み傘、壊れてた」

「あらら」


 それは朝から災難でしたね。ところで、濡れた服着てこっそりその姿見せてもらえないかなぁ。あと、写真も撮りたい。携帯の壁紙にしたい。

 オオタキの長い髪が濡れて、おでこに張り付いたりしてた。触らなくてもわかるくらい、びしょびしょだ。オオタキに風邪を引かれては困る。学校に来る意味がなくなってしまうし。

 それは言いすぎなんだけど。


「オオタキ、これ使いなよ」


 鞄から持ってきたタオルを引っ張り出して、濡れたオオタキの頭に被せてやる。


「え、ありがたいけど……オガワはいいの? 濡れてるでしょ?」

「いいのいいの」

「でも」


 そうやって渋るので、半ば無理やり拭いてあげた。がっしがっしと。飼い犬をお風呂に入れてから、暴れるのを抑えて拭いてあげるのと似てるなぁと思った。

 あれに比べればオオタキは大人しいし、獣の臭いもしない。むしろ甘い香りがする。選択してもらった時に嗅いだ柔軟剤とはまた違う、石鹸のような香りだ。


「ごめんねぇ」


 タオルの下から謝られて、タオルの上からまた「いいのいいの」と返事をした。

 濡れオオタキが湿りオオタキになったくらいの頃。教室の入り口に立っていたクラスメートのなんとかさんが「オオタキちゃーん」と声を出した。

 他のクラスから、お客さんが来ていたみたいだった。


「ごめんね、ちょっと行ってくる」


 とことこ去るオオタキの背中を目で追うと、廊下には他のクラスの男子生徒がいた。オオタキを呼んでいたのはアイツか? と敵視めいた気持ちを抱きつつ、何となくその様子を目立たない程度に見つめる。

 あまりに凝視すると、気持ち悪いし。横目にちらちら覗く感じだ。

 オオタキの方は背中しか見えないので表情は窺えないけど、少なくとも男子生徒は楽しそうに見えた。そりゃそうだ、あんなに可愛い子と向き合ってお喋りするのに、気分が上がらない人類なんていてたまるか。もしあれで退屈そうな表情をしていたなら、私は怒鳴って乱入していたかもしれない。

 しかし、二人はなんの話をしてるんだろう。

 というかその前に、どういう関係なのだろう。

 まさかとは思うけど、かっ、彼氏とかじゃあ……うぅん、絶対に、絶対にありえない、とは言い切れないよな……。オオタキ、あんなに可愛いわけだし、彼氏の一人や二人くらい、いたってなんらおかしくない。いや、二人いるのは変か。変だな。チョウチンアンコウじゃあるまいし。あ、それは一匹のメスに複数のオスが集まるんだから、逆か。


 さっきから何を書いてるんだろうか、私は。

 そんな感じで、色々推察して焦燥に駆られつつ、オオタキと謎の男子生徒のやりとりが終了するのを悶々としながら待つ。

 二分か三分、体感では十分くらい待ったような気がしたが、男子生徒が「またね」なんて具合で手を振りながら廊下を歩いていくのを見送ると、オオタキが席に戻ってくる。


「おかえり」

「うん」


 腰を下ろすオオタキはなんだかイマイチ楽しそうな表情には見えず、むしろ、若干曇りを帯びているなんて表現しても差し支えなかったと思う。苦笑いに似た、曖昧な顔色。

 あんまり、明るいお話じゃなかったのかな。想像してから、さっきまで気になっていたことを整理する。


「……オオタキ、彼氏いたんだね」


 自然に聞けた気がした。

 本音を書くなら、否定されるのを期待していた。意地悪な聞き方だって自覚はあった。

 それを聞いたオオタキが、どこか申しわけなさを含んだみたいな薄い笑みを浮かべた。


「彼氏だなんて、そんなんじゃないよ。ただの幼馴染だから」


 聞かれるのに慣れてるみたいな、そんな答え方だったように感じた。この話はあまりしたくないのだろうなって、態度で察した。なんでなのかまでは、分からなかった。

 推測とはいえ触れるべきでないと思うことに、それ以上何か聞くのも野暮だろう。


「そっか」

「うん」


 続かない会話を打ち切るみたいに、何となく窓の外を見てみる。風景画の上から灰色の水彩絵の具をまんべんなく塗ったような、どんよりした湿っぽい景色が視界を埋めた。

 明日は、晴れてくれるかな。

 天気も、オオタキの気持ちも。

 自分の力じゃどうにもならないのは、どちらも同じことだった。

 ……なんか今の一文、ちょっと小説っぽいかも。


 折り畳み傘が壊れているのだと、朝オオタキが言っていたのを思い出した、放課後のホームルームで。テストがそれなりに近いし、今のうちからちょっとくらい勉強しとこう。なんて考えから、無作為に選んだ科目の教科書やらノートやらを鞄に詰め込んでいるとき。


「そういえばオオタキ、帰り、どうするの?」


 未だしとしとと雨の降り続く外を指差して、聞いてみる。


「どうしよう」


 答えは定まっていないようだった。


「バスか、濡れてくか……あとは、私のに入ってくか、とか」


 盗まれてなければだけど。と今朝見た昇降口の傘立てを思い出す。

 書いてて、下心が見え見えな提案だなぁと思った。客観的に見たら、聞いたら? まぁ、さした違和感はないと思う。多分、ないはず。うん。


「あ、それいいね。そうしよう」


 オオタキの賛成によって、私の懸念は打ち消された。

 私もオオタキも、揃って部活には所属していない。ホームルームが終われば、すぐに帰宅だ。いつもより少しだけ重い荷物を持って教室を二人で出て、人の隙間を縫って廊下を歩く。


「駅まで来てくれるって、だいぶ遠回りじゃない?」

「いいのいいの。どうせバイトだし、オオタキに風邪ひかれるほうが困るよ。席、後ろだし」

「そんなに弱っちくないよ」

「あら、それは失敬」


 などとゆるゆる会話を交わしながら、階段を降って昇降口に着く。


「傘盗まれてたら、どうしよっか」

「そんときゃバスで帰るよ。オガワは、濡れて帰ってね」

「ひどい」


 笑いながら靴を履き変えて、傘を探しているときだった。


「リコ」


 聞き慣れない声で、聞き慣れない単語が聞こえてきた。でもそれはある程度人の居る場所じゃあまりにも当たり前のことで、それこそ、今この瞬間に私は呼吸をしましたとか、オオタキは可愛いですとか、そういうレベルの「当たり前」で。

 じゃあ、なんでそんなことをわざわざ日記に書くのですか、と問われれば。


「傘、壊れてるんでしょ? バスで帰ろうよ」


 リコ、というのは、オオタキの下の名前だった。

 声のした方には、今朝、廊下でオオタキと話をしていた男子生徒が立っていた。

 にこやかな笑みをオオタキに向けて、隣にいる私なんか眼中にもないといった様子だった。ゆっくりとオオタキに近づいてきて、手を伸ばせば肩でも触り始めるんじゃないかと言うくらいだった。


「今朝、あんなに濡れたのにさ。だから、一緒に行こうって言ったんだ」

「う、うん」


 オオタキの返事は消え入ってしまいそうなか細さで、さっきまでお喋りに興じていたときの元気が、吹き消された蝋燭の灯みたいに一瞬で消えてしまったように見えた。

 俯いていて、表情が窺えない。

 照れてるのか、それとも、他に理由があるのか。

 二人の関係もはっきりしてないのに、分かるはずも無かった。

 オオタキが顏を上げると、何か言いたげに、でも言葉が出てこない、なんて様子でちら、と私の顔を覗いてくる。助け舟と勝手に解釈して、でも、どう動くべきかと悩む。

 これを書いてる今だって、悩んでる。どうするべきだったのか。オオタキはどうしてほしかったのか分からなくて。ただでさえ、友達付き合いの希薄な私だ。

 悟れと言われても、無理な話だ。


 でも、普通に考えて。

 高校生、異性、幼馴染。雨降り、放課後、昇降口。一緒に帰ろうよ、一本しかない傘。

 そういった色んな要素を加味して、私と天秤にかけたとして。

 どちらが重いかって、そんなの。


「…………バスの方が、濡れなくていいんじゃない?」


 ここででしゃばる方がおかしいって、バカでもわかる。

 勝手に頭の中で納得して、そんなことを言った。


「ほら、待たせちゃ悪いでしょ、リコちゃん」


 おどけるフリをして、黙りっぱなしのオオタキの背中を押す。頼りなくて、薄い。


「…………じゃあ、ばいばい。オガワ」

「うん。また明日ね」


 二人の背中が遠くなるまで、少しだけ昇降口で待つ。

 オオタキが私から少し離れてから、名残惜しそうに振り返った、ように見えた。

 それから、いやいや、勘違いだろうと思い直して、後を追うようにビニール傘を開く。

 日記には好き勝手書いてもいいけれど、現実でこの通りに振舞ってはいけないのだ。変なのは私だけで、オオタキは至って普通の女子高生なんだ。

 恋だってするだろうし、勿論その逆だってあるはずだろう。誰からも好かれず、恋愛感情なんて抱いたことすらない私と彼女では、住んでる世界が違うのだ。

 それを仁王立ちして邪魔なんて、していいわけがない。


 オオタキと別れて、久しぶりに一人で帰ることになった。いつもより、家に着くまでに時間がかかるなと思ったりした。家に着いてからまた雨の中を歩いて、バイトに行った。いつもと変わらず、雨が降っていることも手助けしてか暇だった。


 書いてみて。今日は色々、いつもと違うことがあったと実感する。

 主に、あの男子生徒とオオタキのことだ。

 何か、こう、なんだかなぁ。と思う。

 あれでオオタキが笑顔だったなら、まぁ、悔しいけど、自然。

 でも、違った。

 今朝だってそうだった。笑ってなかったし、寧ろ悲しそうなまであった。


 恋をすると、大体の女の子はあんな感じになってしまうものなのだろうか。まだそうと決まった訳じゃないし、そうでないことを祈っているけど。でもまぁ、そうじゃなかったとしても、別に何かが変わるわけじゃない。私もオオタキも、女の子なわけだし。

 ……あの時、オオタキは、どうしたかったのかな。

 私に、どうしてほしかったのかな。

 私なんかでも、彼女にしてあげられることは、あるのかな。

 まぁこんなこと考えたところで、なんの意味もないんだけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る