1 オガワの日記

6/18 きっかけ

 これを読むのは、未来の私くらいしかいないのだと思う。そうじゃなかったら問題だ。


 日記ってそういうものだろう。だから恥ずかしいことも人に見せるのを憚るべきことも、好きな事を好きなように書けるわけで。

 その未来ってのがいつになるかは、分からない。当たり前だ。

 明日や一週間後に、ふと読み返すかもしれない。十年や二十年くらい、先になるのかもしれない。もし、そんなに時間が経ってからこの日記を読み返したのなら、きっとその頃にはオオタキとの交流も無くなっていることだろう。高校時代の友人のことなんかこれっぽっちも覚えていない可能性だってある。こんな私のことだし、十分にあり得る。

 なので、まず一番はじめにこの日記を書く理由そのものとなったクラスメートについて、綴ることにする。


 高校に入学してから、知り合った女の子がいる。出席番号が前後だったのがきっかけで仲良くなった。名前を、オオタキという。漢字だと、大滝。よく言葉を交わすようになったのは五月の末なので、まだ仲良くなって一か月も経っていない。

 でも私は、彼女が私の人生でいちばん価値のある友人になるのだと思っている。まだこの世に生を受けて十六年の子供だけれど、この先死ぬまでに、オオタキ以上に大切な相手など現れないだろうと確信している。


 彼女は、とにかく可愛いんだ。

 本当に可愛い。

 もう、めっちゃくちゃに、可愛い。

 可愛いんだよ。


 本当に、あり得ないくらいに可愛い。人間と天使が何かの手違いで結婚したら、多分ああいう子が生まれるのだと思う。そういう、ちょっと人類のそれとは一線を画する魅力を内在している。あまりの可愛さに、初対面で引いた。初対面というか、五月の末に「一緒にお昼食べない?」とオオタキが誘ってきたその瞬間。もう、「え……かわいすぎでは……?」と口に出しそうになった。漫画やアニメの世界に住む美少女が間違えてこちらの世界に出てきてしまったのではないかとさえ思った。


 具体的にどういうところがと言うと、全部と答える他ない。いや語彙が無いなぁとは思う。でもこれにはちゃんと訳がある。私は他人に比べたらそれなりに本を読むほうなのだけど、それにしたってオオタキの可愛さを言葉で表現するのは難しい。きっと世界中のありとあらゆる様々な言語を用いても、それは叶わないのだ。だから星の数の言葉を捨てて、ただひたすらに「かわいい」と形容するしかない。下手に飾る必要なんか無いのだ。

 ただそれではあまりに味気ない、というか未来の私が明確に思い出せるかどうかが気になるところだ。言語化できる部分は出来るだけ、文字に残しておこう。


 彼女は背が平均より少し高くて、手足がすらっとしている。夏前で捲った袖から覗く肌は、病的の一歩手前というくらいに真っ白。肉付きも全体的に薄くて、でもなぜか胸は私より大きい。なんでだろう、不思議。

 目立たない程度の茶色に染めた髪は肩甲骨を隠すくらいに伸びていて、特にこれといった手入れはしていないと言うのが嘘みたいに、さらさらの髪質をしている。この前触らせてもらったとき、するすると零れて掴めなくて、水か何かかと思った。言い過ぎかもしれない。

 私も同じようなものだけど、女子高生にしてはあまり冒険した見た目をしていない。

 化粧も控えめで、ピアスの類もしていないし。そしてそれがまた、いい方向に作用しているのだ。

 あと、手が綺麗。指が細いのにぷにぷにと柔らかくて、爪も綺麗な形をしていて。これぞ女の子の手といった具合だ。一方の私は中学の頃に運動部だったからかちょっと骨ばっているので、正直、憧れる。

 あれこれ語った後に言うのも何だが、まず大前提として顔が好きだ。

 こういうことを書くと、まさか自分は女でありながら女の子が好きなのかしらと勘違いしそうになるけど、そういう意味ではない。と、思う。多分。きっと。

 そんな風に自信を持てないくらいに、女である私から見ても彼女は愛らしい顔つきをしている。

 緩く垂れた目尻は少し頼りなく見えて、形のいい唇は色素が薄い。ころころ表情が変わる子で、でも大体のときはへにゃあ、と情けなさを含む表情で薄く笑っている。

 そんな幼い表情とは相反するように、話してみると随分と落ち着いた性格をしていて、考え方や口調には程よい知性も感じさせる。

 口調と言えば、ちょっと変わった口癖みたいなものが彼女にはある。語尾によく、「さ」とつけるのだ。「なんなのさ」とか呆れたように笑って言うのを、よく耳にする。


 そう、声も可愛いんだ声も。小鳥の囀りだとかそんな言葉じゃ表現できない。高校生にしては幼い声色をしていて今まで聞いたどんな音楽よりも耳が癒される。「オガワ」と名前を呼ばれるだけで、はぁあんと気持ち悪い声が出そうになる。だって絶対、語尾にハートついてるもんいや、間違いなく気のせいなんだけどさ。

 実際に聞いたことがある訳ではないけれど、歌とか上手そう。そういえば今日、カラオケに行きたいと言っていたっけ。

 ……ああ、そうだった。これは、日記なのだ。そろそろオオタキの話は終わりにして、って言っても、今日何があったのかを事細かに書き連ねても、全部オオタキの話になるのだけど。


 ここのところ雨続きで、そのせいか今日の気温はとても涼しかった。寒いと言っても過言じゃなかったと思う。

 授業が終わって帰る道すがら、夏直前とは思えないような冷たい風に思わず身震いしながら、商店街を歩いていたときだ。朝のニュースで今日は冷えますよ、って言っていたから、上着を持ってきていたはずなんだけど。


「……ねぇ、そろそろセーター、返して欲しいな」


 肩を抱くみたいに両手でさすりながら、隣を歩くオオタキに言う。そう、驚くなかれ。

 私とオオタキはなんと、一緒に帰っているのだ。

 前世でどれだけ徳を積めばこんな幸せが与えられるのだろうか。グッジョブ、前世の私。

 今日の帰り、というかほぼ一日中。オオタキは、私の黒いセーターを着ていた。冷房が効きすぎて寒い、と二時限目の始まる前に鞄から抜き取られた。泥棒だ。

 そのときは室内だし、言うほど寒くなかったので貸してあげたが、さすがに外に出ると結構堪えるので。


「ほれ、寄こしなさい」


 そう言ってから、右手をオオタキに向ける。すると着ていたセーターの袖を伸ばして指先を隠して腕を組み、


「やだ」


 なんて言う。二文字しか喋ってないのに、可愛いんですけど。このノートに書いた「やだ」って二文字とっても、私じゃない人間にあの可愛さは伝わらないのだろうなと思うと、にやにやしてしまう。

 なんだか、独り占めでもしているような気分だ。


「寒いもん」

「寒いのは、オオタキだけじゃないんだけどね……」


 はぁ、と意地悪なオオタキにため息を溢す。でも、てこでも脱がねーぞ、という固い意思が揺らぐ様子は見せない。まぁ、いいか。帰ったらセーターの匂いたくさん嗅げるし。なんて冗談で変態的に思っていたのに、なんと着たままオオタキが帰ってしまった。そのことに気付いたのは、家に着いて玄関の戸に指先をかけた瞬間だった。

 さてそんなこと知る由も無い、そのときの私。

 空腹を誘うお惣菜なんかの匂いが充満した、駅前の商店街を二人並んで歩く。老若男女問わずそれなりに人で賑わい、今日の晩御飯の献立はなんだろうと思ったりした。

 好きな作家の新刊を手に入れるべく、本屋さんに立ち寄る。オオタキは小説などを読まないと聞いていたけど、特に何も言わずついてきてくれた。正確には「行く行く」と言ってくれた。

 古着屋さんと酒屋さんの間にある、小さい本屋さん。私が小学校に通う前から姿を変えずに営まれていて、きっと私が生まれる前からこんな感じだったのだろうなとも思う。店員さんのおばちゃんも顔見知りだ。建物は古い造りで、店内の若干の埃っぽささえその雰囲気を演出するのに一役買っている。

 品揃えで言えば当然、モールとか電車で数駅行った先にある大きな本屋さんには敵わない。

 でも家から近いし、何よりこの雰囲気に何とも言えない良さがあるのだ。ノスタルジックというか、何というかね。

 目当ての本をすぐに見つけ、小脇に挟んで店内を少し歩く。時折立ち止まって平積みされている本をペラペラ捲ったりする。その後ろを、オオタキがとことこ着いてくる。その様子がなんだか小動物みたいで、可愛らしい。


「オガワ、漫画は読まないの?」

「あんまりかな。母さんは、たくさん読むけど」


 そんな会話をしつつ、文房具売り場でオオタキが立ち止まる。何か気になる物でもあるのかなと手元を覗き込むと、ボールペンの試し書きをしていた。


「これさいきん、テレビでよく見るんだ。なめらかなめらかって」

「へぇ」


 かちかち、とノック式のペンを細い指先で遊ぶみたいに弄る。小さなメモ用紙に線や丸をさらさらと描きながら。


「ほら見て見て、めっちゃ書きやすいよ」

「うん、見てもわかんないね、それは」


 用紙の右側が図形で埋め尽くされてから、今度は左側に文字を書き始める。あ、い、う、と書き手の容姿と性格を忠実に再現した綺麗なひらがなが並ぶ。そのボールペンに特別なパワーがあるとかではなく、単純にオオタキは字がとても綺麗だ。小学生の頃から習字を習っていると言っていた。

 そうして何の気なしに眺めていると、筆先が描く軌跡が「小川 夏」まで記したところでようやく何を書いていたのか気が付いて制する。


「ちょっと、私の名前書かないでよ」

「オガワの名前、けっこう珍しいよね。あんまり見ないかも」

「そりゃどうもありがと、じゃなくて」


 試し書きの一番上の紙を破り、乱雑に制服のポケットに仕舞う。


「あー、泥棒だー、いっけないんだー」

「人のセーター盗む人に、そんなこと言われたくないんですけど」

「持ち帰っちゃうほど書いてほしいなら、いつでも書くのに」

「そういうことじゃないよ」


 まったく。今度、「あなたのことが大好きです」って書いてもらおうっと。いやでも、そういう想いの告白とかは文字からじゃなくて口からの言葉でがいいなぁ。彼女の書く字も勿論好きだけど、声はもっと好きだから。

 なんて下らないことを考えながらペンの売り場を離れて、本の代金を支払うためにレジへ向かう、その途中。

 ふと気になるものを見つけて、足を止めた。すると背中にオオタキがぶつかっておふ、と声を漏らす。お前、呻きまでかわいいのかよ。勘弁してください。


「なになに、もう、どしたの」

「ん、なんでもない」

「うそだ、絶対なんかある」

「なんでもないって」


 嘘だ何でもない嘘だ何でもない、って問答を繰り返す右隣の棚。

 そこに置かれていた分厚い日記帳を見て、私は思いついた。

 オオタキの可愛い姿や言葉、それを見て感じたこと、思ったこと。顔を合わせたら、絶対に口にできないようなこと。絶対に誤って外に出てきては、いけないこと。

 それを毎日、言葉で残したいと。

 そんなきっかけがあり、帰宅後に中学で使わないまま仕舞っておいたノートにこうして書き連ねているわけだ。分厚い日記帳は普通にそこそこ値段がしたので、買う気にはなれなかった。


 これを書いている最中、「せーたーかえすのわすれた 選択する?」というメールが来た。ちなみに、原文のまま書いた。

 うーん。私は一体、何を選べばいいのだろう。オオタキはもしかして、私のセーター以外の私物も持って帰ったりしているのかな。もしそうなら、選ばせずにどちらも返却願いたい。まぁ、冗談だけど。

 誤字を指摘するかどうか悩んで、結局「そのままでいいよ」と簡単に返信をした。オオタキの匂い、嗅ぎたいし。まぁ、冗談だけど。

 程なくして「わかりました おやすみ~」と返ってきた。おやすみ、かぁ。いいなぁ、おやすみってワード。寝る前、布団の中で聞きたい。というか、オオタキと添い寝したい。腕枕とかしたい。されるよりも、する方がいい。

 毎晩、意識が眠りに落ちる直前までうとうと微睡むオオタキを眺めてみたいものだ。

 日記って、こんな感じで良いんだろうか。正解ってのがよくわからないな。でも、一般的なそれとは随分差異があるように感じる。

 まぁとにかく、明日も続けて書いてみよう。

 何事も、継続が大事らしいし。

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