名探偵、帰る

楸 茉夕

名探偵、帰る

 今回も悲しい事件だった。

 嵐に閉じ込められた上に橋が落とされ、車のタイヤの空気が抜かれ、停電させられ、トンネルは爆破され、山崩れで道路が通行止めになり、川を上る船まで流されて携帯電話の電波も入らず、当然警察もこられない山間の村落でのこと。

 些細なすれ違いから、兄が義理の母を殺し、しかしそれは実は血の繋がった実の母で、血縁がなかったのは弟の方だった。弟は父と折り合いが悪く、母を溺愛する父を苦しめるために弟が兄に母殺しを唆していたのを、叔父が気付き、しかし勘違いで叔母が殺され、更に遺産を狙った謎の親戚が登場し、しかしそれは異母弟と婚約者の陰謀で架空の人物がでっち上げられたもので、結果狂言誘拐のはずが二人とも死亡しており、真相に気付きそうになった従姉が口封じに殺され、叔父の復讐に巻き込まれる形で隣家の犬と老婆まで殺されるという、森中しんちゅうの蝋燭館に響く童歌わらべうたに呼ばれた魔狼まろう怨念連続殺人事件。まるで、ミステリの濃縮100%煮こごりのような。

 だが、先生はさすがだ。混迷を極める陰惨な現場でも、臆せず踏み込み華麗に解決した。そう、僕たちはたまたまその村に湯治で訪れていたのだ。前回の事件で、犯人と大捕り物を演じた先生が、足を傷めてしまったので。湯治の場でまで事件に巻き込まれてしまうとは、まったくついていない。

 当然だが湯治は切り上げることになった。先生は仕方ないと笑っていたけれど、まだ足は痛むみたいだ。帰ったら別の湯治場を捜そう。趣向を変えて、リゾートのような場所でもいい。猫のたくさんいる離島などどうだろうか。

 帰りの車の中、先生はさっきから一言も喋らない。愁いを帯びた表情で外を見ている。遠い目をしているので、景色を眺めているふうでどこも見ていないのかもしれない。

 運転は僕がしている。山と畑が交互に現れるような田舎道なので、対向車はほとんどこない。少々退屈になってきて、音楽でもかけようかと思っていると、不意に先生が片手を差し伸べてきた。

「片桐くん」

「はい、なんですか先生」

「折り紙はあるかい」

 驚いた僕は急ブレーキを踏みそうになった。動揺を鎮め、ダッシュボードを指さす。

「その中に何種類か」

「うん。今は和紙がいい。色は青だ」

「ええ、入っています」

 一つ頷くと、先生はダッシュボードを開けた。言葉通り、その中から青い和紙を取り出す。そして、何やら折り始めた。

 これが先生の異名、「折り紙探偵」の由来だ。何か考え事をするときは、折り紙を折るのが先生のスタイルなんだ。何もせずに考えるよりも、手を動かしていた方が纏まるらしい。しかも、考える方向性や分野によって、紙の種類や色を変える。折り紙をするとそちらに集中して頭の中は空っぽになってしまう僕にはできない芸当だ。

 事件のことを考えている間はよく見る仕草だが、これまでは解決後に先生が折り紙を折ることはなかった。ということは、まだあの事件に疑問を感じているということだ。

 横目でちらちらと伺っていると、先生の指は器用に動いて、青い薔薇の花を折りあげた。そして、小さく息を飲む。

「そうか……」

「どうしました、先生」

「なぜあの時、あの人はあんなことを……」

 これは駄目だと、僕は口を閉じた。先生は推理をするとき、代名詞でしか喋らなくなり、周りの声は聞こえなくなる。逆を言えば、代名詞で喋りだしたら事件の核心で、真相に近づいているということだ。

「あの人があそこであれを……そう、もしかしたら例のあれが必要だった……」

 しばらくぶつぶつと呟き、先生はぱっと顔を上げた。

「片桐くん!」

「はい、先生」

「今すぐUターンしてくれたたまえ。魔伏黒虫禍首まぶせくろむしまがくび村に戻るぞ!」

「わ、わかりました!」

 僕は慌ててUターンできそうな場所を探し、きた道を戻る。しかし、何度聞いても冗談のような地名だ。現代日本にこんな場所が残っていていいのかと政府に問いたい。何度もの合併を免れてきた、いっそ奇跡の村かもしれない。過疎化が進んでいると聞いたが、名前だけで観光地になりそうだ。

「そうだ……たしかあの人がそういっていた。あれがああだとすれば、アリバイが崩れて……ああ、私はなんという思い違いをしていたんだ」

「珍しいですね、先生が思い違いだなんて」

 先生は僕を見て、淡く笑んだ。

「そんなことはない。私はいつも回り道をしているよ。無数にある手順の先に、一つの正解の形があるのさ」

 先生からいつもの台詞が出て、喜びに震えたは危うくハンドルを切り損ねて別の事件を起こしてしまうところだった。

 折り紙探偵の本領発揮だ。どんな事件もその明晰な頭脳で、美しい形に折りたたんでしまう。

 先生はIQ180の天才で、人脈は日本の警察や公安はもとより、NYPDやインターポール、スコットランドヤード、上海やイタリアなど各地のマフィアだけでは飽き足らず、果てはオーストラリアのアボリジニやアフリカのマサイ族にまで広がるらしい。僕が知っているだけでもごく一部だ。まだ三十そこそこのはずだが、一体どういう人生を送ってきたのか想像もつかない。先生が自分の人生を一言で例えると「ハリウッド映画の闇鍋」らしい。

「急いでくれ、片桐くん」

「はい、先生」

 僕はアクセルを踏み込んだ。


     *     *     *


 僕たちが戻ると、魔伏黒虫禍首村は阿鼻叫喚に陥った。

「嘘だろ! なんで一回帰った探偵が戻ってくるんだ!」

「事件は解決したはずでしょ! 戻ってくるなんて反則よ!」

「もうたくさんだ!」

「疫病神! 死神! おまえが逮捕されろ!」

 酷い言い草だ。先生が事件を解決しなかったら、もっと多くの人が死んでいたかもしれないというのに。

 一言言ってやろうと僕が一歩踏み出すと、それを制した先生が静かに告げた。

「私は思い違いをしていました」

 打って変わって、人々が水を打ったように静まり返る。先生は厳かに続けた。

「あの時あの部屋であの人があれをああしているのを見ていた人がいるのです。あの言葉がそれを示している。そうすればあのアリバイはなかったことになる! その人にも犯行が可能になる……つまり、真犯人はあの人だ!」

 村人の一人が代表するように口を開く。

「そ、それは……誰なの……?」

「それは……」

 先生の口から出たのは、思いもよらない人物の名前だった。

 次々と真相を暴いていく凛々しい先生の姿を、僕は惚れ惚れと眺める。事件を解決するたびに思うのだ。この人に師事して間違いはなかった、一生ついていこう、と。



 助手ポジションが、一番死ににくいはずだから。



 了

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