胡蝶の夢
これは、もしかしたら合ったかもしれない未来――。
王国の第二王子ジークハルト・アストライアと大悪魔エステルの反乱が、もしもなかったら。
アストライア魔術学園、そしてその上の教育機関であるアストライア貴族院。
魔術を覚えるのに三年。貴族について学ぶこと三年。
合計六年の時を学舎で過ごしたシズルたちは、今日この日をもって子どもから大人へと向かって歩みだす。
「あっという間だったなぁ」
今は卒業式を終え、彼らを祝った卒業パーティーが王城で開催されているところだ。
「学生の卒業パーティーを王城でするなんて豪快だよね」
「今年は特別ですから」
シズルの隣には、美しく成長したルキナの姿があった。
六年も経てば人は変わるが、彼女の思慮深さと優しさは変わらないまま大人になったと思う。
学院時代、いつも傍にいるのが当たり前だった。
それでも今日のパーティーに合わせた黒のドレスはとても大人っぽく、つい見惚れてしまう。
自分も今年で十八歳となり、今後はフォルブレイズ家から離れて家を興し、一人の貴族となっていくだろう。
裏ではもうその話は着々と進められ、それに合わせて婚約者であるルキナとも正式に結婚することになることが決まっていた。
「……」
「シズル様?」
「いや……ちょっと」
さすがに君との結婚のことを考えていた、なんて気障なことは言えなかった。
ルキナならそれも受け入れてくれてくれると確信しているが、これは自分自身の問題である。
「それにしても、たしかに俺たちの年代は特別だったかもね」
「そうですね」
彼女の言葉に辺りを軽く見渡し、学生時代を振り返る。
シズルたちの学年は、かつてないほど大貴族の子息が揃う年代だった。
侯爵家であるシズルや公爵家のルキナも含まれるが、他には四大貴族であり『王国の天秤』と称されるラピスラズリ公爵家の令嬢や、『王国の大剣』と呼ばれるクライシス公爵家の次男など。
他にも大貴族の子弟たちが多く集まる学年だったのだ。
「なにより……」
大貴族が集まるパーティーの中心には、ひと際輝きを放つ男がいた。
美しい金色の髪を長く伸ばした長身の男は、名だたる大貴族の当主に声をかけられてなお、自分が主役なのだと主張している。
男の名はジークハルト・アストライア。
かつて光の大精霊とその契約者によって建国されたこのアストライア王国の第二王子にして、シズルたちと同学年の友人だ。
剣魔両道、才色兼備と幼いころから有名で、その才能は学園でも遺憾なく発揮され続けた。
「ジークハルト王子か……」
六年前の入学式、新入生代表として壇上に立った彼はこう言った。
『人は皆生まれながらに平等ではない。才能、血筋、容姿……生まれたときから決まっているものは数多くあるだろう。それは確かな事実ではあるが、私はあえてこう言おう。この学園での生活においてそのような小さな事を気にする必要はない。努力を怠らない者を、私は評価しよう。我が生涯の友として迎え入れよう』
――私は、君たちを見ているぞ。
その言葉の通り、彼は学園で努力をした者に声をかけていった。
貴族としての地位や名声など関係なく、ただそこで見せた輝きを一つ一つ見つけていったのだ。
そうして彼は王族として凄まじいカリスマ性を見せ、学園内で一大勢力を作り上げた。
その対象は、同年代で敵なしの実力を誇ったシズルにまでおよび――。
「勧誘が凄かった……」
思い出すだけで面倒臭いという顔をすると、ルキナはクスクスと可愛らしく笑う。
「シズル様は権力争いとかに興味がないのに、ずっと誘ってきてましたね」
「色々と裏工作までしてきてさ……最終的には彼女が止めてくれたから良かったけど……」
シズルはジークハルトの横に立つ、金糸のような黄金の髪を後頭部で団子状にして、三つ編みでくくっている女性を見る。
その立ち姿はとても美しく、空色の瞳はすべての罪を許さないと言いそうなほど凛としていた。
第二王子の婚約者である少女の名はユースティア・ラピスラズリ。
ラピスラズリ公爵令嬢であり、学園時代ではシズルの一番の友人とも言える人物だ。
「さすがユースティア。大人に混ざってもまったく違和感ないね」
シズルはその名声や立場から、学園でとにかく目立っていた。
世界で唯一の雷魔術の使い手。最年少ドラゴンスレイヤー。若くして英雄を継ぐ者。
そんなシズルの名は、学園に通う少年少女から憧れの的だった。
ただし、憧れはときに制御不能な感情となる。
シズルに近づきたいがために、色々と無茶をする生徒たちが絶えなかったのだ。
結果、義母であるエリザベートにも散々注意されてきたとおり、ありとあらゆるハニートラップも仕掛けられることになる。
元々ルキナ以外の女子には興味がなかったシズルからすれば迷惑極まりない行為。
だが女子たちからすれば側室になれるチャンスということもあり、裏では凄まじい戦いが繰り広げられていたという。
正直そんな情報はあまり聞きたくなかったが、しかしルキナに危害が加わる可能性があったため、必死に情報収集をしたものである。
そんな女性たちの戦争を止めてくれたのが、彼女たちのリーダー格であったユースティア・ラピスラズリ公爵令嬢だった。
「ユースティアがいなかったら俺、どうなってたことか……」
「あ、あはは……」
当時を思い出して、さすがのルキナもちょっと困った顔をする。
言葉にしながら、ルキナにとってもいい思い出ではない。なにせ自分の婚約者が他の女に狙われた事件だ。
逆の立場だったら狙った男は許さないし、話を聞くだけで嫌な気持ちになるだろう。
これは配慮が足りなかったなと思うと同時に、ユースティアと仲良くなる切っ掛けになったので、シズルからすれば比較的いい思い出とも言えた。
「あ、こっちに気付いたね」
そんな会話をしていたからか、ジークハルト王子の横で貴族たちと挨拶をしていたユースティアが近づいてくる。
「おいシズル、ローレライ。なにをそんな端にいるんだ」
「やあユースティア。やっぱり今日の主役は主席卒業のジークハルト様と、その婚約者である君だと思うんだ」
「ほぉ……だから自分たちは関係ないと?」
ギロリと睨んでくる姿はとても怖い。どのくらい怖いかというと、いつか彼女は義母であるエリザベートみたいになるんじゃないかと思うくらい怖い。
「だって俺、あんな風に愛想笑い得意じゃないし」
あんな風、と指さす先にいるのは、爽やかな笑みを浮かべて大貴族たちと談笑している青年。
腹黒でいつも悪いことを考えている人とは思えない好青年っぷりだ。
「ジークハルト様を指さすのは止めろ馬鹿」
「ごめんさない」
まるで母親のように叱るユースティアは、シズルが学園時代に逆らえなかった唯一の人物である。
実家の義母を思い出すせいか、どうにも逆らう気が起きないのだ。
「結局卒業するまで、お前を更生させることが出来なかったのが心残りだな」
「更生って……俺別にそんな悪いことしてないよ?」
「ほう……」
シズルの言葉にユースティアは半眼となって睨んでくる。
基本的に、シズルは学園で大人しく『なかった』。
どれくらい大人しくなかったかというと、普通に学園を脱走してダンジョンに向かう程度には不良学生だった。
古い教師陣はグレンよりはマシと言い、比較的新しい教師陣はホムラよりはマシと言いながら大目に見てくれていたのだが、ユースティアだけは許してくれなくてよく叱られたものだ。
「まあしかし、お前は絶対に問題を起こすから、やはり中心にはいない方がいいかもしれん」
「うん、それは俺も思う」
「開き直るな」
彼女が少し遠い目をしているのはきっと、初めて出会ったときのことを言っているのだろう。
——シズル・フォルブレイズ。それにルキナ・ローレライ。お前たちの噂は遠い我が領地でも聞こえてきた。その真偽はこれから図らせてもらうが、己の研鑽を怠らず、その実力を見せることだ。そして光栄に思え。有能なら私から殿下への取り次ぎもしてやろう。
――あ、そういうの良いです。出来れば俺、権力争いとかに巻き込まれたくないんで。
第二王子の婚約者、しかも公爵令嬢であるユースティアに対するシズルの言葉がこれである。
あの瞬間、周囲で見ていた貴族の子弟たちの焦った空気は未だに忘れられない思い出だ。
「いや、あれは若気の至りというかだね……」
「それだけじゃないだろ」
「それだけじゃなかったですね」
ユースティアだけでなく、ルキナまでそう言うのは、その次のことがあったからだ。
――こ……光栄に思え。有能なら私から殿下への取り次ぎもしてやろう!
当時のユースティアは顔を引き攣らせながら、それでもシズルの対応を見逃して再度問いかけた。そしてそれに対するシズルの返答はというと——。
――ありがとうございます! ですが残念ながらこの非才な身では栄光を歩む殿下にはふさわしくないでしょう! なので大変心苦しいですが辞退させて頂きますね!
という全力の拒否だった。
これには周囲の貴族たちも、こいつヤバい奴だという認識を持ったことだろう。
「普通、二度も断るか?」
「えーと、ほら……若気の至りってやつで……」
「なんでもそれで済ませられると思うなよ」
「……ごめんなさい」
こんな風に、学生時代はよくユースティアに怒られては謝ったものだ。
地位も実力も高かったシズルに対してこういう物言いが出来るのは、彼女ともう一人くらい。
「そういえばミディールは?」
「あいつはあいつで忙しいのだろうな。なにせ公爵子息だ」
「みんな大変だなぁ」
「お前というやつは……」
完全に他人事で話すシズルにユースティアが呆れた顔をする。
本当であればシズルも今回の話題の中心に上がるはずだが、しかし今日の主役はやはり第二王子であるジークハルト、そしてその婚約者であるユースティア。
今まではあくまで婚約者であったが二人だが、貴族院を卒業したことで対外的にも正式に結婚することが決まったのだ。
「そういえば言ってなかったけど、おめでとうユースティア」
「ラピスラズリ様、おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
少し照れたように笑う姿は可愛らしく、普通の男なら誰もが魅了されてしまうことだろう。
実際彼女は学園ではその厳しさから怖がられる場面も多かったが、それと同じくらい多くの男子たちを魅了したものだ。
第二王子の婚約者、四大公爵の令嬢、という肩書もだが、それ以上に彼女自身が魅力的な女性だから当然だと思う。
「だけどちょっと変わった風習ですよね。王族は貴族院を卒業しないと結婚出来ないなんて」
「学園は特殊な空間だからな。過去の王族は婚約者がいるにも関わらず恋人を作るなどもよくある話で……それをクリアできない令嬢は国母に相応しくないという考え方、らしい」
まるで前世の小説のような話だな、とシズルは思いつつルキナとユースティアの二人を見ると、女性らしく恋バナで盛り上がり始める。
さて一人手持ち無沙汰になったシズルがどうしたものか、と思っていると一人の男性がやってくる。
「私がユースティア以外を選ぶと、本気で思っているのか……」
「あ、ジークハルト様」
「フォルブレイズ、卒業式以来だな。どうだ、私たちの派閥に入る気にはなったか?」
「いえ、そういうの興味ないので」
シズルが相変わらずの返事をすると、ジークハルトは愉快そうに笑う。
すでに六年の付き合いになるが、彼の考えだけは未だによく理解出来ないと思った。
「なぜジーク様がここに! まだ各方面のご挨拶の時間では⁉」
「ユースティア……少し旧友と交流をするのも悪くないだろう?」
「宰相を待たせて、悪くないわけないじゃないですか! エステル、貴様も護衛なのになぜ止めない!」
「えー、だって私はジーク様の望みを叶えたいだけですしぃー」
誰に対しても余裕を保つジークハルトが、ユースティアの気迫に気後れをする。
それだけ、彼がユースティアのことを大切に思い、嫌われたくないという思いがあるということだ。
「尻に敷かれてますね」
「そういうことを言うと、自分に返ってくるぞ。フォルブレイズ」
「ジーク様! 行きますよ!」
そうして自然に、ユースティアはジークハルトの手を握り、シズルとルキナはそれを見送りながら――。
「改めて、二人とも結婚おめでとう」
「お幸せに」
そんな二人に振り向いたユースティアが、心の底から微笑みを浮かべた。
――そんな、未来もあったのだな。
目を覚ましたユースティアは、自分が涙を流していることに気付く。
「どうしたの?」
「……シズル。なに、少し……あり得たかもしれない夢を見ただけだ」
ベッドでは一緒に眠る大切な夫。
彼は誰よりも強く、そして自分のことを愛してくれている。
「……こっちおいで」
シズルがユースティアを優しく抱きしめた。
その腕はとてもたくましく、出会ったときとは比べものにならないほど温かい。
夢は夢。
その未来ももちろん幸せだっただろう。
だが今は――。
「私はこんなに幸せでいいのだろうか?」
「もちろん。俺も、ルキナも、みんな君のことを愛しているからね」
「……ありがとう」
この腕の温もり以上の幸せはない。
そう思えた。
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