雷帝の軌跡⑨

『ヴォオオオ……』

「……」


 ヨルムンガルドとシズルはただ静かに睨み合う。

 だが一瞬、ヨルムンガルドは地上を見て、そして口を歪ませた。


「なんだ?」


 ボトリ、ボトリと黒いなにかがヨルムンガルドの身体から落ちる。

 それが黒い鱗だと気付いたときには、再び闇の蛇たちが生み出されていた。

 

 鱗はまるで雨のように降り注ぎ、その度に魔物は増えていく。

 そして魔物たちの視線の先には、フォルブレイズ軍。


「まずい!」


 このままでは再び軍が危険になる。

 ヨルムンガルドの狙いに気付いたシズルが闇の蛇を吹き飛ばそうとした、その瞬間――。


「シズル!」

「っ――⁉」

「こっちは気にすんな! お前はただ、そのデカブツだけ見てろ! こんな雑魚どもはなぁ――!」


 まるで生命の炎をすべて燃やしているかのような、巨大な火柱が戦場の空を貫いた。

 すべてを破壊するシズルの雷とは対照的な、ありとあらゆるものを鼓舞する炎。


 それを見た戦場の戦士たちは、まるで全員の意識が共有されているかのように激しい咆哮を空に向けて放った。


「俺たちに任せてりゃいいんだよぉぉぉ!  行くぞ、テメェらァァァァァ!! 俺に続きやがれェェェ!!」

「「「おおおぉぉぉぉぉ!!」」」


 世界蛇ヨルムンガルドの身体の大きさから考えれば、ほぼ無限あふれ出てくるであろう闇の魔物の群れ。

 それに対してホムラはたったひと振り、巨大な炎の翼と化した剣を振るう。


「勇敢なるフォルブレイズの戦士ども! このクソ蛇どもに俺たちの前に出てきたこと、後悔させてやれぇぇぇ!」


 激しい炎は美しく、闇の魔物を燃やし尽くしながら道を作る。


「全員ホムラに続けぇぇぇ! 絶対にシズルの邪魔をさせるなぁぁぁ!」


 その道を追うように、新緑色の竜巻が一気に魔物たちを吹き飛ばした。

 火柱と疾風が作った道の上には闇は入れない。


「「「おおおおお!!」」」


 作り上げたその道をさらに広げるべく、フォルブレイズ軍の兵士たちが突撃する。

 一つの炎となった軍の力は、決して個で出せる者とは違った強さがあった。


「やっぱり兄上は凄いなぁ」


 地上の光景を見て、シズルは圧倒された。

 少なくとも、自分には決して出来ないことだとわかっていたからだ。


「さて、それじゃあ今度こそ始めようか」


 ヴリトラと一体になり雷龍化したシズルは、自身の背に黄金色の翼を広げる。  


 それに対してヨルムンガルドの口が大きく開いた。

 あまりの魔力の高まりに空が軋み、大地が悲鳴を上げる。

 上空に集まる魔力の奔流は、これまで見てきたどんな敵よりも激しい憎悪に塗りつぶされていて――。


「――っ、この期に及んで、まだ⁉」


 ヨルムンガルドから放たれるのは、無色の閃光。

 たった一撃で万の軍すら壊滅させてしまいかねない威力を秘めているそれは、地上で戦っているホムラたちに向けられて――。


『風よ、みんなを守って!』


 突如生み出された風のシールド。

 激しい破壊音と、城壁すら軋ませる暴風の嵐が辺り一帯を覆いつくす。

 だが不思議と、大地で戦っているフォルブレイズの兵士たちにはなんの影響を与えていなかった。

 風に愛された少女が今、その優しさですべてを守っていたから。


『く、ぅ、ぅぅぅ!』

「イリス⁉」

『大、丈夫……私がみんなを守るから、だからシズルは前を見て!』


 閃光の威力が上がる。まるで何千年も昔に己を封印した憎き敵を見つけたのだと、憎悪を増幅させていくようだ。

 だがそれでも、優しき風の守りはわずかなの光さえも通さない。


『はぁ、はぁ、はぁ……』


 力尽きたのか、それともこれ以上は拉致が明かないと思ったのか、ヨルムンガルドが攻撃を止める。

 イリスの執念が、この大魔獣に勝ったのだ。


「さっきから好き勝手してくれたな……今度は、こっちの番だ!」


 イリスが作ってくれたわずかな時間。その間にシズルは力をためていた。

 そうして放たれるのは、かつて神喰らいの獣と呼ばれた大魔獣を滅ぼした一撃。


「怒れる神々の雷霆よ! かつて神すら喰らった災厄の獣を打ち砕け! 疾風迅雷……雷霆神の一撃グングニルゥゥゥゥゥ!」


 それは以前放ったときとは比べ物にならない、大都市一つを吹き飛ばしてしまうほどの威力を持ってヨルムンガルドに迫る。


『ヴォオオオオ』


 さすがにこれは看過できないと、ヨルムンガルドも迎え撃つように閃光を放った。

 ほとんどノータイムで放たれたにも関わらず馬鹿げた威力の攻撃にぞっとするが、それ以上にこれだけの攻撃を一人で受け止めた、小さな少女を心の中で賞賛する。


「おおおおおおおおおおお!!」

『ヴォオオオオオオオオオ!!』


 二人の魔力がぶつかり合いながら対消滅していき、徐々に光が失われていった。

 そうして最初と同じく、ヨルムンガルドとシズルは睨み合う。


「もう地上を攻撃する暇なんてあげないよ」

『ヴォオオオオ……』


 巨大な黒雲が激しい雷音を響かせた。

 かつて神々を滅ぼしかけた魔獣と、最強の神の御子がぶつかり合う。


『来るぞシズル!』

「く!」


 ヨルムンガルドが当たり前のように放つ閃光の威力は、城塞都市一つを軽く吹き飛ばしてしまうほどのもの。

 それに対抗するには、今のシズルでさえある程度の力を溜める必要がある。


 正面から何度もぶつかり合うのは不利。それゆえ、大きく空中を旋回することで光線を避けていく。


 近づかれることを嫌うように、次々と放たれる光線を躱しながらチャンスを伺うと、不意にヨルムンガルドの動きが止まる。


 「なんだ?」


 近づける、と思うよりも危険と思う気持ちの方が強く、様子を伺ってしまう。

 その瞬間、凄まじい魔力がヨルムンガルドに集まっていき--。


「これは、ヤバイ⁉」


 シズルがそう思ってその場から離脱しようとするより早く、憎き敵を滅ぼそうと閃光を薙ぎ払うように放ってきた。

 直線的な動きではないそれは躱すことは難しく、吞み込まれると、そう思った瞬間――。


「……え?」


 シズルの目の前が一瞬だけ暗くなったと思うと、先ほどいた位置からだいぶ離れた場所にいた。


「これは、もしかして……?」

「呆けてる暇なんてないでしょ! 次くるわよ!」

 

 シズルの首を掴み、飛んできた光線を再び影に潜って躱す。


「ルージュ⁉ どうしてここに⁉」 

「そんなこと考えてる暇なんて、ないわ!」


 満月でないため全力を出すことは出来ないが、それでも闇はルージュのためにある。

 影から影へ、彼女の魔術によってヨルムンガルドの攻撃を何度も躱していく。


 それでも広範囲に広がる光線は激しさを増していき、攻撃の余波が一瞬ルージュの頬を掠めた。


「ちっ⁉」

「ルージュ⁉」

「いいからアンタは、あの蛇を殺すことに集中しなさい!」


 何度も繰り返される光線の嵐。

 それを短距離転移で躱し続けると、さすがに攻撃の手も緩んでくる。

 

「行くわよ!」

「うん!」


 その隙を逃さずシズルは、そのまま一気に急上昇して再び正面までやってきた。

 同時に、これまで以上の力をもってヨルムンガルドが力を解き放とうとした瞬間、激しい竜巻がその力を拡散させた。


「イリス⁉」

『私も、一緒に!』


 そうしてシズルとルージュ、そしてイリスはヨルムンガルドを真っすぐ射抜く。


「ようやくここまで来た」


 超巨大生物の前に立つと、その全貌が全く見えない。

 だがしかし、この魔獣が世界中すべての怨念を身に纏っているような禍々しさはすぐにわかった。


「……」

『……』


 シズルたちは数千年の時を超えて復活した大魔獣と対峙し、その強大な力を感じることになる。

 神々でさえ封印することでしか対処できなかった圧倒的な存在感。


 ヨルムンガルドを見た瞬間、シズルの心臓が激しく音を立て始めた。

 それはきっと、シズルではなく自身の力の大本になる、雷神様が宿敵を前にした時の高揚だろう。


 ただ、ヨルムンガルドは憎しみの塊のように存在しているが、どこか物静かな様子でじっとシズルたちを見つめてきた。


 吸い込まれそうなほど純粋な瞳。

 まるで世界を破壊するためだけに生まれてきた兵器のような佇まい。


 シズルはずっと、勘違いをしていた。

 この世界蛇ヨルムンガルドは『悪』なのだと思い込んでいたのだ。


 だがこうして対峙してみてわかる。

 これは『世界を壊すためだけに生まれた』存在であり、善とか悪とか、そういったものとは無縁なのだ。


『シズル、どうしたの?』

「アンタ、今更変な感傷に浸るんじゃないわよ?」


 急に動きを止めたシズルにルージュとイリスが不思議そうな顔をする。


「……うん、大丈夫」


 だが今はただ、この蛇を真っすぐ見ていたかった。


 そうして『ヨルムンガルドを滅ぼすために生まれた』存在である自分とこの世界蛇を重ね合わせる。

 ヨルムンガルドもまた、シズルを自身の宿敵だと理解しているのか、ただじっとその瞳を合わせるだけだ。


「……違うよね」


 なんとなく、シズルはヨルムンガルドに語り掛ける。

 自分たちがこの世界に生まれたのは、そんな理由だけじゃないはずだ。


 見ていてわかったが、この蛇には知性があるし、ただ破壊を是とするだけの化物ではない。


 もしも生まれた意味が違えばもしかしたら、この世界蛇は神と崇められたかもしれない。


 だがそれは『もしも』の話――。


 こうして神を喰らう者として生まれ、そして神に選ばれた御子と対峙するのが現実だった。


「来るわ!」


 ヨルムンガルドは一瞬すべてを諦めたような表情を浮かべると、巨大な口を広げて魔力をかき集める。

 その力は今までとは比べ物にならないほど大きい。


『これは……私の力でも守り切れない⁉』

「ちぃ――アンタ、なにぼさっとしてんのよ⁉」


 イリス、そしてルージュが焦ったように声を上げる。


「大丈夫。だって俺の……俺たちの力は世界最強だから!」


 シズルが天に叫んだ瞬間、辺り一帯に激しい落雷が発生する。

 それはまるで、天空の支配者を歓迎するような豪雨のように激しく、神が怒り世界を滅ぼそうとしているがごとく。


『ヴォォォォォォォォォ!!』


 世界蛇ヨルムンガルドの咆哮とともに凄まじい閃光が迫る。

 王都ですら一撃で吹き飛ばしてしまいそうなその破壊光線を前にして、シズルは両手を前に突き出した。


「そうだよね……ヴリトラァァァァ!」

『もちろんだとも! 我こそは破壊を司る雷神トールの子にして世界最強の雷龍精霊ヴリトラ! たとえどれほどの破壊の力であっても、その全てを打ち砕く!』


 叫びに呼応するように現れたのは、小さな黄金色の龍。

 シズルと同じように両手を前に突き出したまま、凄まじいエネルギーを持った雷を解き放つ。

 そして、白の閃光と黄金の雷がぶつかり合った。


「「おおおぉぉぉぉぉぉぉ」」

『ヴォォォォォォォォォ!!』


 世界を喰らう力と、すべてを破壊する力。

 その二つが拮抗し、お互いを喰らい壊そうと絡み合い、そしてお互いの力に耐えられなくなった光は世界を包み込みながらも消滅する。


 先ほどの再現。だがその力は、先ほどとは比べ物にならないほどに大きい。

 まるでお互いの存在が、魂の輝きを高めているかのように、その力はより強大に膨らんでいく。


『ヴォォォォォォォォ!!』


 世界蛇ヨルムンガルドが力強く叫ぶ。

 再び魔力を集め、今度こそ全てを破壊しようとしているのだろう。

 だが――。


「悪いけど、これ以上好き勝手はさせないわ。我が名はルージュ! すべてを見通す戦神オーディンの子にして世界の闇を司る大精霊!」


 そんな世界を喰らう者の前に闇の女王が立ち塞がる。

 かつてただ面白いからと、それだけで世界のすべてを敵に回し続けた大精霊は、空に浮かぶ欠けた月を見上げながら薄く笑う。


「だけど今はそんな肩書どうでもいい。今の私は世界でただ一人の友人が繋いだ未来を見守るだけ。そのために、アンタは邪魔なのよ世界蛇……だからここで大人しく消えなさい! 貪り食う闇色の紐グレイプニル!」


 彼女はまるでオーケストラの指揮者のように指を振るうと、八本の闇色をした細い紐が世界蛇ヨルムンガルドに迫る。


『っ――⁉ ヴォォォォォォォォ!』


 細く簡単に千切れそうなそれは、複雑に絡み合いながらもヨルムンガルドの動きを拘束していく。

 鬱陶しいと暴れる巨体が徐々に小さく押し込まれ、苛立ちの声を上げ始めた。

 だがそれでも闇の紐は切れることなくヨルムンガルドの動きを止め――。


「ほら、この私がお膳立てをしてあげたんだから、しっかり決めなさいよ」

「うん。ヴリトラ!」

「おうとも!」


 暴れるヨルムンガルドを見ながらシズルは己の相棒に声をかけると、凄まじい力が溢れ始める。


「ぐ、ぐぐぐ……」


 それを無理やり制御しようとするのだから、シズルの体内で雷が暴れるがごとく、凄まじい激痛が襲い掛かってきた。


 かつてフォルセティア大森林での戦いのときとは比べ物にならない激しさに、思わず歯を食いしばり身体に力が入る。


 雷の大精霊ヴリトラの力をすべて受け継ぎ、あの時よりもずっと強く成長した今の自分でさえ抑えきれないほどの力の奔流。


 ――足りない。この程度じゃ、まだあいつを討ち滅ぼせない!!


 すでに限界をはるかに超えた力をさらに引き出そうと、シズルは両手を天に上げようとして――。


『我が名はイリス……平和を愛する優しき風神フォルセティの子である風の大精霊ディアドラの娘』

「……ぁ?」

『私の故郷を、家族、未来を守ってくれたシズル・フォルブレイズにすべてを捧げます。だからお母さん、力を貸して……』


 ――もちろんよ。


『「すべてを守る優しき風の籠手ヤルングレイプ」』


 二人の声が空に響いた瞬間、優しい風がシズルの身体を守るように辺りを流れる。


「イリス……」

「私が守るから。お母さんと一緒に、シズルの前に立ちはだかるすべての痛みは全部吹き飛ばすよ」


 シズルの左側に立ったイリスはそう言うと、微笑みながらその小さな手でシズルの身体を支える。

 たったそれだけで、これまで感じていた苦痛のすべてが吹き飛んでしまった。


「これなら……」


 限界だと思っていた。これ以上の力は引き出せないと思っていた。

 だがこの風に包まれた瞬間、今とは比べ物にならないほどの高みを目指せるのだと確信した。


「ハアァァァァァ!」


 極限まで高められた魔力の雷。それは際限を知らないように大きくなっていき、天すら突き抜く巨大な光の柱となる。

 イリスに守られた今のシズルなら、無限に力を出せると、そう確信して――。


「っ――⁉」


 だがそれは生み出すことができるだけ。圧倒的な力の奔流はコントロールを失い、限界などないように膨れ上がっていく。

 このままいけばヨルムンガルドを倒すだけの力も出せるだろう。だがしかし、それと同時に辺り一帯をすべて吹き飛ばしていまいかねない。


「シズルよ! 集中しろ!」

「わかってる! わかってる、けど……!?」


 シズルの力に誘われるように空から連続して落ちる雷が激しさを増していく。

 人知を超えた魔力が空を覆い、超巨大な魔法陣となってヨルムンガルドの真上に広がっていた。

 あとは解き放つだけなのだが――。


『ヴォォォォォォォォォ!!』


 自身すら消し飛ばしかねない力を前にヨルムンガルドがこれまで以上に力強く暴れだす。


「くっ! この……! いつまでも持たないわよ!」


 ルージュが必死に抑えつけるが、このままでは時間の問題だろう。

 それでも早くやれと言わないのは、ルージュも今の状況を正確に理解出来ているから。


 今シズルは選択を迫られていた。

 一つはこのまま魔力を解き放つこと。


 ただしこれをすれば、シズルやイリスたちはともかく、地上で戦っているホムラたちフォルブレイズ軍はすべて吹き飛んでしまう。

 それどころかその激しい雷は広大な大地すら吹き飛ばし、どこまで被害が出るかわかったものではなかった。 


 一か八か、全力で解き放った制御が出来れば全員無事だろうが、それをするにはあまりにも分の悪い賭けだ。


「そんな賭け、出来るはずが……」


 ――シズル様……貴方の想い、私にも背負わせてください。


「え?」


 聞こえるはずのない声が聞こえた。

 ルージュを見ると、つまらなさそうに鼻を鳴らす。


「今回だけ、特別よ。こんな危険な場所に連れて来るなんて……」


 その言った瞬間、彼女の影から一人の少女が現れた。

 黒い闇の魔力を纏った少女は、まるで古の天女のように美しい。


「私は『過去』にこの世界に絶望していました。そんな私の未来を貴方が希望の光に変えてくれたのです」

「ルキナ……」


 ルキナ・ローレライ。

 かつて魔力が扱えず、加護なし姫と呼ばれた悲劇の少女。

 そんな彼女の身体が薄い闇色に光る。それはルージュとは違うルキナ本人の魔力で、とても優しく温かいものだった。


「シズル様のおかげで私は前を向けました。貴方の雷が、その心が暗く先の見えない道を明るく照らしてくれた」

「ルキナ、それは何度も言うけど君がずっと頑張ってきたからだよ」


 そう言うとルキナは首を横に振る。


「私一人だったらいつまでも、この『今』に辿り着けませんでした。そして私は、貴方との『未来』を一緒に歩みたい。だから……一緒にこの世界を守らせてください」

「うん」

「『未来を切り開く雷を守る闇の力帯メギンギョルズ』」


 瞬間、光り輝く雷の柱を覆う様に、柔らかい闇色の帯が伸びていく。


 それは今ヨルムンガルドを拘束している『貪り食う闇色の紐グレイプニル』とは真逆。


 激しく暴れる雷のエネルギーを優しく包み込み、混ざり合い、そして力を増しながらも制御が可能となった。


「ありがとうルキナ、イリス……」

「はい」

『うん』


 シズルを支えてくれる二人に軽く微笑み、そして真っすぐ正面で暴れる世界蛇ヨルムンガルドを見つめる。

 世界を喰らいつくす怪物は、世界中から集めた憎悪を身に纏いながらも、その瞳だけは純粋に透き通っていた。


「ヨルムンガルド――神々の作った世界を喰らう者」


 シズルはどうしてもこの存在と自分を重ね合わせてしまう。

 世界を喰らうために生み出された存在と、それを滅ぼすために生み出された存在。


「まあでも、同情はしないよ」


 シズルが天に向かって伸ばし続けた雷の柱は、キラキラと霧散していく。

 それは風に乗ってヨルムンガルドの周囲を舞い、幻想的な世界を作り出していた。


 かつてこの世界には神々が地上を支配していた時代があった。

 己こそ地上の支配者を名乗る大魔獣、地上の底に蓋された魔界から神に抗う悪魔たち、神でありながら神を裏切る者。

 現代とは比べ物にならない強大な力を持つ者たちが神を引きずり降ろそうと戦いを挑み、そして敗北していく。


 ――最強は神である。全能は神である。


 そんな神代の時代において、すべての神々を滅ぼそうとする者が現れた。

 もしも、その存在が神だけを滅ぼすのであれば、世界は大きく変わったかもしれない。


 だがしかし、生まれ出たそれの目的は『この世界のすべてを滅ぼすこと』。

 ありとあらゆる種族にとって『絶対の悪』として生まれ出たそれは、神の中でも最強と呼ばれる雷神を二度も退ける。

 だからこそ――。


「世界蛇ヨルムンガルド……お前は強すぎたんだね」

『……』


 ヨルムンガルドはこれまで暴れていたのが嘘のように静まり返り、そして空を見上げる。


 戦場すべてをを覆いつくすほどに巨大な魔法陣が、白い雷撃を迸らせながらどんどんと広がっていっていた。

 それは停滞と荒廃を進み続けていた世界しか知らない世界蛇にとって、どこまでも美しい空。


「強すぎたから、神以外もすべて敵になって、孤独になった……」


 シズルは神代の時代を知らない。このヨルムンガルドがどういう理由で神々と戦い続けたのかも知らない。


 自分たちの間には、これ以上の言葉など必要がなかった。

 ヨルムンガルドはただ、空に向かって大きく口を開く。


 そこに込められた魔力はこれまでとは違い、禍々しさなど欠片もない、ただ純粋な力そのもの。

 まるで天から見下ろす神を倒そうとするように、その破壊の力を解き放った。


「……『雷神の怒りトールハンマー』」


 シズルは小さく呟く。

 その瞬間、雷を纏った魔法陣から解き放たれた雷の柱がゆっくりと落ちてくる。

 それはヨルムンガルドの破壊の力とぶつかるが、わずかも止まることなく地上へと向かっていき――。


『…………』


 一切の抵抗を許さず、ヨルムンガルドはその雷の魔法陣によって押しつぶされていく。

 潰れゆく中で、その蛇はなにも声を上げずにただ静かに己の敗北を認めた。


 ただ宿敵の力を認めてまっすぐ、一度も視線をシズルから反らさずに大地に還っていく。


 キラキラと白と蒼の雷が魔法陣を照らしながら、凄まじい大轟音と白い閃光が天に向かって逆流するように伸びる様はあまりにも幻想的で、王国中のすべての人々が天を切り裂く光の柱を見上げていたという。


 そうして一瞬の空白のあと、世界は何事もなかったかのように動き出す。


「じゃあ、またいつか」


 シズルはそれだけ言うと、ルキナとイリスに支えられながら、ゆっくりと地上に降りるのであった。

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