雷帝の軌跡⑧
死を喰らう蛇ヨルムンガルド――神々すら恐れさせた最強の魔物。
それが地上に現れたとき、大地を生きるあらゆる生命が山より大きなその蛇を見上げ、立ち止まる。
「あ……なんだよ、あれ……」
歴戦の戦士たちがただ茫然と呟く。
それ以外に出来ることがなかったのだ。
蛇は鋭い瞳で地上を見下ろす。
ただ睨まれただけで身動きを出来なくなった人々。
同時に、これまで暴れていた魔物たちがゆっくりと、まるで夢遊病のようにフラフラと近くの闇の蛇へと近づいて行った。
「なんだ?」
戦場を駆けていたホムラが疑問の声を上げる。
その隣ではローザリンデが緊張した面持ちで魔物たちを見ていた。
二人だけではない。その場にいた戦士たちはみな、明らかに異常な光景を見て嫌な予感しかしなかった。
そして、その予感は当たる。
「シャァァァァ!」
「っ――⁉」
闇の蛇が魔物を喰らい始める。
仲間割れ、という雰囲気ではない。
魔物たちは自らの意思で蛇に喰われにいったのだから。
「こ、こいつら!」
一匹、二匹、三匹……自ら蛇に喰われる魔物たちは増えていく。
同時に増していく蛇の重圧は、まるでその力を喰らっているかのようだ。
「やべぇ! 止めるぞ!」
「お、おおおおお!」
ただでさえ強力な力を持った蛇だというのに、これ以上強くなられては戦士たちの手に負えなくなる。
そう判断したホムラが、戦場を一掃するように炎を解き放った。
燃え上がる鳥は戦場を疾走し、魔物たちを燃やしていく。
そんなホムラの空けた道を大きく広げるように戦士たちが突撃した。
戦場は半分に割れ、普通であれば敵の軍はもはや再起不能となることだろう。
だが相手は本能で動く魔物たち。
そして――戦場から魔物たちは姿を消した。
世界蛇ヨルムンガルドと、その眷属である闇の蛇を残して……。
「……ホムラ、お前はもう下がれ」
「あん? ロザリー、お前なに言ってんだ?」
「お前はこのフォルブレイズの要だ。お前がいなくなったら、すべてが崩壊する」
額から汗を流し、苦悶の表情を浮かべるローザリンデ。
ホムラを守るために槍を振るってきた彼女だが、もはやこれ以上は意味がないと槍を下した。
「戦争は終わった。お前はフォルブレイズ領の民を連れて王都へ避難しろ」
「真面目に言ってんのか?」
「当たり前だ」
ローザリンデの視線は、世界蛇ヨルムンガルドへと向けられる。
山よりも大きなそれが動き出したら、城塞都市マテリアも、そしてガリアも、城壁など意味なく滅亡するだろう。
「あれは、誰も止められない。出来ることは遠く逃げるだけなくらい、お前でもわかるだろ?」
「……だとしても、少しでも時間を――」
「時間は私たちが稼ぐ。お前の役割はここで死ぬことではなく、一人でも多くのフォルブレイズの民を救うことだ」
「……」
ホムラは巨大な蛇を見上げ、一瞬だけ瞳を閉じる。
自分の力があれに通じるか……答えは明白だった。
「畜生……なんで俺はこんなに弱い」
「弱くはないさ。ただあれは、もはや人の手に負える存在ではないというだけだ」
世界蛇ヨルムンガルドがどういった存在なのか、ローザリンデは知らない。
だがそれでも、あれが神に類するモノであることは本能的に理解出来た。
ヨルムンガルドは動く気配がない。
だが、眷属である闇の蛇たちは違う。
一体一体が強力な魔物であるこれらは、放っておけば王国にとてつもない被害をもたらすことになるだろう。
「あれくらいは、私たちがなんとかしてやる。だからお前は――」
ローザリンデがなにかを言おうとしたとき、不意に言葉を切る。
なぜならこれまでほとんど動きを見せなかったヨルムンガルドが、ゆっくりと空を見上げたから。
「……なんだ?」
ローザリンデが、ホムラが、そして戦場の戦士たちが同じように空を見上げる。
そこには先ほどまでまるでなかった黒雲が浮かび、そして――。
『決戦のときは来た!』
黒雲の中から、まるで大地を穿つ雷のような威風堂々たる声が戦場に響き渡る。
『ヴォォォォ』
ヨルムンガルドの視線の先、そこには黄金の雷を纏った龍人が腕を組み見下ろす様に浮かんでいる。
そしてその隣では、同じく雷を纏った少年。
その少年のことを、この戦場の人間は全員が知っていた。
『我が名はヴリトラ! 世界最強の雷龍精霊にして、この世のすべての雷を統べる大精霊である!』
ヴリトラが宣言した瞬間、巨大な雷が激しく戦場に吹き荒れ、大地にいる闇の蛇たちを飲み込んでいく。
『かつて我らが父『雷神トール』をして滅ぼすことの出来なかった史上最強の大魔獣ヨルムンガルドよ! 数千年の時を超え、我ら雷神の子が貴様に勝負を挑む!』
『ヴォオオオ!』
瞬間、街一つを吹き飛ばすであろう光線がヨルムンガルドから解き放たれる。
『恐ろしい力だ! 確かに貴様は最強の魔獣だろう。だがしかし……我らは一人ではない!』
「いくよヴリトラ!」
『おうとも! 誰が本当の最強か、あの蛇に教えてやろうではないか!』
ヴリトラの姿がシズルに吸い込まれるように消える。
そうしてさらに強大な雷を纏ったシズルは迫りくる光線に掌を向けると、極大な雷の槍を生み出して光線を打ち消した。
『さあ始めようではないか! 我らを巡る因縁の、最後の戦いを!』
それはまさに神々の黄昏。
神話の一説を刻む戦いが始まろうとしていた。
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