第4話 猫カフェ
「くっ! なんだというのだこいつらは」
「あ、あわわ……か、か、か……」
ヴリトラに紹介されて連れてきた店に入りしばらくして、二人が動揺した声が部屋の中に響く。
しかしそれも仕方がない。シズルとて、この目の前の光景を見るといつも通りの平常心を保つことは難しかった。
「くっ……ヴリトラ、なんてところを紹介してくれたんだ!」
「し、シズル様! 見て、見てください! この子、私の膝で寝てますー!」
「わ、私はご飯なんてなにも持っていないぞ⁉ なのになんでそんなに甘えた声を出すんだ!」
動揺する二人。そしてシズルの足元でにゃーにゃ―と鳴く無数の猫たち。
シズルたちが入った店は、猫カフェと呼ばれる猫たちと遊べる店だった。
ルキナの傍には数匹の猫たちが行儀よく自分の番を待つように並び、ユースティアの方にはヤンチャな猫たちが我先に遊んでもらうのだと言わんばかりに駆け回っていた。
そしてシズルの周りには甘えるような鳴き声で誘惑してくる猫たち。
そんな猫たちに振り回される姿は、もはやアストライア王国の未来を担う大貴族の子息とは思えない状態だった。
「と、とりあえず固まって座ろう! そしたらこの子たちも入り込めるスペースが減るはずだから!」
「そ、そうだな!」
先に座っているルキナの傍にシズルが胡坐で座り、そして反対側にはユースティアが少女らしく丁寧に座る。
すると猫たちもどういう風に遊んでもらえばいいのか躊躇うようになり、そのうち何匹かがルキナのところの猫のように膝の上に乗り始めた。
大人の猫も多いのだが、ちゃんと子猫に譲ってあげているのは偉いなとシズルは思った。
「なんだこいつら……か、可愛いぞっ」
「うん……可愛いね」
普段は気を張っているユースティアも、子猫たちの甘える様子につい頬が緩んでしまっている。そしてそれはシズルも同様だった。
ルキナに至っては、もはや慈愛に満ちた瞳で我が子のように可愛がっていた。
「……」
「……」
しばらくの間、猫たちがにゃーにゃー鳴くだけの無言の時間が過ぎる。
ここ数日、シズルはいつもの自分じゃない自覚があった。それは慣れない恋愛ごとを考えていたり、貴族のことを考えていたり。
最初、この世界に転生した時はただ最強の魔術師になることだけを目指していればよかった。どの道中でルキナのことや母のことこそあったが、基本的な方針はいつも変わらない。
ただ、そこに単純な魔術の力だけではない、権力やらなにやらが絡まってくると、途端に自分は弱くなったと思う。
いつだって自分は、何個も考えられるほど器用じゃなかった。だから目の前にある壁を、一つ一つ打ち砕いていくことで精一杯だったのだ。
だから、今こうして二人の女の子と一緒にいることも、本音を言えばすでに頭の中はパンクしそうである。
「……シズル様」
「うん?」
膝の子猫たちが完全に寝静まったころ、ルキナが真っすぐこちらを見てきた。
「私が初めてシズル様と出会った時のことを、覚えていますか?」
「……そりゃ、もちろん」
初めてルキナと出会った時、彼女は『加護なし姫』として世界に絶望していた。絶望しながら、それでも自分に出来ることを為そうという覚悟を持った強い子だった。
「私はその時に言いました」
――今後私はシズル様を立て、理想の婚約者として在るべく生きていきます。貴方様の栄光の道を少しでも阻むような真似は、したくないのです。
「ローレライ?」
「ラピスラズリ様、少しだけシズル様とお話させてください」
「あ、ああ……」
真剣な表情のルキナに、ユースティアが圧倒されるように口を閉じる。
そしてそれはシズルも一緒だった。今のルキナには、どこか覚悟のようなものが感じられる。
「本来の私は、シズル様にとって都合の良い女であれば良かったのです」
「ルキナ。それは違う。あの頃と今の君じゃ、全然違うよ」
「それはシズル様が私を救ってくださったからです。周囲の環境も、私の心も全て……」
――だから、私はシズル様の未来のすべてを、この身を賭して守りたい。
そう微笑む彼女は、まるで女神のように美しい。
「ラピスラズリ様との新しい婚約、シズル様はとても困惑されておりますよね? それは何故ですか?」
「何故って……俺の婚約者はルキナだし」
「貴族にとって重婚など普通のことです。ましてやシズル様には次世代を残す義務もある。貴方様が気にすることなど、何一つないのですよ」
そうじゃない。確かにこの世界に転生してからそのような教育を受けてきたが、それと同時に自分には前世の日本で過ごしてきた価値観も残っているのだ。
それに、ただ一人を愛したいという気持ちが、どうして悪いというのだ。
「もし私の存在がラピスラズリ様との婚約を躊躇う理由になっているというなら……それは駄目です」
「……どうして?」
「私一人では、シズル様を守れないから」
「守る?」
どうしてそんな話になるというのか。自分は今後、王国から領地を則り、そして一貴族として生活をするはずだ。
単純な戦闘能力だって、自分に比肩する者はそうおらず、暗殺されるような心配もないだろう。権力も、お金も、力もある状況で、いったいどんな危険があるというのか。
「王国の闇は、とても深いです。そしてシズル様の立場は、その実とても、とても危うい」
「えっと……」
「私とローレライ公爵家だけではきっと、シズル様の未来を守り切れない。だから、『天秤』とまで称されるラピスラズリ家の力が必要なのです」
だから、ユースティアを受け入れろとルキナは言う。
「シズル様、貴方は私のことをお気になさらず、受け入れてくださればそれでいいのです」
「でも……」
「もしシズル様がラピスラズリ様を嫌いであるというなら、仕方がないと思いますが……」
「――っ」
ルキナがそう言った瞬間、隣で息をのむ気配を感じた。
「そんなわけないじゃないか……ユースティアは魅力的な女の子だよ」
「そうですよね」
もしルキナと婚約をしていなかったら、きっと学園生活で友として歩んだあの時間で、自分は彼女に惹かれただろう。それくらい彼女は魅力的で、素晴らしい女性だ。
それと同時に、彼女の過去。ジークハルト王子との婚約破棄騒動において、『他の女に王子を取られた』という事実が、ユースティアの心を痛めつけるのではないかという危惧もある。
「シズル様が今考えていることはよくわかります。しかし、本当にそうでしょうか?」
「え?」
「シズル様は、ラピスラズリ様の心を聞きましたか?」
そう言われて、シズルは改めてユースティアを見る。
そこには普段の凛とした彼女ではなく、一人の女性として男に受け入れられないのではないかと不安に思う少女がいた。
「シズル……私は……」
「あ……」
そこで、シズルは初めて気付く。自分はルキナの想いやユースティアの想いを考えている振りをして、その実自分のことだけしか考えていなかったことを。
彼女たちがどういう想いで、自分のところにやってきてくれているのか、そんな話をしようとすらしていなかったことに、気付いてしまったのだ。
「……ごめん。俺、自分のことばっかり考えてて、二人の気持ちを蔑ろにしてた」
「ちが、ちがう! あ……」
シズルの言葉にユースティアが声を荒げる。その瞬間、膝の上で寝ていた猫たちが驚き、慌てた様子で飛び去って行った。
「これ以上はここで話すようなことではありませんね。一度屋敷に戻りませんか?」
「うん。今度はきっちり二人と向き合うから」
シズルは立ち上がると、二人をそれぞれ見つめる。
その瞳に、今度こそ迷いはなくなっていた。
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