第5話 説得

 城塞都市マテリアの宿の一室で、シズルとホムラは死体のようにベッドで転んでいた。


「……シズル……生きてるか?」

「兄上……なんとか」


 あれから夜になるまで路上で公開説教を受けた二人は、心身ともにダメージが大きく動けなくなっていた。


 特に足である石で固められた地面に正座など、拷問のようなものだ。すでに足のダメージが大きく、痺れすぎて動けないくらいである。


 というか、あんなに長く説教を出来るマールとローザリンデの体力はいったいどうなっているのか、不思議で仕方がない。


 さすがに自分たちの魂が抜けてしまっているような状態になって、ようやく解放されたのだが、隣の部屋ではローザリンデたちが控えている。脱走は困難だ。


 なにより、ここに一人裏切り者がいる。


「待てシズル。裏切り者というのは言い方が悪い」

「ヴリトラ、じゃあ俺たちを見逃してくれる?」

「そんなことをしたらマールたちに我まで怒られるではないか! に、逃げるなよ! 逃げたら我はあやつらに報告せねばならないのだからな!」


 やはり裏切り者である。


 すでにヴリトラはマールによって軽い説教を受けた後、こうして自分たちが逃げないように見張り役を仰せ付けられているのだ。そして今度逃げたら後はない。


「今回はお袋も本気じゃねえか……」

「まあ、あの人はいつも本気だけど、今回は色んな意味で本気ですね」


 なにせマールたちはフォルブレイズ家のヒエラルキートップに君臨する女傑、エリザベートによってあらゆる行為を許可されていると言うのだ。


 ローザリンデにしても、マールにしてもエリザベートに対する嘘を言うとは思えない。


 つまり、これまでシズルがマール相手に断ってきたことが、すべて許されるということ。


「別に、着替えを手伝うとかその程度のことであろう?」

「あのねヴリトラ。可愛い女の子に着替えを手伝ってもらうとか、そんな恥ずかしいこと出来るわけないじゃないか」


 いくら家族同然とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。なにより、昔と違い今はお互い良い年齢なのだ。もし何かしらのことで間違いが起きては、大変である。


 そしてシズルは自分がそんな自制心を効かせられるほど、意志の強い人間でないことをよく知っていた。


「んだよシズル。別にマールのやつが望んでるんだったら、それくらいやらせてやりゃいいじゃねえか」

「そうである。そもそも貴族なら従者に着替えさせるなど普通のことであろう?」


 二人はそう言うが、シズルとしては今世における初恋の相手はマールなのだ。さすがに今はそのような感情はないが、それでもやはり良くないと思う。


 何より、今後マールが他の誰かを好きになったときに、笑顔で見送れるように線引きはきっちりとしておきたかった。


「俺のことはいいじゃないですか。それを言うんだったら、兄上だってローザリンデに色々とさせてあげたらいいと思いますよ?」

「あん? ロザリーが俺になに望んでるってんだ?」

「それは……」


 いったい何を望んでいるのだろう、とシズルも思う。


 少なくとも彼女がホムラを男として見ているのは間違いない。とはいえ、その感情に気付いているかと言われれば、もしかしたら気付いていないないのかもしれない。


 なにせどちらも恋愛観は子どものような二人だ。このままではずるずると踏み込めないまま、年だけを重ねてしまうような気がした。


「兄上は、ローザリンデのことをどう思っているんですか?」

「ああん? そうだな、あいつほど俺に合わせて動ける奴もいないし、なにより誰よりも俺の背中を安心して任せられるやつだな。出来るなら一生、俺の背中を守って欲しいくらいだぜ!」

「お手本のような回答ありがとうございます」


 これは駄目だ。兄の方に問題があり過ぎる。間違いなくローザリンデのことを意識しているのに、その方向性がまるで違う方を向いていた。


 その瞬間、シズルはピンとくる。


「兄上、良い事を思いつきました」

「お?」

「上手くいけば、このままダンジョンに行けるかもしれません」

「……詳しく聞かせな」


 乗り気になったホムラを前にシズルは心の中でほくそ笑むが、そこで一人焦った表情を見せる者がいた。


「ま、待て! もういいではないか! 我はもうこのマテリアでたくさん買い物もしたし、満足したぞ! な、シズルもそうだろう! だから――」


 裏切り者の言葉には耳を傾けずシズルはホムラに思いついたことを詳しく話し始める。


 なおこの間、二人ともベッドから起き上がれない状態のため、兄弟そろって仰向けになったまま話し続けるという、若干間抜けな状況であった。




 翌日、シズルとホムラは、ローザリンデたちがいる部屋の前に立っていた。


「いいですね兄上。手はず通り」

「おう、ところで、本当にこれで上手くいくのか?」

「ええ、きっと。俺を信じてください」


 神妙な表情で頷くと、この単純な兄は納得したように笑う。


 基本的に脳筋であるが、その野生の獣のような直感は侮れず、シズルの言う方法の意味は理解できずともこれが最善だと本能で察しているのだろう。


 そしてホムラは扉に手をかけると、そのまま勢いよく開いた。


「ロザリー!」

「マール!」

「うぉ! な、なんだホムラ! 突然部屋に入ってきて⁉」

「ほ、ホムラ様⁉ それにシズル様も⁉」


 突然の出来事に目を丸くしている女性二人に対して、ホムラたちの動きは早かった。


 それぞれがそれぞれの担当、つまりホムラがローザリンデ、そして自分がマールのもとへと一気に駆け寄った。


「マール、お願いがあるんだ!」

「ちょ、シズル様⁉ な、な、なんなんですか急に! いつもと全然違――」

「このお願いを聞いてくれたら、今度から着替えるの、たまに手伝わせてあげるから!」


 その言葉を聞いた瞬間、マールの瞳が光る。


「本当ですか? 嘘じゃありませんか?」

「も、もちろん……」


 思った以上の喰いつきに若干焦るシズルだが、ここで引くわけにはいかなかった。それに、毎日ではなく、たまにである。


 それくらいなら仕方がないと思い、シズルは頷いた。


 隣を見れば、ホムラも同じようにローザリンデに詰め寄ってなにかを言っている。


 ほとんどキスする寸前まで近づいているせいか、ローザリンデの顔はゆで蛸のように真っ赤に染まり、そして瞳をぐるぐるさせていた。


 ――これは勝った。


 シズルの作戦は簡単なものだ。兄が気になるローザリンデは、思い切り近づかれたら動揺する。


 その隙に言質を取ってしまおう作戦である。


 そして自分はマールの足止め兼お願いを先回りしつつ、どさくさに紛れてこっちの要望も通そう作戦だ。


 兄の勝利を確信したシズルは、自分の方に専念する。


「それに、マールが読んでもらいたいって本があったら、それも読むから!」

「本当ですか⁉」

「う、うん……」


 さきほど以上の喰いつきに、いったい何を読まされるのか怖くなるが、その言葉でマールも完全に瞳が変わる。


 どちらにしても、エリザベートからシズルたちに対してなにをしてもいい許可を得ているマールたちである。


 ここでなにも言わなくても、これくらいの要望は通してきたことを考えると、先手を打ってこちらから提案してやり、そして条件を引き出した方が遥かにいい。


 おかげでこれ以上の要望はマールたちも通しづらくなっただろうし、シズルたちも自分の要望も通せる。


「だからマール! 俺たちダンジョンに行く許可を頂戴!」


 作戦通り、とシズルは不敵に笑いながら、最後の詰めとばかりに一気にこちらの要望を伝えると――。


「あ、はい。もともとそのつもりでしたので、それくらいなら別に構いませんよ?」

「……え?」


 あまりにもあっさりと許可を出すマールに、シズルは一瞬なにを言われたのかわからないまま、固まるのであった。 



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