第54話 涙

 短い付き合いだが、彼がこういった態度を取るときは何か裏があるときだとシズルは理解した。


 そしてシズルよりもずっと付き合いの長いユースティアは、もっとよく理解している事だろう。


「まあ、これが今回のおおよその顛末だ」

「まだ色々と、語ってないことが多いと思いますよ?」

「重要なことは全て語ったさ。あとはそうだな……」


 ジークハルトは一瞬だけ考える仕草をしてから、真っすぐユースティアを見る。


「少し、二人きりで話がしたい。いいなユースティア?」

「っ――⁉」


 ジークハルトの言葉に驚くユースティア。それもそうだろう。ここ最近はずっと避けられるように、そして教室では明確に拒絶されたのだ。


 シズルは二人きりになることが、彼女にとっていい事なのか判断が付かなかった。そうして迷っているうちに、ユースティアはゆっくりと頷く。


「大丈夫?」

「……ああ。私も、ジークハルト様とはずっと話がしたかったのだからな」


 ほんの少しだけ弱った姿を見せるが、それも一瞬。すぐにユースティアは迷いのない瞳を見せる。


「それじゃあ、一応俺も近くにいるから、何かあったらすぐに呼ぶんだよ」

「ふ、信用がないな」

「信用されるようなこと、一切してないですからね王子は」

「大丈夫だシズル。ジークハルト様の話したい内容は、おおよそ検討が付くから……」

「そう? だったらいいけど……」


 それだけ言って、シズルは部屋から出ていこうとする。


 と、そこでこの部屋の中でもう一人の異物が残ろうとしているので、軽く殺気をぶつけてやる。


 エステルは一瞬、猫のように背筋を伸ばし、引き攣った笑みを見せた。


「ほら、ノウゲートはこっちだ」

「え、えへへー。それじゃあジーク様、私はお呼ばれしたので出ていきますねー」

「ああ。フォルブレイズ、あまりエステルを虐めないでやってくれ。こう見えて、中々頑張ってくれたのだ」

「へぇ……。まあ、別に今更どうこうしようとは思ってないけど、二人がユースティアを泣かしたの、忘れてないですからね?」


 薄い笑みで二人を睨んでやると、エステルはさささー、と扉の外へと出て離れてしまう。そんな彼女の背中を見送ったジークハルト、一言。


「エステルは好きにしていいから、私は許してくれないか?」

「あー! ジーク様一人だけズルい! フォルブレイズ様! ジーク様は煮ても焼いてもいいので、というか私は命令されてやっただけなので悪いのは全部あの腹黒王子です! なので……私は許して!」


 遠くから叫ぶエステルを無視して、シズルはもう一度ジークハルトを見る。


 相変わらず何を考えているのか分からないが、どこか覚悟を決めた様に見えるのは、死闘を繰り広げたゆえなのかもしれない。


「まあ、いいや。それじゃあ今度こそ」

「ああ」


 そう言って外に出て扉を閉める。そしてエステルを見ると、彼女は面白そうに扉の先を見ていた。


「ノウゲート」

「エステルでいいって、何度も言ってるじゃないですかぁ」

「君をそんな風に親し気に呼ぶ気はないよ。ところで、君は王子の本当の目的を知ってるの?」


 そう尋ねると、彼女は何度も見た悪魔らしい笑みを浮かべる。


「くふふー。まあ、あんな適当な言葉にはさすがに騙されてくれませんか」

「本当のところも結構あったんだろうけどね。だけどそれにしては回りくどすぎる。何か別に目的があったとしか思えない」


 ジークハルトの話の流れは一見筋が通っているように思えて、まったく滅茶苦茶な話だ。


 だがこれ以上、あの王子を追求しても何も出てこないだろうと思い、こうしてターゲットを変更するのだが――。


「そうなんですけどねぇ。だけどこれだけは本人から絶対に言うなって言われちゃってるので、残念ながらお答え出来ませーん」


 軽い口調だ。だがしかし、そこに込められた言葉の想いは、絶対に応えないという決意すら感じる。


「私は悪魔ですから。契約は絶対で、約束したことは絶対に破りませんよー。だからフォルブレイズ様? たとえ貴方が宿した神の力でこの身を完全に消滅させられることになったとしても、絶対にお答えしません」

「そう……だったらいいや」

「あら?」


 シズルがさっと視線を逸らすと、エステルは意外そうに目を丸くする。


「いいんですか? フォルブレイズ様に力づくで襲い掛かられたら、いくら私でも抵抗できませんけど?」

「無駄なんでしょ? いいよもう、全部終わったことだし。俺としては、君たちがこれ以上迷惑かけないならそれで」

「……ふーん」


 エステルが興味深そうにこちらを見てくる。


「なに?」

「いえいえ別にー。ただフォルブレイズ様も、いい男だなぁって」

「言っとくけど、余計なことしようとしたら消し炭にするからね」


 つい先日、殺し合いをしていたとは思えない態度だが、これが彼女にとっては普通なのかもしれない。


 そもそも、殺し合いと思っていたのは自分だけで、彼女たちにとってあれは予定調和だったのか。


 そこまで考えて、結局のところジークハルトとエステルが何を考えているのかなど、彼らが本当のことを言わない限り分からないのだ。


 だとすれば、自分がこれ以上考えるもの無駄な話だろうと思う。


「ジークハルト様は、ユースティアをどう思ってるの?」

「えー、それ私に聞いちゃうんですかー? うーん、でもなぁ……これ別に言っちゃ駄目って言われてないですけど、言ったら怒られそうですからねぇ……」


 うんうんと悩む彼女はどうやら、ジークハルトとの仲は良好なのだろう。そうでなければ、こんな風に悩むこともないはずだ。


「ああでも、ジーク様はですね。子どもなんですよ子ども」

「子ども?」

「そうそう。だってあの人、初恋もまだだって言い張ってるんですから間違いな――」

「エステル」

「――あ、やば」


 笑いながらジークハルトの過去を話そうとした瞬間、扉が開きジークハルトが出てくる。


 その顔はいつも通りに見えて、どこか苦々しいものを見るようにエステルを睨んでいた。


「フォルブレイズ様、楽しいお話ありがとうございました! それでは!」


 状況が不味いと判断したエステルの動きは早かった。一瞬でその場から転移の魔術でいなくなってしまう。


「……まったく、あとでお仕置きだな」


 ジークハルトが呆れた様子でそういう中、シズルの視線は彼の背後、ユースティアに注がれる。


 彼女の瞳は、まるで泣いた後のように涙で濡れて赤く染まっていた。


 一瞬、ジークハルトを追求しようと思ったが、それをユースティアに遮られる。


「大丈夫だシズル。大丈夫だから……」

「ユースティア」


 彼女が強い少女なのは重々承知だ。そんな彼女がこうして強さを残したまま、それでも辛そうにしているのはきっと、彼女の中で様々な葛藤があるのだろう。


「……それでは私はこれで」

「はいジークハルト様」


 ジークハルトが歩き去っていくのを見送りながら、シズルはそっと倒れそうになっているユースティアを支える。


 そうして完全に王子が見えなくなってから、シズルは再びラウンジでユースティアを休ませる。


 椅子に座り、背もたれに体重を乗せた彼女は、そのまま天井を仰ぐようにじっと見上げる。


「ああ、駄目だ……このままだと、また泣いてしまう」


 そんな弱気な声をだすユースティアに、シズルはつい問いかけてしまう。


「俺に、何か出来る事はないかな?」

「……今だけ」

「うん?」


 正直答えが返ってくるとは思っていなかったので、ついそんな間の抜けた返事を返してしまった。


「今だけでいい……シズル、ほんの少しだけ、抱きしめてくれないか?」

「っ――⁉」


 そんなシズルとは対照的に、潤んだ瞳でユースティアはこちらを見る。


 その十二歳とは思えない扇情的な雰囲気を出していて、思わず目が離せなくなってしまった。


 一瞬だけ交差する視線。そしてユースティアはハッとした様子で目を見開くと、少し弱った瞳を伏せてしまう。


「私は、なんとはしたない……婚約者がいる相手に何を言っているのだ? ……すまないシズル。今のは忘れてくれ。これではまるで私がお前に――っ⁉」


 ユースティアが何かを言う前に、シズルが彼女の顔を自分の胸へと引き寄せる。そうして黙っていると、自分の胸が彼女の涙で濡れていくのがわかった。


「う、ぅぅぅぅ……こ、こん、なっ……こんなところ、お、おま……」

「……今だけ、誰も見てないから。だから……今だけは、思いっきり泣いていいからっ」

「ぁ、ぅ、ぁ……ぁぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 そうしてシズルはただ、幼子のように涙を流す友人を、そっと抱きしめ続ける。


 彼女と王子の間で何があったのか、それはわからない。だがしかし彼女はそれを受け入れ、しかし抑えきれない感情は止められなかったのだろう。


 いくら強いとはいえ、いくら国母となるべく育てられたとはいえ、ユースティアはまだ十二歳の少女なのだ。


 そんな少女が、たった一人で何でも抱え込めるはずが、ないではないか。


 だからこそ、こんなときくらい胸を貸してあげるのが男だろう。


 そう思い、シズルはユースティアが落ち着くまで、ずっと黙って抱きしめ続けるのであった。


 



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