第51話 ユースティアの心

「人は、神の怒りに触れてはいけない……か」


 そんな中、被害を受けないように遠くからずっと見ていたユースティアが、ぽつりと呟く。それはかつて彼女の婚約者であるジークハルトが、シズルを見ながら言ったセリフだ。


「たしかに、あれはとても人が持てる力とは思えない。だが……」


 ユースティアはその力を振るうシズルを見る。これまで学園で出会い、一緒に行動し、そして思う。


 シズルは決してその力をひけらかすようなことは一度もしなかった。彼が本気なれば力で学園を支配することだってできたはずだ。


 だがそんなことなど考えず、私利私欲のために使うこともせず、友人ができずに一人途方に暮れるような、そんなどこにでもいる少年。


 神のごとき力を持つ少年は今、その力を誰のために使ってくれているのか……。


「私のため……」


 トクン、とユースティアは自分の心臓が跳ねる音を聞いた。思わず顔が赤くなる。


 だがユースティアはその気持ちを否定する。


「違う、これはそうじゃない。私はジークハルト様の婚約者だ。あの方のために生きると決めたのだ」


 それがかつてのジークハルトに誓った、己の決意。彼は誰よりも努力家で、誰よりも王国の未来について考えており、誰よりも優しい方なのだ。


 今はエステルという強烈な力を前に、一時的に道を誤っているがそれもきっと王子なら気付いてくれるはず。今歩んでいる道は、破滅にしか繋がっていないのだから。


「だが……」


 そう信じているが、それでもジークハルトなら破滅の道すら踏破してしまうのではないかと、不安に思う。


 何故なら、その道の先に自分の姿はないから。破滅の道を歩むジークハルトに付いて行けるほど、自分は強くないと知っていた。


「もし、もしもジークハルト様が道を突き進むというというなら……止めたい。だが止められるか? あの人の意思の強さを、私はよく知っている……」

「ユースティア……」

「……ミディール」


 憔悴しきった表情で、それでもこちらを見てくるミディールの顔色は悪い。


「君はいいんだ」

「なに?」

「あの人はもう止まらない。あのエリーを模した悪魔を滅ぼした時点で……いや、シズルと戦った時点であの人の目的は全て完遂されているんだから」


 そう確信したように言葉を紡ぎながら、ミディールはジークハルトを見る。


 その視線を追う様にユースティアも王子を見ると、彼は神の雷を放つシズルを見ながら口角を釣り上げて嬉しそうな表情をしている。


 あのような顔、ユースティアは見たことがなかった。


「どういうことだ。ミディール、お前は何を知っている?」

「ジークハルト様の目的はずっと一つだったってことだよ」

「だからその目的を――っ!」


 ミディールを追求しようとした瞬間、彼の瞳が揺れていることに気付いた。そしてその瞳にあるのは……羨望の眼差し。


「ユースティアも、ジークハルト様も羨ましいよ。僕はもう、誰かをそんな風には思えない」

「……何なのだ。お前も、ジークハルト様も、ずっと、ずっと一緒だったじゃないか! なのに何故、お前はそんな目で私を見る! そんな、そんな生涯の別れのような瞳で私を見るのだ!」


 ミディールの態度はまるで自分とユースティアの道は分かれたのだと、そう言いたげな雰囲気だ。


 それがユースティアには納得が出来なかった。ジークハルトと出会って七年。ミディールと出会って五年。彼らとはそれだけの間を一緒に過ごしてきたのだ。


「なあミディール! 私は、お前たちと――!」

「駄目だよユースティア。君までこっちに来ちゃ駄目なんだ」

「何故だ⁉ 私はジークハルト様の婚約者だ! 誰よりもあの方のために生きてきた! これまでも、そしてこれからもずっと!」

「……そんな君だから、駄目なんだ」

「っ――⁉」


『……だから、お前では駄目なのだ』


その言葉を、つい先ほどジークハルトから聞いた。


 ――何故だ⁉ 何が駄目なのだ⁉ 


 ユースティアは視界が涙で歪む中、必死にミディールを見る。だがこれ以上語ることはないと、ミディールはジークハルトのもとへと歩いていく。


「待て、待ってくれ!」


 ユースティアが一歩踏み出そうとして、その足が動かないことに気付く。


「え、あ、うそ……だ……なぜ動かない⁉」


 別に何かに足を掴まれているわけではない。何か動かせない理由があるわけでもない。


 なのに、動かない。まるで一歩踏み出すことで、これまでの自分の人生が全て狂うのだと言わんばかりに、『己の意思』が足を動かすことを拒否している。


 本能で分かった。この足はきっと、一歩踏み出すことはないだろうと。


「ミディール!」


 だからせめて叫ぶ。足が動かないなら、動くものを動かすのだ。せめて声だけでも、そう思って、喉が切れそうなほど強く叫んだ。


 そうして、ユースティアの声に振り返るミディールの表情は、どこまでも穏やかだった。


「君は色々と厳しい振りして甘いから、僕が貴族として厳しくならなくちゃいけなかった。だけどね、君は君のままでいいんだ」


 違う、そんな言葉を聞きたいのではない。聞きたいのは、一緒にジークハルトを止めようと、そういう言葉だ。


「楽しかったよユースティア。そして、最後に君が心の底から信頼できる男が見つかったこと、ジークハルト様も、そして僕も本当に嬉しく思う」


 それだけ言って再びミディールはジークハルトの下へと向かう。そして、これまでシズルを見ていたジークハルトは、その瞳をユースティアに向ける。


「ジークハルト様!」


 彼はこれまで見たことないような、優しい瞳でこちらを見てきた。それはまるで、絶対に手の届かない、星の輝きに憧れる少年のような。


「なん……で⁉ どうしてそんな目で見るのですが! 私は、ユースティア・ラピスラズリは貴方様のために生きてきました! これまでも、そしてこれからも! なのに……どうして……」


 ユースティアは不意に、体の力が抜けて膝を着く。そんな彼女をルキナは、ただただ悲しそうに見ていた。


 そして――。


「さらばだ、ユースティア。私の人生の半分を担ってきた、まさに我が半身」


 ジークハルトはエステルとミディールを連れて、その場から立ち去ろうとする。


 その瞬間――。


「そうはいかないよね」


 ジークハルトの腕を、シズルが掴んで止めるのであった。

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