第52話 ケジメ

 シズルはエリーだった悪魔を滅ぼした後、その力の放出に思わず放心状態になっていた。そして気付けば、ユースティアが泣いていたのだ。


 その視線の先には、ジークハルトたちがいる。


 状況は把握できていない。だがしかし、彼女を泣かしているがジークハルトたちだということだけは理解できた。


「これだけのことをしたんだ。逃げようったってそうはいかないよ?」

「フォルブレイズ。お前ももう限界だろう?」

「まあね。だけどさ、ユースティアが泣いているんだ。だったら男として、もう少しだけ、気合いいれて格好つけないと」

「……」


 ジークハルトがシズルの手を振り払おうと、凄まじい力を放つ。だがしかし、その手が外れることはなかった。


「し、シズル……」

「ミディールも、結局色々知ってたわけだ」


 彼の立ち位置がどの場所にいたのか、シズルには正確に理解できない。だが少なくとも、エステルとジークハルトが組んでいることは知っていたはずだ。


 それであの夜、こちらの助けを求めてきたのだから、大した役者だと思う。


「ミディールがこちらの事情を知ったのは最近だ」

「あ、そう。だけどまあ、そんなこと関係ないかな」

「むっ」


 そう言うとシズルは己にかけた『雷身体強化<<ライトニング・フルバースト>>』を、全力でかけなおす。


 瞬間、爆発的な魔力が高まり、ジークハルトの身体が一瞬だけ宙を浮いた。


 その隙をシズルは逃さない。


 浮いた瞬間、シズルは全力で大地を蹴る。もちろん、腕を掴んだジークハルトをそのままに、ユースティアの下へと連れてくるのだ。


「あ……」

「……」


 ユースティアが呆然とした様子でこちらを見ていた。そしてジークハルトは珍しく、いつもの余裕な表情を崩して少し気まずそうに見える。


「ほらユースティア。言いたい事があるなら、自分で言わないと」

「あ、でも……」


 ユースティアが何かを言いかけて、そして止めるように口を紡ぐ。その気持ちはよくわかった。


 今何かを言ったとしても、それを受け入れてくれる状況とは思えない。


 だがそれでも、何も言わなければ何も解決しないのだ。だからこそ、シズルはそれ以上の言葉を出さず、ただ心の中で頑張れと言い続ける。


 その気持ちが伝わったのか、ユースティアは覚悟を決めた様子でジークハルトに目を向ける。


「ジークハルト様……教えてください。私の、いったい何が悪かったのでしょう?」

「お前は悪くない」


 まるでこれ以上答える気はないという意思の表れか、ジークハルトはただ一言だけを返す。その明確な拒絶の意思に、ユースティアの心が折れそうになる。


 だがそれでも少女は俯かない。まっすぐジークハルトを見て、そして何かに気付いたような表情を見せた。


 シズルはそれに気づいたが、ユースティアがジークハルトの何に気付いたのかまでは分からない。ただ、ほんの少しだけ生気を取り戻したようにも見える。


「私は、貴方様に相応しくありませんでしたか?」

「お前ほど国母に相応しい者はいないと思っている」

「答えになっておりません。ジークハルト様、私の目を見て、はっきりとお答えください」


 これまでと違い、ユースティアの声には覇気が籠っている。


 水晶のような美しい瞳は紅く充血しているが、それでも彼女は先ほどと違って、ジークハルトと向き合えていた。


 むしろ、追い詰められたような表情をしているのはジークハルトの方だ。


「お前は私には相応しくなかった……」

「っ――! そう、ですか……」


 そんなはずがない。ユースティアに相応しくない男など、いるはずがないとすら思う。


 そもそも、誰よりも国母に相応しいと言っているのに、一国の王子たる身でありながら、その発言は矛盾しているのではないだろうか。


 だがユースティアは一瞬だけ傷ついたような表情を見せてから、キッっと瞳を鋭くして大きく手を振りかぶる。


「ジークハルト様……お覚悟を」

「ああ……お前のそれはとても痛そうだ」

「きっと痛いですよ。でも、これで終わりにしますから」


 そう言った瞬間、甲高い音が学園中に響き渡る。音の発信源は、ジークハルトの真っ赤に染まった頬。そして、ユースティアの平手打ち。


 そのあまりの勢いで吹き飛ばされるジークハルトに、シズルは思わず手を離していまう。


 そのせいか彼は受け身も取れずに尻もちをつくことになり、普段の様子とは打って変わって妙に間抜けな体勢だ。


 そんなジークハルトを、ユースティアは見下すように睨む。


「ジークハルト様……最後に、けじめだけはしっかり付けてください。逃げずに、前を向いて、いつものように威風堂々と私たちの前に立っていてください」


 それだけ言うと、ユースティアは背を向ける。そしてそこから一歩踏み出し、振り返ることなく講堂へと向かっていった。その歩き姿はどこまでも凛々しく、美しい。


『あーあー。いーたそー」

「ああ……とても痛いさ」


 残されたのジークハルトは、満足げに笑う。だがしかし、それがやせ我慢だとシズルにはわかった。


 なぜなら、普段の様子からは考えられないほど、ジークハルトは心ここにあらず、という雰囲気で立ち上がることすらしないのだから。


 シズルはそんな彼に近づいていく。


「それで、事情を説明する気は?」

「この状況でさらに追い打ちをかけてくるかフォルブレイズ」

「今のジークハルト様に同情の余地があるとでも?」


 ここまでことを大きくしたのだ。さすがに説明をする義務があるだろう。


 そしてきっと講堂の方ではユースティアがしっかり対応しているはずだ。


 その内容は事前に打ち合わせをしていた通り、ジークハルトは悪魔に操られていただけだという説明がなされることが決まっていた。


 あとはこの王子さえ観念すれば、これまで通り元の生活に戻ることができる。


 エステルという悪魔はかなり危険だが、それはシズルが見張ればいい。もし抵抗するというなら、今度こそ消滅させてやるだけの話だ。


「そうだな。と言いたいところだが、さすがに今日は疲れた。話は後日でいいか?」

「逃げません?」

「嘘は得意だが、今回ばかりは逃げないと誓おう」


 シズルはその瞳じっと見る。真顔で嘘を吐ける男だが、今だけは何故か信用出来た。


「わかりました……その代わり、けじめをつけずに逃げたら、地の果てまで追いかけますからね」

「ふ、感謝する」

『じゃ、そういうことでー』


 瞬間、エステルの転移魔術が発動し、ジークハルトの身体が消える。そして気付けばミディールも同じようにその場から消えていた。


 これだけの大事件を起こしておいて、彼らの目的は結局なんだったのか。


 また後日分かることとはいえ、気になるものは気になる。やはりあの場で吐かせるべきだったかと、思わずにはいられない。


 とはいえ、ジークハルトとの戦闘、そしてエリーだと思われていた悪魔との連続の戦いによって、シズルも心身ともにかなりの負担が大きい。


 正直言って、立っていることすら億劫だ。


「……さすがに疲れた」

「お疲れ様でしたシズル様」


 地面に座り込んで倒れそうになる身体を、ルキナがそっと支えてくれる。その柔らかい手のひらの熱を感じるだけで、シズルの身体に力が入る。


「ルキナ……結局、ユースティアの想いはジークハルト様に届いたのかな?」

「……それは」


 自分の言葉に、ルキナは気まずそうな顔を作る。


「ごめん。本当は俺も分かってるんだ。ジークハルト様は決してユースティアのことを蔑ろにしてたわけじゃないってことはね」

「はい。あの方の本当の気持ちは分かりませんが……それでも、ラピスラズリ様のことを大切に思っているのだけは本当だと思います」

「うん、そうだね」


 だからこそ、シズルはこの場からジークハルトが立ち去るのを黙って見ていたのだ。


 結局のところ、あの王子は最後の最後まで本心を見せないだろう。それはそういう生き方をしてきたからなのか、それともそれだけの覚悟を背負っているのか、分からない。


 だがしかし、それでもシズルは少しだけ、あの王子を信じたいと、そう思うようになった。

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