第38話 過去
シズルたちの話を聞いていたのだろう。顔を青くしながらも、ユースティアは険しい表情でこちらに歩いてきた。
「ラピスラズリ様……」
「ユースティア……休んでいた方がいいって言ったのに」
おそらくずっと泣いていたのだろう。彼女の瞳は真っ赤に腫れ、憔悴した様子を隠せていない。だがそれでも、その足取りはしっかりとしたものだ。
「私も休む気でいたさ。だがな、どうしてもベッドで横になると先ほどの悪夢が頭をよぎるのだ。それなら少しでも歩いた方が気晴らしになると思って出てきたら、お前たちがいて……」
「どこから聞いてたの?」
「ジークハルト様が、正気を失っていないというところから」
それはつまり、ほぼ全てを聞いていたということだろう。
「いちおう言っておくけど、これは俺たちの推測だよ?」
闇の大精霊ルージュの存在は、たとえ友人であるユースティアにも隠さなければならない秘匿事項だ。だからこそ、先ほどの会話はあくまでもその可能性があるだけ、ということを強調する。
しかしユースティアにとってはその辺りは関係ないのだろう。
「いや、きっとお前たちの推測通りだろう。ジークハルト様は、たとえ相手が悪魔であろうと己を失うような人ではないのだからな」
「……ユースティア、それは」
「おそらくあの人にとって、悪魔の手を取ることこそ、目的達成のために必要な最短の道だったのだ。私とともに歩むよりも……」
悪魔の手を取ってでも、成し遂げたいことがある。
ユースティアはそう言うが、そのための己を想ってくれる人を蔑ろにする感覚が、シズルには理解できなかった。
だがルキナもそれで納得がいったのか、一歩前に出る。
「ユースティア様。もし良ければ、ジークハルト王子のことを、教えてくれませんか?」
「そうだな。今の状況を理解するにはきっと、ジークハルト様のことを知ることが必要だからな……」
そう言って語りだしたのは、ユースティアとジークハルトの出会いからだった。
ユースティアはラピスラズリ公爵家に生まれる前から、すでに次世代の王子の誰かに嫁ぐことは決まっていた。
それはこれまでの公爵家の功績もだが、それ以上に王宮における権力のバランスを取るためというのが大きかった。
そうして生まれた時から王族に嫁ぐための教育を受けてきた彼女にとって、それは当たり前の話であり、厳しいということさえ思うことはない。
疑問などなく、大人でさえその厳しさに涙を流すと言われる王族の教育を、生活の一部としてこなしていく。
五歳となったとき、ユースティアは王宮へと参上を言い渡される。そこで王子との初対面となるのだが――。
「衝撃だったよ。私が初めて王宮に行き、婚約者である王子との初の顔合わせで、あの人は血塗れだったのだからな」
「……」
それは王宮の権力争いの結果だったのだろう。ジークハルト王子はその日、暗殺者に命を狙われ、部屋で血塗れで倒れていたという。
「その翌週には王子は毒を盛られた。そして毒を盛ったのはジークハルト様の乳母だ。どうやら他の王族の誰かが人質を取って命令を下したらしいが……」
当然その乳母は、一族郎党すべてが処刑となった。
噂では聞いていたが、ジークハルトの人生は壮絶の一言だ。
ほぼ毎日、暗殺者に命を狙われ、彼の周りの人間は信用できるものから、裏切りを示唆されていく。
彼が普通の王族であればそこまでの立場に追いやられることはなかった。
だがしかし、ジークハルトは王が地位の低い家柄から生まれた子。他の義兄弟たちからは受け入れられることはなかった。
「だからって、そこまでする必要があったの?」
「普通であればなかった。だがしかし、ジークハルト様は普通ではなかった。他の王族たちよりも、明らかに突出した才能を見せたのだ」
ゆえに、排斥される。自分たちよりも生まれが劣る人間が、自分たちよりも上の力を見せたことを、妬まれ、恨まれ、そして命を狙われることになったのだ。
「それまで王族に嫁ぐことに不安も疑問もなかった私は、そんなジークハルト様の環境を知って怖くなった。あの人の下に嫁げば、自分は必ず殺されると、そう思ったのだ」
故に、ユースティアはジークハルトに婚約を破棄して欲しい懇願した。
「え?」
「本当に?」
その言葉に、シズルとルキナは驚いた。
なにせ今のユースティアは、ジークハルトとの婚約を受け入れている。
それどころか、王子を敬愛し、尊敬し、彼の傍にいることを望んでいるのは誰の目から見ても明らかだ。
「それで、どうなったの?」
「……あの人は笑って受け入れてくれたよ。それどころか、私の立場が悪くならないように、自分が納得できないからだとラピスラズリ家へ直訴しようと言ってくれたくらいだ」
当時のユースティアはそれが衝撃的だった。
何故、この王子は婚約破棄だという名誉を傷つけられたというのに笑えるのだろうと、まるで自分とは違う生き物を見る目で見てしまったくらいだ。
「だがあの人はわかっていたのだ。自分の立場がいかに危険かを。そして、傍にいる人間がどれほどの危険に晒されるのかを」
婚約破棄を笑って受け入れてくれたジークハルトを、ユースティアは不思議に思った。
幼いとはいえ公爵家から英才教育を受けてきた才女だ。ここで王子が自ら公爵家の令嬢を無下にすれば、その立場はさらに悪くなるに違いないことなど、簡単に理解できる。
ジークハルトがまだ生きていられるのは、他の王族たちが本気になっていないからだ。
もっといえば、遊んでいるに過ぎない。ここで更なる弱みを見せればどうなるかなど、簡単に想像できるはず。
「優しい人なのだ。己の身よりも私の心を優先し、更なる苦難を自身が受け止められる強い人。知っているか? ジークハルト様の身体にはな、数多の傷があるのだ。その中には心臓に届きかねないほど深い傷もあった」
暗殺者に命を狙われるなど日常茶飯事。そして守るべき騎士たちが裏切ることもまた、当たり前の日常だった。
だからこそジークハルトは周りの誰も信用できなかったし、己で強くなるしかなかった。
「だから、ユースティアは傍にいることを決めたの?」
そう言うと彼女は自重気味に薄く笑う。
「違うさ。私はただ怖かっただけだよ。私が望んだ選択の結果が、誰かを傷つけることをな」
そうして正式に婚約を決めた二人だが、そこから順風満帆とはいかなかった。
ジークハルトは相変わらず己の意思を貫き通し、その才能を他の王族へと見せつけ、それに触発されるように、嫌がらせの過激さは上がっていく。
「彼が殺されなかったのは、ラピスラズリ家が正式なバックに付いたからだ。父はジークハルト様の才能を見て、次世代の王は彼しかないと全面的に支援したからな。他の王族から見れば更に苛立たしいことだったが、さすがに最後の一歩までは踏み込めなかった」
だからこそ、ジークハルト本人の命を脅かすレベルのものはなくなったが、それでも嫌がらせが続いたのだと、ユースティアは話す。
「とはいえ、ジークハルト様の王としての才能は本物だ。我が父だけでなく、ミディールの祖父もそれを認め、あの人を全面的に支援することを決めた。身分の低い王子という立場から、王位継承権第二位まで駆け上がったのだ」
彼よりも王位継承権が高いのは、ただ一人だけ。そしてその人物はこの国にはいなかった。つまり、実質この国の次世代の王子はジークハルトになったのである。
今まで自分たちよりも下だと見ていた他の王族たちは、その状況に激怒した。
――そして、事件は彼が八歳のときに起きる。
「ジークハルト様の母上であるルーティ様が、暗殺されたのだ」
「っ――」
王が己の跡を争い合うことを望んでいたことも拍車をかけたのだろう。
そしてどんどんと実力とカリスマ性を高めていくジークハルト本人に手が出せなくなってきたことも原因だった。
彼に対する嫌がらせという理由だけで、ジークハルトの母親は殺されることになる。
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