第26話 真実
それからしばらく、シズルは黙ってローザリンデの話を聞き続けた。
そして彼女の、フォルセティア大森林で生きる者全ての思いを理解した。
全ての力を失う直前、風の大精霊ディアドラは己の復活のために自身の半身とも呼べる存在を生み出した。
それこそがディアドラと同じく白銀の髪を持つ少女、イリス。
力を失ったディアドラを復活させるためには、イリスに精霊の魔力を集める事が必要だった。
そうして集めた魔力と共に大精霊にその身を捧げる事で、大精霊ディアドラは復活を果たすという。
「大精霊ディアドラの復活は我らが悲願。ゆえに、絶対に為さねばならん」
「……そう、そういうことなんだ」
彼女達にとって神にも等しい存在であるディアドラ。
それを復活させるためなら、一人の少女の命など犠牲にしても仕方がないという事だろう。
何せ、イリスは元々ディアドラを復活させるために生まれてきたのだから。
思わず怒鳴りつけそうになり、自身の言葉を何とか飲み込む。
その代わり、無理矢理感情を抑えつけるために噛んだ唇からは血が流れてしまう。
「こんな我らを軽蔑するか?」
「……どうだろう。ローザリンデ達にも譲れないものがあるって事は理解しているつもりだよ。ただ、それを許せるかどうかは別の話だけどね」
イリスを見ると、顔を俯かせて震えている。
自分が死ぬために生まれてきた、などと言われて納得が出来るだろうかと自問自答して見ると、到底納得など出来るはずがなかった。
だからこそ、彼女はシズルに助けを求めたのだ。
とはいえ、もはやここまで来ればどうしようもない。
それが分かっているから、ローザリンデも自分達に事情を話したのだろう。
「ローザリンデ、一つ聞きたい」
「なんだ?」
「イリスを犠牲にしない方法はなかったの?」
「……あった」
「っ!?」
ここで肯定されるとは思わず、つい身体が前のめりになる。
しかし彼女の言葉は過去形、つまり今はもうないという事だ。
「それなら――」
「もう無理だ。我々にはこれ以上時間がない」
「時間……?」
「ああそうさ! 本当はイリスを犠牲にせずにディアドラ様を復活させる方法はあったんだ! これまで集めた精霊の魔力の十倍ほどあれば、イリス一人分の存在を補うことも出来た! だけど、だけどなぁ!」
突然感情を爆発させたローザリンデは立ち上がり、そして自分が今どんな状態なのかを理解してすぐに座る。
「……もう駄目なんだ。もはやフェンリルの封印が解ける猶予などないのだから」
旅の途中、森で復興しているエルフ達から封印されているフェンリルの状況も逐一聞いていた。
今年に入ってから森で魔物達の動きが活発になっているという話。
満月の夜を超える度に封印が解けかけているという話。
そして、実際に魔物達の中にはフェンリルの意思を恐れて、逃げ出し始めるものまで現れたという話。
これらを総合して考えて、そう時間がないことは理解していた。
「大精霊ディアドラが復活しないままフェンリルの封印が解かれれば、今度こそフォルセティア大森林のあらゆる生き物は絶滅する」
「そんな……いや、フェンリルを倒せば」
「無理だ! 私の父も、母も、一族の多くがあの化物に殺された! 例えエルフ総出で掛かっても、全滅以外に道はない! ……我々はそれを心に刻まれてしまったのだ! だが、だが今ならっ!」
今の封印状態のフェンリルに対し、ディアドラが復活すれば今度こそ滅ぼすことが出来る。
それがエルフ達の総意であり、イリスを生贄に捧げることすら必要な犠牲と割り切った事実。
だがシズルは知っている。ローザリンデがイリスの事を本当に大事な、それこそ妹のように思っていることを。
「ローザリンデは、それでいいの?」
「ああ、私はもう覚悟を決めている」
「イリスは? 死にたくないんじゃないの?」
そう言ってイリスに問いかけると、彼女は儚い笑みを浮かべて首を横に振った。
『もういいの。ありがとうシズル』
「……え?」
それはシズルにとっても予想外の返事だった。
これまで彼女は助けて欲しいと訴えかけ、この森に入る前からずっと死ぬことに対して恐怖を覚えていた。
だというのに、彼女はまるで全てを諦めたかのように死を受け入れている。
『私ね、ずっと死ぬのが怖かった。だからね、シズルが助けてくれるって言ってくれて、すごく嬉しかった』
「だったら!」
『でもね、私が生まれた意味が、使命がディアドラ様を復活させるためだっていうなら、それを果たさないと』
「待って……それはおかしいよね? だって君は、死にたくないって言ってたじゃないか! なのに何で急に……」
『ほら、エルフの集落に入った時、みんな泣いてたよね。あれを見て、ああ私は故郷を守らなきゃ、大森林のみんなを守らなきゃって、そう思ったの』
イリスの態度は明らかにおかしい。
少なくとも、本当に覚悟を決めたのであれば、こんなにも身体を震わせて、恐怖に怯えた表情をするはずがなかった。
彼女の引き攣った笑顔は、まるでこれから断罪される者が最後に浮かべる、達観の表情だ。
明らかに言わされている。
そう判断したシズルはローザリンデを睨みつけて怒りを隠さないまま声を出した。
「おいローザリンデ、これはどういうことだ?」
「聞いての通りだ。イリスは自分の意思で覚悟を決めて、ディアドラ様を復活させる礎になってくれることを了承した」
「ふざけるな!」
淡々と事実だけを述べるような彼女の言い分に、シズルは激昂してテーブルを叩き付ける。
凄まじい音が家に響き渡るが、そんなもの関係なかった。
「彼女を顔を見ろ! 彼女の声を聞け! どう考えても、自分の意思で言っていないだろ!」
『シズル、いいの……もう、いいの』
「いい訳ない! 君はやっぱり死にたくないんだよね? 生きたいんだよね!? だったら、最期まで足掻かなきゃ――」
立ち上がったシズルは、思わず足元がふらつきテーブルに手を着く。
「っ――これ……は?」
「ようやく効いてきたか……本来なら即効性のある強力な薬だが、お前達兄弟は呆れるほど耐性が強いな」
「くっ!」
腕にも力が入らなくなり、思わずソファに倒れ込む。
激昂していて気付かなかったが、隣に座っていたホムラはすでに意識を失っていた。
どうやら用意されていた飲み物に、一服盛られていたらしい。
「ぅ……ヴリトラ……」
『おいシズル! どうなっている!? お前の意識が無くなれば、契約している我は表には出てこれ――』
意識を失う前にヴリトラに魔力を流してもらい、一気に眠気を吹き飛ばそうとしたが、間に合わない。
もはや瞳を開けてられなくなり、シズルの意識は遠のいていく。
せめてもの抵抗と、必死に手を伸ばすが、その手が彼女達に届くことはなかった。
「……すまない、シズル。これも我ら一族のためなのだ」
『っ……ぅぅぅ』
ぼやけた視界の中に残るのは、苦渋の表情で歯を食いしばるローザリンデと、嗚咽を我慢しきれずに泣いているイリスの姿。
――ああ、二人揃ってなんて顔をしてるんだ。
シズルは薄れゆく意識の中、彼女達の後悔と懺悔、そして恐怖と絶望の感情を一身に受け止め歯を食いしばる。
――こんな、こんな間違ったやり方……絶対に認めない! こんな誰も幸せにならない結末なんて、絶対に認めないからな!
これから先、シズルが起きた時には全てが終わっているかもしれない。だが絶対にそうはさせない。
何故ならシズルは約束したのだ。
――イリス、君の事は俺が守るから。だから、だから絶対に最後まで諦めないで!
そう最後に呟いて、シズルの意識は暗転した。
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