第27話 それぞれの思い

 ローザリンデが用意したのはエルフの集落に昔から伝わる強力な薬だ。無味無臭でバレることなく、一度飲めば丸一日は起きる事がないだろう。


 この旅を通してシズルたちの強さは知っていた。


 もし彼らがイリスを助けようとすれば、エルフ族と全面戦争になったことは間違いない。


 そうなれば、負けないまでも多大な犠牲を払う必要があっただろう。


 シズル達が完全に寝入った事を確認して、そんな未来が訪れなかったことに安堵しながら立ち上がる。


「さあ行くぞイリス。全てを終わらせにな」

『……』

「心配するな。ただ眠っているだけだ。言っただろう、お前がちゃんと使命を果たせば二人の命は保証すると」


 諦めたように無気力な表情で頷くイリスを見て、ローザリンデの胸が痛くなる。


 イリスが生まれてから今まで育ててきたのは自分なのだ。彼女の事は誰よりも知っている。


 だからこそ、このような手段を取らねばならなかった自分が許せなかった。


「お前がこの森の者達を恨んでいるのはよく理解しているつもりだ。だからこそ、外部の人間が必要だった。お前が守らないと、命を失ってしまう誰かの存在がな」

『……』


 シズル達はイリスに対する楔であり、人質だ。


 彼女自ら生贄になる事を選ぶには、森の住民以外に守るべき者を作る必要があった。とはいえ、そんな都合の良い存在が上手く現れるわけがないと半分諦めてもいたものだ。


 だがある日、まるで神の啓示ではないかと疑うほど都合の良い依頼がローザリンデの下へとやってくる。


 フォルセティア大森林までの護衛依頼。


 一月近くかかるこの依頼であれば、相手がよほどの者でない限り心優しいイリスの事だ。親しくなるのも時間の問題だろう。


 その思惑通り、イリスは旅の中で徐々にシズルに対して心を許すようになっていたし、シズルもまた、イリスに対して心を許していた。


 二人の信頼関係が結ばれれれば結ばれるほど、イリスの未来は死に近づくとも知らないで。


「……私は最低だな」


 そう呟きながら、とはいえ正直これほど都合良く行くとはローザリンデも思っていなかった。


 何せ自分達がどれだけ無理強いを強いたところで、最終的にはイリスの意思がなければ封印の解除には至らないのだ。

 

 彼女は言葉を発しない。昔はまるで姉のように慕ってくれていたものだが、随分と嫌われたものだ。だが、それでいいと思う。


 今やイリスにとって自分は、彼女を殺すために仲間達を脅しの道具に使った最低の存在なのだから。


「そうだ。私を恨んでくれて構わない。だがお前はこの日のために生まれてきたし、私はこの日のためにお前をずっと守ってきたんだ。だから、もう諦めろ」


 睨むように立ち上がったイリスは、シズルの傍によるとその身体を風で浮かせ、隣の部屋へと連れて行く。


 その後ホムラも同様に、彼の部屋へと置いた。


 そうしてペコリと頭を下げて、背を向ける。もはや彼女は逃げることなく、その命を散らして封印を解くことだろう。


「ああ、だが私は嬉しいよ。お前がこうして、誰かのために命を投げ出せる優しい子に育ってくれたことが、何よりも誇らしい」


 三年間、ずっと守ってきたその背中。笑い、泣き、人のために生きられるイリスの成長を、もっと見守っていたかった。


「だからこそ、私はお前を一人にはしない。絶対にだ」


 イリスには聞こえないようにポツリと呟きながら、家の中を出る。


 目指すはディアドラが眠っている大精霊の祠。そこでイリスはこれまで溜めた魔力と彼女自身を鍵として、この森の守護者を蘇らせる。


 そして――



「っ――!」


 シズルが目を覚ました時、すでに太陽は頂点を超していた。


「ローザリンデは!? イリスはどうなった!?」

『やっと起きたかシズル! だがまずは落ち着け! 身体に異変はないな!?』

「くっ!」


 慌てた様子の自分を嗜めるように、ヴリトラが姿を現す。その言葉に従い、一度だけ深呼吸を行うと、そのまま魔力の巡りを確かめる。


「……問題ない。むしろ今まで以上に快調なくらいだよ」

『そうか、ならいい。お主の意識がない間は我も表には出てこられんからな。事情は分からんがどうやらしてやられたようだ』


 窓の外を見れば、エルフの集落だと言うのに誰一人外を歩いている者はいなかった。どうやら儀式のため、全員が出払っているのだろう。


「くそ!」

『感情的になるな。今この村に誰もいないという事は、つまりまだ儀式は行われていないか、その途中のはずである。イリス殿を助けたいならまずは冷静になり、やるべきことを明確にするのだ』

「あ……」


 その言葉にシズルは熱くなった頭に冷や水をかけられたような気分になる。


 淡々とした口調であるが、そこに込められた熱意はシズルの事を心から思っている言葉だ。


 冷静さを取り戻したシズルは、改めてこの小さな精霊に感謝する。


「そうだね。ヴリトラの言う通りだ……ありがとう、少し落ち着いたよ」

『ふ、我はシズルの相棒だからな!』


 その自信満々に胸を張る仕草に少し心を落ち着かせながら、シズルは自身が気を失う前の事を思い出す。


「とりあえず、まずは兄上を起こしてイリス達を追いかけないと……」


 自分と同じく薬を盛られて意識を失っているはずだと思い扉を出る。


「おう、やっと起きたか」

「えっ? 兄上?」

「んだよ、俺が先に起きてちゃ悪いか?」

「あ、いえ……そうではなくて……」


 当たり前のように居間のソファに座って寛いでいる兄を見て、シズルは呆気に取られてしまう。


 自分よりも先に起きていたのは別にいい。


 シズルは別に薬に対する耐性を持っているわけでもないし、それに対する訓練をしてきたわけでもないのだから。


 しかし先に起きていたのなら、何故自分を起こしてくれなかったのか。


 少なくともローザリンデの話を一緒に聞いていて、今がどういう状況か理解出来ていないはずがないだろう。


「ま、お前が今何を考えてるのかは分かるが、とりあえず飯食え。話はそれからだ」

「いやだから、今はそんな悠長なことをしてる暇は……」

「いいから喰え。じゃねえといざって時に力が出ねえぞ」


 この家に置いてあったものなのか、テーブルの上には野菜や肉が乱雑に並んでおり、ホムラはそれを豪快に食べていた。


 シズルとしては今すぐにでも追いかけたい気持ちが強いのだが、どうにもホムラ自身が動く気配を感じられない。


 一人で飛び出してもいいのだが、確かにこれから戦闘になる可能性が高い以上、食事を取ること事態は間違った選択ではないだろう。


 何より、今の兄には何か逆らい難い雰囲気がある。それはまるで、英雄であり父であるグレンを前にしているような、そんな雰囲気であった。


 そんな兄の言葉に従うように、シズルは対面のソファに座る。


 それを見たホムラは獰猛な笑みを浮かべ、足を組み直した。


「食って、久しぶりに話そうぜ。兄弟水入らずでよ」

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