第22話 イリスの事情
ローザリンデが白狼族の長老と一緒に離れた瞬間を狙って、シズルはイリスを連れて集落の外れへと向かう。
集落の中心部では依然として炎と宴の喧騒が広がっているが、少し離れただけで虫の音も聞こえるほど静かな空間になっていた。
シズルはイリスと向き合うと、彼女は戸惑ったような、不安そうな表情をしていた。
――いや、ちがう。
彼女の瞳は不安でも恐怖でもない。必死に隠しているが、そこに映るのは深い絶望に己の生を諦めた絶望の表情だ。
彼女の助けの声を聞いてから、シズルは無意識のうちに彼女の顔を見ないようにしていた。
それは彼女の顔を見れば、自分の本来の目的から行動がブレるかもしれないと、そう思ったからだ。
母を助けるため、風の大精霊にエリクサーについて尋ねる。それこそがシズルの至上命題であり、それ以外のことに構う余裕など僅かにもなかった。
だから改めてイリスの顔を見た時、自分と同程度の年齢の少女に、こんな表情をさせていたのだと気付き胸を痛める。
「……ごめん!」
『っ――!?』
とにかく謝らないとと思い、勢いよく頭を下げる。地面に顔を向けているため彼女の表情は分からないが、驚いているのは雰囲気でわかった。
「ずっと、ずっと君の助けの声を無視してた! 君は俺を信頼して助けを求めてくれたのに、俺は俺の事だけを考えてあえて無視してたんだ!」
交易都市レノンで彼女は助けてと、そう言ったのだ。
一番信頼しているはずのローザリンデがいない時を狙い、シズルが一人の時に来た以上何かしらの理由があったのは簡単に想像できる。
だがあえてそこを想像しなかった。そこに踏み込めば、きっとかなりの厄介ごととなってシズルの行動を制限するだろうと思っていたのだ。
「だから、ごめん!」
そんなシズルに対し、イリスは何も言わなかった。
本当は聞いて欲しかったはずだ。だというのに、彼女はレノンを出て以来一度もシズルに何かを言おうという雰囲気すら出さなかった。
――きっと、この森に来たらもう後戻りは出来ないのだとわかっていたはずなのに。
シズルはずっと頭を下げ続ける。こんなことで彼女に対する贖罪になるとは思わなかったが、それでも顔を上げる事が出来なかった。
「……」
『……』
周囲の虫の音が響き、しばらく二人の間で無言の時間が流れる。
『シズル、顔を上げて欲しい』
「っ――!」
不意に、柔らかい鈴の音のような声が頭の中に直接流れ込んでくる。
『シズルは何も悪くない。悪いのは、私だから』
話す事に慣れていないのか、その言葉は少しカタコトで流暢とは言い難い。しかしそこに込められた相手を気遣う想いはしっかりと伝わってくる。
シズルが顔を上げると、イリスは涙を流しながらも柔らかく微笑んでいた。
だがその笑みは強がりだったのだろう。次第に崩れ始めた表情は、恐怖に色塗られていく。
『本当は、こんなこと言っちゃいけない。こんな事、願っちゃいけない。だけど、だけど……』
子供が怖くて怖くて仕方がないといった様子で、イリスは両腕を抱え込んで涙を流す。
『助けてシズル。このままだと私は、あの人達に殺されてしまう!』
その言葉の真意を掴もうとした瞬間、不意に二人の気配を感じて振り向く。
「ああ、こんなところにいたのか二人共。いなくなるなと言ったのに、全く相変わらず話を聞かないやつだな」
「ほっほっほ、まあいいではないか。せっかくの宴に若い二人だ。こうして抜け出したくなる気持ちはよくわかるがの」
ローザリンデと白狼族の長老の二人が笑顔で近づいてくる。しかしその笑顔の裏には、何か焦りのようなものも見受けられた。
イリスを見ると、先ほどまで取り乱していたのが嘘のように微笑んでいる。
しかし先ほどのイリスの声を聞いて、この笑顔が本心だとは到底思えなかった。
「ほらイリス、二人で何をしていたのか知らないが、こんな暗い所ではなんだ。せっかく宴をしてくれているのだから、中心に戻ろう」
ローザリンデはそう言って微笑みながら手を差し伸べる。その手をそっと握ったイリスは、そのまま彼女に連れられるように宴の中心へと戻っていった。
「……」
「悩み事かね?」
「ええ、色々考えさせられました」
「ほっほっほ、そうかそうか。しかし君らもまだまだ若い。あまり悩まず、真っ直ぐ突き進むといいさ」
「……そうですね」
もはや先ほどと同じようにこの老人を見る事は出来そうにない。そしてそれはローザリンデも同様だ。
自分は何も話していなかったし、イリスの声はどういう原理か脳に直接響くテレパシーのようなものだ。
ローザリンデ達に内容を聞かれたわけではないだろうが、この怪しい動きに警戒はされたかもしれない。
――上等だ。
イリスの事情を聞く気はなかった。だがしかし、きっとそれでは後悔すると思って聞いた。
それで良かったのだ。彼女の恐怖と絶望に彩られた表情を思い出し、あれを無視して母を助けてもきっと自分は後悔していたに違いない。
イリスは言った。あの人達に殺される、と。
それがローザリンデの事を言っているのか、それとも白狼族全体の事を言っているのかはわからない。
もしかしたらオーク族も、この先のエルフ達も全員がイリスの命を狙っているのかもしれない。
――関係ないか。
イリスに助けを求められた。周りの人間全てが敵に見えた彼女にとって、シズルに助けを求める事すら恐ろしかったのかもしれない。
それでもシズルを信頼して、打ち明けてくれたのだ。
そしてシズルにとってイリスはすでに守るべき『仲間』だ。
かつてシズルは雷神によって殺され、この世界に転生した。そうして強力な【雷神の加護】を頂き、最強を目指すと決めたのだ。
『仲間』一人守れなくて最強? そんなこと、口が裂けても言えるはずがない。
イリスの信頼に、応えたいと強く思った。
――安心して欲しい。
ローザリンデに連れて行かれるイリスの後ろ姿を眺めながら、シズルは決意する。
――俺は、君を守るから。
そう決意した瞬間、つい先ほどまでウジウジと悩んでいたころに比べて思考はすっきりする。
どんな敵も打ち砕く最強の雷。雷神によって与えられたこの力を誇りに、恥じない生き方をしたい。
否、しなければならない!
「長老……」
「うん? どうした?」
「俺は、俺の思うように真っ直ぐ進むようにしますね」
「そうかそうか、なら良し! 若いもんはそれくらいが丁度ええんじゃから変に迷うなよ?」
「はい」
シズルの言葉に長老は嬉しそうに笑うだけだ。そこに悪意は欠片も感じられなかった。
ローザリンデも、そしてこの長老も決して悪い人間には見えない。だが人の善悪は見方によって表にも裏にも変わるだろう。
ただ、イリスの願いはただ一つだけだった。
『生きたい』。そんな当たり前の願いさえ、感情に乗せなければ言えないなんてきっと、間違っている。
「さて、それじゃあまだまだ宴は続くんじゃ。お主も戻るといいさ」
そう言って長老はゆっくりと中心地に戻っていく。
その後ろ姿を眺めながら、シズルもゆっくりと足を踏み出す。
その足取りは、いつも以上に軽いものだった。
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