第3話 シズル

「シズル様、シズル様起きてください」

「ん……もう少し……寝たい」

「……もう、普段は大人っぽいのに、どうして朝だけはこんなに子供らしいんでしょうか? まあ、まだ七歳なんだから普通に子供なんですけど」


 ゆらゆらと、シズルの身体が優しく揺らされる。柔らかいベッドの上でのその行為は心地よく、覚醒し始めていたシズルの意識は再び、眠りの方向へとシフトし始めていた。


「朝ですよー、起きてくださーい。起きないと、悪戯しちゃいますからねー」


 可愛らしい声がシズルから離れるのが分かったが、その言葉を理解する前に、シャっとカーテンが開かれ、目の前が明るくなる。


「ん、んんん……眩し」

「おはようございますシズル様! 今日もいい天気ですね!」

「……おはよう、マール。今日も元気一杯だね」


 シズルが目を開くと、十五歳程度のメイド服を着た茶髪の少女が、まるで太陽のように明るく笑っていた。


 瞳はクリッとしていて愛嬌があり、サイドテールにした髪は柔らかくウェーブしていて可愛らしい。


 テキパキと己の準備を整えてくれるその姿は、朝から元気を分けてもらえそうで、シズルとしても彼女が専属メイドで良かったと思う瞬間だ。


「さあ、今日も予定がありますし、ちゃちゃっと着替えちゃいましょう!」

「うん、そうだね。じゃあ起きたし着替えるから、とりあえず出てってくれるかな?」

「え?」


 シズルがそう言うと、マールは絶望したような顔をして見つめてくる。


「え? じゃないよ。このやり取り毎度のことだけど、俺は一人で着替えられるから早く出てよね」

「うぅぅ……今日こそお着替え手伝えると思ったのにぃ……」

「いや、いつも一人でやってるじゃん。というか一体何をどう考えたらそう思うんだよ」

「だってシズル様ぁ……普通、貴族の方々は着替えなんかは使用人に手伝わせるのが基本なんですよぉ」

「俺は自分で着替えたいの」

「私は着替えさせたいんです!」

「ダメ。はい出てった出てった」


 マールの背中を押しながら追い出し、着替えるために鏡を見る。


 前世とは違う金色の髪に、同じく金色の瞳。華奢な身体に優しげな風貌は保護欲を湧き出させて、おとぎの国の王子様、と言われても頷ける。


 この顔を見ると、マールが着替えさせたいというのも、仕方がないような気もした。


「……流石に見慣れたけど、相変わらずイケメンだなぁ」


 こう言ってしまえば自画自賛のナルシストだが、前世の自分を知っているが故に、そのギャップに困惑してつい出てしまう言葉だ。


 元々不細工だったとは思わないが、この王子様顔と比べれば月とすっぽんである。


 さっと着替えて廊下に出ると、マールが背筋を伸ばして恭しく頭を下げてきた。


「お待たせ。それじゃあ行こうか」

「はい、お供します」


 部屋の中とは変わって仰々しい態度を取るマールだが、それも仕方がないことだろう。


 ここは貴族の、しかも侯爵家の本邸。


 シズルの父であり、現当主であるグレン・フォルブレイズ侯爵は独裁的な性格ではない。どちらかといえば貴族らしからぬ豪快な性格で、使用人の些事などほとんど気にしない男だ。


 しかしだからといって、使用人がそんな主人に甘えて態度を崩すなど言語道断。


 なにより、侯爵と違って夫人はそういった作法にとても厳しい。普通に貴族として、使用人が粗相をすれば田舎へ返すくらいの事は平然と行うだろう。


 マールもそれが分かっているからこそ、こうして外では完璧なメイドを演じるのである。


 そもそも貴族は平民にあまり興味がない。シズルのように使用人とフレンドリーに接する方が稀なのだ。


 それはシズルもわかってはいたが、元々平凡な家庭に生まれて三十年も過ごしてきた。転生をして七年過ぎても、こういった貴族の風習にはまだ慣れないのが現状だ。


「父上は帰って来てるんだっけ?」

「はい。今日は奥様もご一緒ですよ」

「あー……」


 マールの言葉を聞いて、シズルは若干憂鬱気味に声をこぼした。


 奥様、というのはシズルの実の母親のことではなく正妻のことである。シズルは妾の子であり、小さいころから色々と小言を言われて育ってきたため苦手意識があるのだ。


「ふふ、シズル様は奥様が苦手ですか?」

「別に嫌いなわけじゃないよ。きっと誰よりも家の事を考えてくれてるんだろうし」


 とはいえ、「早く独立して領地を持ちなさい!」は七歳の子供に言う言葉ではないと思う。普通、いくら上級貴族の家に生まれたからといって、そう簡単に独立など出来るものではないのだから。


「まあ、悪い人じゃないよね」

「奥様もシズル様には特に期待しているんですよ? 流石はフォルブレイズ家の麒麟児ですね!」

「その呼び方はあんまり好きじゃないんだよね。まあ、最年少ドラゴンスレイヤーとかよりはマシだけどさ」

 

 麒麟児と言うと聞こえはいいが、大抵は子供の時は凄かった、という風に使われるものだ。


 せっかく雷神のおかげで良い環境で生まれ変わったのだから、出来る限り上を目指したいシズルにとって、早く取りたいあだ名なのであった。


 そんなシズルの思いが伝わるはずもなく、単に恥ずかしがっていると思われているのだろう。マールは微笑ましい子供を見る目で笑っていた。


「歴史上初めて六属性以外の精霊の加護を得た少年。そして世界最年少ドラゴンスレイヤー。シズル様は覚えていないかもしれませんが、紛れもない事実なのですし、もう王国中で有名なんだから諦めましょうよ」

「それはそうなんだけどね……」


 この国の貴族は生後半年経つと、精霊から加護を受け取ることになっている。


 ――火、水、風、土、闇、そして光。


 それぞれの精霊が気に入った赤ん坊に加護を与えるのだが、基本的にどの精霊が加護を与えてくれるかは精霊の気分次第である。


 それでも一説によれば、血に反応しているとも言われていた。


 実際、光の精霊は存在こそ認知されているが、王族以外の者が加護を与えられたという話は聞かなかった。


 そしてシズルの生まれたフォルブレイズ侯爵家もまた、火属性の加護以外を受け取ったことはないと言われている。


 そんな中、シズルはこれまでの歴史で確認が取れていなかった【雷精霊の加護】を受けた赤ん坊として、話題を集めた。さらに言うなら、同時期に現れた災厄の龍を滅ぼしたことで国中から注目を集めることとなる。


 実際は【雷神の加護】の副作用なのだが、そんな事実を知る者はいないため、結果新しい加護を得た奇跡の赤ん坊は一躍時の人であった。


「火の名門貴族フォルブレイズ侯爵家。そこから生まれた異端の子。良くもまあ赤ん坊の頃に殺されなかったと思うよ」


 血液検査などない世界だ。火属性の加護を貰えるはずのフォルブレイズ家で、それ以外の属性を持った子が生まれるなど、シズルの母が不義を働いたと思われても仕方がないだろう。


「まあ、シズル様が生まれた時はほら、誰がどう見てもアレが原因だろう、って感じでしたから」


 アレ、というのがドラゴンの襲来と落雷のことを示しているのはすぐに分かった。


「こっちだって必死だったんだよ。目が覚めたらいきなりドラゴンに殺されそうになっててさ、つい雷を落としちゃっても仕方ないと思うんだ」

「あはは、そうですねー。目が覚めてドラゴンに突っ込まれそうになったら、誰だって抵抗しますもんねー」


 シズルの言葉が冗談だと思っているのかマールは軽く流すだけだ。


 ここで真剣に記憶があるんだと言ってみたらどうなるだろう? とも思うが、信じてもらえないのは変わらないと思うので止めておくことにした。


 世界最年少ドラゴンスレイヤーとしての称号に懐疑的な声も上がっているのだ。前世の記憶があるなど、余計な一言でしかない。


 懐疑的な声があるのはまあ、仕方ないとも思う。その場にいた者であれば、あの瞬間シズルが何かをしたのだと納得できても、見ていない者からすれば偶然ドラゴンが雷に当たって死んだだけとも取れる。


 正直言えば、シズルからすればどちらでも良かった。別に貴族として大成したいわけではなく、名誉は正直どうでも良い。それよりも鍛えてきた剣術や魔術で実践を経験したいというのが本音だった。


「あ、そういえば聞きましたよシズル様! 剣術の訓練中に本邸の騎士様から一本取ったんですってね! 天才だ―ってみんな騒いでましたよ!」

「あー、うん。まあね。でもまだ一本取っただけだし、まだまだこれからだなぁ」 


 五歳より始めた剣術の訓練。最初は当然のように勝てなかった騎士達からも、ようやく一本とれるようになった。


 普通に考えれば七歳の子供が成人男性から一本取るなど快挙でしかないが、最強を目指しているシズルからすれば二年もかかった事に不満が残る結果だ。


 確かにこの身体は特別良く動くが、天才かと言われればシズルは否定する。


 自分の中身は大人なのだから、聞いたことを理解して身体を動かすことに抵抗がないのだ。だからこそ教えられたことを素直に実行も出来るし、上達も格段に速いだけで、別に天才だというわけではないと思う。


 もっとも、それを説明できるはずもないし、あまり否定しすぎても嫌味になる。だから普段は軽く否定する程度に留まっているが、どうやらそれが謙虚に映るらしい。


 おかげで屋敷の人々には好意的に接してもらえていたのは嬉しい誤算というやつだ。


 そんな風にマールと取り留めのない会話をしていると、すぐに目的地に到着した。といっても、食堂で朝食を食べるだけなので、そんな仰々しいものではないのだが。


 正直、広い食堂で一人で食べるというのは、現代人の感覚が抜け切らないシズルにとって実は気が滅入る。特に使用人達が後ろで控えていたり、働いている姿を見ると尚更に。


「そうだ、たまには使用人たちと一緒に食べてみようか」

「そんなことされたら、みんな仲良く田舎送りなので絶対に止めてくださいねー」

「じょ、冗談だからそんな風に笑うの止めて」


 本当は冗談ではなかったのだが、それ以上にマールの本気が怖かったのですぐに言葉を撤回する。


 この辺りが貴族と平民の違いで、軽い気持ちで言っていい言葉ではなかったなと、再認識するシズルであった。

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