よい子の剥がれたメッキ(前編)
私が再び本性を露にしたのは6年後。中学生の頃だった。一年生の5月頃。それまではずっと隠し通してきた。新しい人付き合いのやり方さえ知らないこと。嘘つきであること。小学生の頃友達だった人との関係が薄れて孤独だったこと。学校にいては羞恥を晒すようなものだった。自分をどうにか隠し通して、おちゃらけているのも限界が来た。そしてまた己のわがままのために不登校になった。
腹が痛いだの気持ち悪いだのと適当な症状を親に伝え、学校を休みだした。親が出勤するまではずっと寝込み、午後はテレビで映画を見て、深夜までゲームするなど私の生活は怠惰を極めていた。このことは両親には秘密にしていたので認識していなかったと思う。
何も知らず、心配した親が私を病院に連れて行った。そして医者は「心因性の症状」としながらも「起立性調節障害」というもっともらしい名前を口にした。私としては病気としてもらったほうが心置きなく休めるので都合が良かった。
ところが、またもや父は騙されなかったとわかった。私を勘当し学校に行けと言った。帰ってくるたびに何度も怒鳴った。父から逃げるために、私は父が帰る時間には寝ているか、散歩に出ているかしていた。ときには父に逆上して怒鳴り返されて泣いたこともあった。父は正しい。私は間違っている。当然のことだった。自分が嫌になった。
しかしそれでも隠したいことだった。学校から何度も電話が掛かってきた。6年も先生というのを見てきて、私を学校に来させようとしているのは分かっていた。「心配している」などというのは私と同種の嘘だと思っていた。鳴り続ける着信音がこわくて電話線を引っこ抜いた。そうやって親からも先生からも友達からも逃げていった。
そして恐れていた日が訪れる。学年主任が自宅を訪ねてきた。私は寝たふりをした。その日は母親が私が起きようとしないと対応すると、帰っていった。
しかし、次の日は夕方に訪ねてきたので、散歩に出ようとしていた私にとって不意打ちだった。担任と学年主任が揃っていた。私は観念して、外へ出た。
「おお、久しぶり。とにかく会えて嬉しいよ。」そう担任の先生は言った。このときの先生の気持ちは分からない。本当に喜んでいたとしたら、申し訳ない。私は少し痩せて貧血気味の顔を先生に向け愛想笑いすら出さなかった。私はなるべく表情を変えずに
「お久しぶりです。そうですか。」
と返した。先生は決して学校に連れて行こうとしなかった。一緒に来た学年主任の先生は母親と何か話していた。その日は先生たちは満足した様子でかえっていった。
私はもう観念した。次の日。とうとう学年主任が家に来て「学校行く?」と聞かれた。気が進まなかったが、「行きます。」と一言。
学年主任が運転する軽自動車に乗ってまだ数回しか行っていない学校に行った。人の心が分からないのは変わらなかった。私は長期間の休みで感情が分からなくなっていた。イライラすることも、何かが嫌いだということも感じなくなっていた。
それでも先生に言われるがまま教室の清掃を手伝ったり、時々友達に会ったりして、隠したいものを隠したまま登校することにした。次第に授業にも出るようになって遅刻もなくなっていった。
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