1-5 GかIか

「――ま、今日はこの辺にしとくけど、家でちゃんと復習してね!」

「は、はい……」

「それじゃあ私は仕事に戻るから」


 20分後、ようやくマスターの話が終わって貴理が解放された。


「……助けてくれてもいいじゃない」


 もう冷めてしまっただろう紅茶に口を付け、恨みがましくこちらを睨んでくる。


「あれは俺にはどうしようもない」

「そんなの、私納得できない……話を逸らすとか色々あったでしょ……」

「マスターは紅茶のことになると、人の話を受け付けない猛獣に変貌するんだ」

「はぁ……」


 貴理は疲れ果てた様子でテーブルに突っ伏す。

 冷たい木製の天板が、長時間の蘊蓄攻撃で疲れた頭に気持ち良いのだろう。


「それにしても、お前の方からここに誘ってくるのは珍しい。何が目的なんだ?」

「別に。ただ事件解決後の紅茶は美味しいかなって思っただけ」

「……先輩だからって奢らんぞ」

「けち」


 こんな時だけ先輩扱いするんじゃない。奢って欲しければ普段から敬意をみせろ。

 ……

 紅茶を飲み終わるだけの時間が経った後、貴理はまた口を開いた。


「……あんたって、なんでこんな活動してるの?」

「ん?」


 先程までとは少し雰囲気が違う。本題か。


「……それはもちろん、困っている人を見過ごせない俺の親切心から――」

「嘘ばっかり。詳にそんな親切心、あるわけないでしょ」


 分かっていても、もう少しくらい言わせてくれてもいいじゃないか。

 不満には思ったが、俺は大人だ。じっとりと睨みつけるだけで許してやった。


「……学内にプライベートスペースが欲しかったんだ。便利だろ?」

「それも嘘ね」


 本心のままにそう言うと、貴理はすまし顔であっさりとそれを却下した。


「……どういうことだ?」

「ハッキリ言って、このサークルは解散寸前。メンバーはたった2人で、別に部費を大学からもらっているわけでもないし、あの旧学生会館はほとんど物置みたいなもので大学からは放置されてるわよね?」

「……」

「つまり、こんな活動しなくたって、あんたはあの部屋を自由にできる」


 確かにその通りだ。何もせずにいても、俺は今のまま卒業するまであの部屋を自由に使えるだろう。

 貴理の真剣なまなざしが、俺を射抜く。


「だからその理由じゃ、私納得できない」


 空気が張り詰めていくのを感じる。

 室内の気温は変わっていないはずなのに、体感的には数度下がったような気がした。


「……じゃあ、他にどんな理由があるっていうんだ」

「詳、あんたは――」


 貴理は一旦口を閉じ悲し気に目を伏せると、何かを言いかけて、口に出さずにまた俯いてしまう。

 それを何度か繰り返した後、決意と他の何らかの激情を秘めた目でこちらをじっと見つめてきた。

 ――実に不快だ。


「……あんたは多分、パズルが解けることからくる全能感が好きなのよ。その時だけは、自分が優れている気がして。……違う?」

「……」

「私もその洞察力だけは、大したものだと思うし」

「……」

「あんたは、昔は――」


 貴理が何かを言いかけたその時、彼女のスマホが音を立てる。


「ん……八代さんからラインね」

「……彼女、なんだって?」


 貴理は自身のスマホ画面に目を落とし、しばらくの後、はぁとため息をついた。


「どうやら彼は未成年喫煙してたわけじゃなくて、浪人を隠したかったみたいね」

「あぁ……一応そっちの線もあったからな」

「推理、外してるじゃない」

「こればっかりは、本人に聞かないと分からなかった」


 ――それに、今回の推理は最初から、完全ではなかった。

 そう、のだ。

 これは貴理にも八代さんにも話さないことだが、俺は今回依頼内容をすり替えた。

 俺がしたのは、あくまで『彼氏が頻繁に行う数分間の別行動とその周辺の事実』に説明を付けたことで、浮気をしていない証明ではない。

 例えば、数分間で密会は考えづらいが、タバコを吸いながら電話ということなら十分可能だ。

 ……していない証明は、している証明よりよほど面倒だ。流石にそれは、労力を使いすぎる。

 もし彼を24時間ずっと監視できたとしても、『偶然その日は何もなかった』という可能性は捨てきれないのだ。冗談じゃない。

 それなら、八代さんが怪しいと思っていた行動にはすべて理屈を与えてやったうえで、『彼ら2人は浮気をするには近すぎる』、その説明で納得してもらうほかあるまい。

 つまり、『Guilty or Innocent ?』の答えは未解決ということだ。

 ……そう言えば、『彼女』も俺といるときに何かと理由を付けて席を立つことがままあった。

 あれは、電話でもしていたのだろうか? もう真相は闇の中だ。

 俺がそんなことを考えていると、貴理はジッと多少不満げな視線を向けたかと思えば、クスリといたずらな笑みを浮かべた。


「じゃあ罰として、今日は詳の奢りね!」

「おいおい。なんでそうなる」

「あ、そういえば今日思ったんだけど、詳って絶対恋愛経験ないわよね」

「人の話を聞――何? なめるな。俺にだって昔は好きな人くらいいた」

「ふーん。デートとかしたの?」

「ま、まぁしたな」


 最初で最後になってしまったが、とは言わない。


「へー。どこ行ったの?」

「なんでお前にそんな話しなきゃならないんだ……」

「良いから! それ教えてくれたら奢りは無しで良いわよ?」

「そもそも奢るなんて言ってないんだが……あー、まずカラオケに行って――」

「え、最初からカラオケ!? そんなことするから振られるのよ」

「振られたとは言ってないだろ……」

「じゃあ付き合えたの?」

「……その話はやめよう」

「はいはい。その反応が答えみたいなもんだけどね。で、他にはどこいったの?」

「カラオケの後は、映画観て、ショッピングモールで飯を食ったな」


 その後、高校の近くの北公園で告白して振られた。言わないけど。


「うっわ、味気ないデートねー」

「……お前、そこまで言うんだから自分は経験豊富なんだろうな?」

「そりゃあもちろん――」


 ……

 いつの間にかあの張り詰めた雰囲気は消えていて、その日俺たちは追加の紅茶と談笑を楽しんだ。

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