征旅と終着と


 ニューヨーク守備隊がハドソン川を北上していた頃、すでにキングストン軍は北方より大挙、ハドソン川を南下していた。


 キングストン軍の輸送船は、ニューヨークのそれよりもひと回り大きく、船体には華美な装飾が施されている。集住地の式典ポットと同じ、女神マーズ、王冠、剣と盾のレリーフは、戦場にあってもなお、優雅さを失わないだろう。

 船体の材料には、この時代にあっては貴重な鋼鉄が惜しげもなく使用されている。この船団に対峙した敵は、まず壮麗な外見に圧倒され、次いで鋼鉄の船体で物理的に圧倒されることが常であった。


 敵を圧倒するのは、もちろん船団だけではない。甲板上には、この時代のアメリカ大陸で最強を謳われるキングストン兵が一糸乱れず整列していた。

 磨き抜かれた鎧、研ぎ澄まされた槍の穂先、盛り上がった筋骨。ひとたび号令が下されれば、虎狼のごとく敵に襲い掛かるであろう彼らは、今はその暴力性を身体の内に秘しているように見えた。

 これら血の匂いを求めてやまない精兵を率いるのは、キングストン貴族の中でも特に豊富な軍歴を有し、猛将の名高いアーノルド・モーガンである。


 モーガンは、キングストン集住地が形成されたAE地震後1年、集住地内に相次いで発生した反乱を鎮圧し、武名を馳せたモーガン家の第二代目の当主である。


 当時、まだ貴族と軍による支配体制が固まりきっていなかったキングストンでは、高額の税率に不満を持つ3種民による反乱が毎月のように発生していた。


「キングストンを支えているのは我々だ。生産に従事せず財を食いつぶすだけの貴族に、集住地を率いる権利はない!」


「代表なくして課税なし!我々の権利の代弁者を受け入れよ!」


 3種民は声高に自らの権利を主張したが、この声が貴族たちの心を動かすことはなかった。

 むしろ貴族たちは、集住地の支配者として彼らを教育する必要性を痛感し、教育には痛みあれかしと、悲劇への道に赤い絨毯を敷いた。


 モーガンの父は、もとはキングストン軍の中級指揮官に過ぎなかったが、苛烈で仮借ない攻撃によって敵勢力を壊滅させ、しだいにその軍名を挙げた。

 反乱勢力の家族、親族、あげく乳飲み子すらも敵とみなし、裁判なしで死刑に処するそのやり方に眉をひそめる者もいたが、もとよりキングストン集住地の政治権力を持っていた貴族には、父モーガンを自分たちの権力を安定させる功労者と見るむきが強かった。

 父モーガンも、貴族からの期待を反映してか、より徹底的に、より残虐に反乱を鎮圧するようなっていった。


 AE3年、キングストン集住地において、最後の反乱とされる「ロンダウト・クリーク反乱」が発生した。運河の結節点であるロンダウト・クリークに立てこもった奴隷たちは、社会権を要求し、貴族層と激しく対立した。

 この反乱は、3種民のじつに7割が蜂起するという規模的にも過去最大のものであったが、父モーガンは寡兵かへいを指揮し、巧妙な情報操作と整然とした軍事行動により、瞬く間に反乱を鎮圧した。


 そして、この功が決定打となった。


 反乱鎮圧後、父モーガンは、最高の名誉となるキングストン勲章を貴族から授与され、新たなキングストン貴族としてその名を支配層の末席に刻んだ。

 “最も奴隷の血をすすった”貴族と称されるモーガン家は、こうして誕生した。


 モーガン家が貴族に列せられたのと前後して、この世に生を受けたアーノルド・モーガンは、幼少期より将軍になるための英才教育を施され、両親の期待そのままに成長した。


 軍才に恵まれ、青年期でありながら数多くの武勲を得たが、父モーガンに似て、敵に対する凄惨な仕打ちと平民に対する無邪気な残虐さを有する彼の性格は、ほどこされた英才教育に、他者への思いやりを教える項目が欠落していた結果であった。


 そのアーノルド・モーガンであるが、ハドソン川の泥流に沿った征旅にありながら、船内に設けられた専用の部屋の中にいた。決して広い部屋とは言えなかったが、彼の配下の兵は大部屋で共同生活をしており、将と兵の待遇には天地の差が見られた。

 くつろいだ様子で副官の報告を聞く彼の様子からは、この戦いがキングストン軍にとって、赤子の手をひねるようなものであることが見てとれた。


「モーガン様、我が軍は現在、バレー・コテージを通過しつつあります。このまま行けば、半日後にはテナフライ平原に到着いたします」


「ニューヨークのフェラーリとやらが知らせてきた地点か。どうせ、どこで接敵しようが我が軍の勝利は揺るがぬ。戦いの後、ニューヨークまではどれほどで到着するのか」


「会戦が2時間で終わるとすれば、明朝には確実に到着いたします」


「宴をするためにニューヨークまで出向くようなものだ。楽な征旅だな」


「おっしゃるとおりです。接敵するまで、兵に休息を与えてよろしいでしょうか」


「許す。泥酔しなければ、飲酒も許可しよう」


「ありがとうございます。兵に伝達してまいります」


 副官は深々と礼をすると、部屋を出ていった。


 部屋に残ったモーガンは、いくつかの軍務を片付けると、自らも休息をとるために指をパチンと鳴らした。それに応じて、壁にそって直立していた女奴隷の一人が、ワインとグラスをもって歩み寄った。

 ゆるゆるとワインがグラスを満たすさまを眺めながら、モーガンは今回の征旅の後に起きるであろうことに想いを馳せた。


 決して少なくない数の貴族によって運営されるキングストン集住地では、表に裏に、貴族同士の陰謀が数多く張り巡らされている。

 ほぼ横並びの権力を持つ貴族層から抜きんでるには、他を圧する功績が必要とされた。特に、平民の地位から貴族まで上り詰めたモーガン家は、「成りあがり者」、「平民くずれ」と陰口を叩かれることが多かった。

 こたびの征旅せいりょでモーガンが将帥を志願したのも、モーガン家がとりわけ貴族としての名声を必要としていることと無関係ではなかった。


(ニューヨーク制圧をなした後、治安維持の名目で私兵の一部を駐留させるのが良かろう。ニューヨークの利権を確保し、外洋へのアクセスをモーガン家が独占できれば、経済的に安定し、さらに私兵を増やすことも可能だ。そうなれば、最終的には余がキングストンに王として君臨することも夢ではない)


 父モーガンに似て、野心の翼を心に生やすモーガンは、今回の出兵を単なる遠征と見なしていなかった。

 むしろこれは、父モーガンの跡を継ぎ、モーガンの家名をさらに高め、貴族の中の貴族、キングストン王として君臨するための足掛かりであった。


 ーーーガゴン!


 突如、船体が大きく揺れ、モーガンの思考は唐突に中断された。

 ワインを注いでいた女奴隷は手元を狂わせ、モーガンの鎧に赤い染みを作った。モーガンの残虐さを知る彼女の顔は蒼白となり、唇を震わせながら立ちすくんだ。

 モーガンは、無表情にその顔を見上げ、


「貴様!」


硬い徹甲に覆われたこぶしを、何の遠慮もなく女奴隷のに叩き込んだ。女奴隷の口から飛んだ歯は室内を転がり、壁にあたってようやく止まった。

 モーガンは立ち上がると、倒れた女奴隷にのしかかり、なおも執拗にその顔にこぶしを叩き込んだ。壁に控えたほかの奴隷は、あまりの惨状に顔を背け、身を震わせた。


「これは、教育だ!痛みの、記憶は、なによりも、長く残る!貴様の、心身に、身分の差、というものを、刻み込んで、やる!いいか、我々、貴族という、存在は、神聖、不可侵にして・・・」


 こぶしを振るうための息継ぎをしながら、モーガンは、淀みなくキングストン貴族の崇高さを語り続けた。純粋な狂気に満ちた光景。すでに、女奴隷は意識を手放していた。

 だが、殺意すらこもった暴力は、再び入室した副官の声で唐突に中断された。


「し、失礼いたします」


「何用だ!出来の悪い奴隷を躾けているところだ、出ていけ!」


 主人に怒号を叩きつけられても、副官は報告を続けた。主人の怒りを買ってでも、説明せねばならない事態が起きたことは明白であった。さすがのモーガンも、その手を止めて、副官に向き直った。

 この光景を見て、壁際に控えたほかの奴隷は、急いで意識を失った奴隷に駆け寄った。


「き、緊急事態です」


「なんだ、はやく言え」


「て、敵軍が現れました!」


「敵だと?どこの敵だ。テナフライ平原はまだ遥か先だ」


「ニ、ニューヨーク軍です。ニューヨーク軍が現れました」


「馬鹿なことを抜かすな!奴らと接敵するのは、テナフライ平原だと、先に貴様が言ったばかりではないか!」


「間違いありません、ニューヨーク軍です!ニューヨーク軍が!」


 ここにきて、モーガンは部屋を飛び出し、自ら甲板上よりその光景を目撃した。

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