陰謀

 およそ文明が花開いてからというもの、戦争は人類の捨てがたい宿痾しゅくあの一つである。

 戦争が起きるたびに若い兵が戦場に散り、時にその戦禍は民間人にまで及んだ。人類は詩や歌を作り、これが最後の戦争であれかしと神に祈ったが、その願いが聞き届けられることはなかった。時として神が戦争を命じることもあったため、これは仕方のないことだと言えるだろう。

 詩歌。

 人類は、戦争を止める情緒的な解決法を求めてやまなかったが、決してそれだけに情熱を傾注した訳ではなかった。

 外交的解決。

 詩歌に比べれば、それは実に散文的な方法ではあったが、少なくとも神への祈りよりは効果的であるように見えた。


 津波によって国民国家が地上から一掃されたAEAfter Earthquakeの時代にあっても、戦争を回避するための外交努力は、各地で盛んに行われていた。むしろ、電離層の乱れが回復せず長距離電波通信が不可能なこの時代だからこそ、集住地間の摩擦を緩和するため、それは余計に必要とされていた。

 もちろん、此度のニューヨーク・キングストン間の一連の対立でも、外交交渉は活発に行われていた。

 ただし、それは一般的なものとはややおもむきが異なってはいたが。


「まずは此度のニューヨーク集住地への出兵、感謝の言葉もございません。強兵を謳われるキングストン兵を、猛将の誉れ高いアーノルド・モーガン様が率いれば、勝利は疑いないことでしょう」


 キングストン貴族が居並ぶ式典ポットの中で、ニューヨーク集住地の外交官アビゲイル・グランドクロックはそう切り出した。

 彼女は、ニューヨーク集住地からキングストン集住地に派遣されている外交官であり、本来であればニューヨーク側の利益を代弁する立場にあるはずだった。


「世辞はよい。それよりもニューヨーク集住地の状況を教えろ。余の軍勢に対抗するため、ニューヨークは何をする?」


「モーガン様の軍勢に対しては、住民への手前、一応の抵抗の意思を示す必要がございます。ニューヨークでは、ジョン・ボタニカルシャンプーなる若者を防衛隊長に任じる予定となっております」


「何者だ?」


「サルベージ活動を行う者たちの顔役にございます。いわば泥潜どろもぐり屋の首魁しゅかい所詮しょせん、モーガン様の敵ではございません」


「兵力は?」


「サルベージ・グループを中心に募兵するとして、最大でも500人程度でしょう」


「余の軍勢の半分という訳だ。率いる者も含めて哀れなものだ」


「私どもとしては、例え500人であっても、キングストン集住地のお手を煩わせることに恐縮している次第にございます」


 グランドクロック外交官は居並ぶキングストン貴族に対して、うやうやしく頭を下げた。事情を知らない者が見れば、あたかも貴族にかしずくキングストンの臣下のように見えただろう。


 グランドクロック外交官はニューヨーク集住地の名士の一人であり、3年前にキングストン集住地に派遣され、現在に至るまでそこに常駐している。

 グランドクロック外交官の主な任務は、日常的に起きるニューヨークとキングストン間の小規模な貿易摩擦の解消、ニューヨーク集住地への移住促進のための宣伝広報活動プロパガンダ、そしてキングストン集住地の情勢についての情報収集である。

 いや、それが任務


「よくぞここまで条件を整えた、褒めて遣わす。此度の出兵が成功すれば、望み通りけいを始めとするニューヨークの名士を植民地貴族に任じようぞ」


 キングストン貴族の一人がグランドクロック外交官にそう告げた。彼女はそれに対して、さらに深く頭を下げることで感謝の意を示した。


「身に余る名誉に返す言葉もございません。我らニューヨークの名士一同は、キングストンへの永遠の忠誠を誓わせていただきます」


 ニューヨークの名士層が、キングストン集住地への降伏を計画し始めた正確な時期は分からない。だがそれは、ニューヨーク集住地内のサルベージ・グループの勢力拡大が大きく影響していることは間違いなかった。


 年々、従事者数と生産性を向上させているサルベージ・グループは、現在ではニューヨーク集住地の全ポット総収入額の実に40%近くを稼ぎ出すまでに成長していた。伝統的な漁労ポットの利益を代弁する名士層にとって、すでに彼らは人数的にも経済的にも無視し得ない存在となっていた。


 サルベージ・グループはその地位向上のため、名士層に対して民主的選挙によって選ばれた議員による議会の開設を要求していたが、名士層は長年にわたってその声を封殺してきた。名士層にとってサルベージ・グループは、彼らが形成したニューヨークの寡頭政治体制オリガルキアを壊そうとする忘恩の徒でしかなかった。


 しかし、いかな名士層とは言え、いつまでもサルベージ・グループの声を無視し続けることはできない。第一、技術の発展に伴い、サルベージ活動のような新しい産業が興隆すれば、今後もまた同様の政治運動が発生することは目に見えている。そしてそれらが重なれば、いつかは名士層の掌中からニューヨークの支配権がこぼれ落ちてしまう日がやってくるだろう。


 この恐怖に駆られた名士層は、ついにニューヨーク集住地形成の理念である自由と平等を捨て去り、差別と圧政によって形成されたキングストン集住地に降伏することにより、その貴族層に名を連ね、永遠にニューヨークの支配者たらんと夢見るに至ったのである。

 キングストンに売り飛ばされる住民としてはたまったものではないが、住民を盤上の駒としか見ていないという一点において、すでにニューヨークの名士層は、キングストン貴族となるのに必要な腐敗した精神を十分備えていたと言えるだろう。


「ニューヨークの名士層はモーガン様を出迎える準備を万端整えております。我々はジョン・ボタニカルシャンプーとその軍勢が出撃した後、ポットの門を固く閉ざし、その帰還をあたわざらしめます。モーガン様におかれましては、帰る巣をなくした哀れな羊どもに、思うがまま正義の鉄槌を下していただきますよう」


 グランドクロック外交官はキングストン勝利のために張り巡らした陰謀の数々を、陶酔したような口調でひたすらに語り続けた。それは決して、他の集住地に相対あいたいする外交官の態度ではなく、むしろ従順な奴隷のそれであった。彼女の心の内に満ちていたものは、キングストン貴族から称賛を得たいという子供じみた欲求のみであった。


「良くやった、グランドクロック。およそまともな戦闘にはならぬだろうが、兵の鍛錬にはちょうど良かろう。ニューヨークには兵1000人分の宴の準備をするよう伝えておけ」


「お褒めに預かり恭悦至極きょうえつしごくに存じます。キングストン勝利の宴も用意万端整えてまいります」


 グランドクロック外交官は、貴族たちに背を向けないよう蟹のように横歩きしながら、式典ポットを後にした。彼女がこの会議から退出した瞬間、名士層以外のニューヨークの住民はキングストンの奴隷となり、さらに名士層に逆らうサルベージ・グループは皆殺しにされることが外交的に決定されたのであった。


 グランドクロック外交官が式典ポットを後にした3時間後、ニューヨーク侵攻の指揮を取るアーノルド・モーガンは、血の香りを求めてやまない精兵たちに乗船を命じ、泥濘でいねい渦巻くハドソン川をついに大挙南下し始めた。

 さらに時が経つこと数時間、この報をニューヨーク集住地で受け取ったフェラーリ氏は満足げな笑みを浮かべ、防衛隊長の任をジョン・ボタニカルシャンプーに押し付けたのであった。

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