裏市役所へようこそ!

涼宮紗門

裏市役所へようこそ

―――― 東京でフリーター生活を漫然と過ごしていた私に、母親から着信があったのはある冬の日のことだった。

「あんたはいつまでJポップの歌詞みたいな生活してるの!いい加減こっちに帰ってきて就職しなさぁああい!」

 このままだとヤバいと自分でも薄々気づいていた私は、かくして実家に帰ることになった。

 Uターンである。

 実家があるのは島根県Y市。

 最寄り駅は単線の無人駅、夜は虫の声が鳴り響き、昼は老人と軽トラしかいないようなド田舎である。

 農家に嫁ぐのだけは嫌だった私は一念発起し、市役所の職員、つまり公務員を目指すことにした。

 思わず口ずさんでしまうJポップはやめ、特に大したことは言っていない上に何を言ってるかわからない洋楽を流しながら勉強すること1年。

 私は見事、Y市役所に合格したのである。

 

 所属されたのは市民課だった。

 働き始めて3か月。出生届よりも死亡届のほうが多い市の実態に危機感を覚え始めた初夏のある日のことである。

 弁当を食べ終わった私を、大櫃おおひつ課長がちょいちょいと手招きした。

 何を隠そうこの課長、こんなクソ田舎のどこにいたのかというくらいシュッとしたイケメンである。

「そろそろさ、実は言っておかなきゃいけないことがあるんだ」

 ものすごい標準語で、大櫃課長はいった。

「島根県って神の国っていうだろう」

 突然何言ってんだこのイケメンは、と思いつつ、はあ、と私は相槌をうった。

「それか鬼太郎くらいしかないっすもんね、うち」

「10月をこっちじゃ神無月じゃなくて神在月って呼んで、全国から八百万の神が集まる」

「ですよね。最近パワースポットとかで出雲大社盛り上がってるじゃないすか」

「あ、出雲はここでは禁句だから」

「何でですか」

「それはひとまず置いといて。……でさ、ここ。役所なんだよ」

「……はあ。ですよね」

「うん。そうじゃなくて」

 大櫃課長は席から少し身を乗り出して、声をひそめていった。


「――――実はここ、神様たちの役所でもあるわけ」


「…………は?」

「通称、‘裏市役所’っていうんだけど。そんなわけだからさ。君、異動になったから。裏市役所に」

「は!?」

「急で悪いんだけど、市長がね。君が元気いっぱいだからどうかなって」

「何すかその子どもみたいな表現!ってかいきなり異動!?」

「で、早速だけど、今夜11時にまた来てくれる?」

「え!11時!?夜のですか!?」

「うん。裏市役所は夜勤だから」

「夜勤!?」

「23時から6時45分までだから。じゃあよろしく」

 通常の市役所にはあり得ない勤務時間を提示し、課長はチーンと鐘を鳴らされた窓口へと去っていった。

 

 裏市役所、とネットで調べても出てこない。当たり前だ。訳が分からないのは、母親もまた同じだった。

「念のため……これ持っていきなさい」と真剣な顔で防犯ベルを渡され、私は23時、再び市役所にやって来た。

 当然辺りは真っ暗だ。市役所も電気はついていない。

 恐る恐る建屋に近づくと、入り口で大櫃課長が待っていた。

「こっちこっち」

 課長は、正面からは中に入らずに裏に回った。私は防犯ベルを握りしめたまま、とりあえず後に続く。

 課長は裏口のドアを開け、真っ暗な通路からエレベーターホールへ向かった。

「裏市役所は地下なんだよ」

「地下って……ここ1階までじゃないですか。ってか裏市役所って何ですか」

「言っただろう。神様たちの役所だよ。まあとにかくついてきて」

 課長が変質者だとしてもイケメンだしどうしたら……などと余計な心配に身を固くする私をよそに、課長はさっさとエレベーターに乗り込んだ。そして、①から⑤までのボタンをコマンド入力のように闇雲に押した。

「これ地下に行くための暗証番号。後で教えるから。忘れないように」

「え?マジですか。……うわっ」

 なんと、エレベーターが下に動き出したではないか。

「え、ちょ、ええっ!」

「だいたいみんな同じ反応なんだよなあ。角森つのもりさんはちょっとうるさいけど」

「え、課長、ええっ!マジすかこれ!!」

と言ってる間に、エレベーターが到着する。

 扉が開いたそこの広い空間に……老若男女、わんさかと人がいるではないか!

「……な……な……な、」

 「な」しか出ない私をよそに、目の前にいた水色のロン毛のお婆さんが、あら、と目を見開いた。

「課長!久しぶりじゃないか!」

 次いで私のほうを見ると、にやりと笑う。「その顔を見ると……新入りだね?」

「久しぶりだなあ水野さん。その後川の流れは変わりない?」

「この間掃除してもらって、おかげさまでねえ!最上のジイサンにも紹介しといたよ」

 お婆さんはそういうと、ばちっと私に片目を瞑った。

「アタシは近くの川の主で、水野っていうんだ。よろしくね」

 あ然している間にも、「課長!」「課長!」とそこかしこから飲み会のコール並に声がかかる。

「課長、めっちゃ人気じゃないすか!」

「うちは誠実丁寧がモットーだから」

 ようやく奥につくと、上の市民課と変わらない雰囲気で、机が並んでいた。3人座っている。

 その中の一人、恰幅のいいオジサンがこちらに気が付くと、「お!来たねえ」と嬉しそうに立ち上がった。

「角森さんだっけ?びっくりしただろう?でもこれ夢じゃねえからな」

 にやりと笑い、オジサンは腕を広げた。

「ようこそ裏市役所へ。歓迎するぜ」

「……あの……まあもうこの現実を受け入れるしかないとして……何なんでしょうかここは」

 改めて、カウンターの外にずらりと並ぶ人々を見る。「あの人たちってもしかして……」

「八百万の神々様です。トイレの神様、軽自動車の神様から公園の神様、山の神様まで様々な神様が、人間界で暮らしている中での、日常生活でのお困りごと、悩みごとをこうしてここへ相談に来られるのです」

 眼鏡をかけた、いかにも真面目そうな女性が説明した。

「わたくしたちY市役所の一部の職員が、こうして裏市役所の職員として、深夜にその職務にあたっているのです」

「何で深夜に……」

「昼間だと混乱しかねないからです」

 眼鏡の先輩は至極真面目に答える。

「ちなみに出雲市役所はライバル関係にあるんだよ。彼らは、古くて大きな神様専門だと豪語していてね。小さな神様なんかはこっちへ追いやるんだ」

 ロン毛の涼やかな顔をした男性が、ふっと暗い笑みを浮かべた。「最低だよね」

「課長……」

 わけがわからず助けを求めた私に、うーん、と大櫃課長は頷いた。

「神様の裏市役所はさ、全国でうちと、出雲市役所にしかないんだ。できたのはうちのほうが200年くらい早いんだけど。まあ彼が言ったみたいに、出雲市役所のほうはちょっとビジネスライクみたいなところがあって、老舗のうちと張り合ってるわけ。俺は何でもいいんだけど」

「200年って……できたのっていつなんですか」

「うーん、市長によると平安時代にはあったらしいから、ざっと1200年くらい前かな」

「せんにひゃくねん!?って何年ですか!?」

「元気があっていいじゃねえか、今年の新人は」

 はっはっはとオジサンが快活に笑う。

「1200年は1200年です。それよりも課長」

 眼鏡の先輩がさっと窓口をさす。「そろそろ仕事をしないと朝になってしまうかと」

「あーそうだな。じゃあ角森さん、さっそく窓口立ってくれる?」

「ええっ!いきなりですか!」

「うん。君、なんとなくすごく向いてる気がするから」

「お、ラッキー。じゃあ僕は報告書でも書こうかな」

 ロン毛の先輩が嬉々としてパソコンに向かった。

「今後ともよろしくお願いします、角森さん」

 眼鏡の先輩がわずかに笑みを浮かべる。

「俺はちょっと外行って来るわ。定規のジイサン、腰が悪くて動けねえんだと」

 オッサンがジャンパーを引っかけてカウンターから出てくる。「じゃな、新人。後で飲みに行こうぜ」

「朝からですか!」

「慣れたらうめえぞ~。んじゃな」

 

 ―――― そして窓口に立った私の元には、八百万の神様が次々とやって来た。

 携帯で時間を確認しがちな若者に時計を買うよう業界に働きかけてほしい、という腕時計の神様。

 どこかに忘れた犬のぬいぐるみを思って毎晩泣いている女の子に新しいものを届けてほしい、というぬいぐるみの神様。

 花粉症に効く市販薬がなにか教えてほしい、という杉の木の神様。

 インスタ映え以外に生き残る方法はないか、というタピオカの神様。 

 どんだけ神様おんねん!と思わず関西弁で心の中で叫びながら、私は誠実丁寧をモットーにとにかく話を聞き、どうするか話し合った。

 しかし実際にどうやって解決するのか?――――と思いきや、全て国の予算を使って対応するのだという。

「安倍さんからよしなに言われてるから」

と、課長は何でもないことのようにいった。


 ―――― そして、翌朝。

「あああ……太陽が眩しい……!」

 なんとか窓口をやり終えた私は、ほぼ灰のような状態で机に突っ伏した。「疲れた~!!」

「お疲れ。よくやったよ」

 課長の労いの言葉が身に染みる。

 ふと、ここは現実だろうかと思った。ついこの間まで東京にいたのが嘘みたいだ。

「…………課長」

「うん?」

「私、これUターンかと思ってたんですけど、違いました……」

「Uターンって都会から地元に戻ってくるっていうあれ?」

「これ、Iターンですわ!ここ私が知ってる場所じゃないですわ……!」

 神様の相手なんて!と、私はムンクの叫びのように両頬を押さえた。

「あーなるほど。まあ頑張ってよ」

 課長は軽い口調でそういうと、「歓迎会ってことで飲みに行こうか」と声をかけた。オジサンはもちろん、眼鏡の先輩もロン毛の先輩も嬉々として立ち上がる。

「角森は行かない?」

「歓迎会って私のじゃないんですか!行きますよ!」

 冗談だよ、と課長が笑う。

 つられて、私も思わず笑ってしまった。

 

 私の実家は島根県Y市。

 マックはないくせにパチンコ屋は5軒、夜はあまりにも暗闇が過ぎ、昼は郊外のイオンに皆集まるド田舎である。

 

 Uターン。

 それでもここには、私の知らない新しい場所があった。

 

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