片割れ

シィータソルト

第1話

「待て待てーー」


 新市満花は追いかけられていた。同性のクラスメイトに。廊下を走ってはいけないという張り紙を無視して、新市満花とクラスメイトは体育の授業でその本領を発揮せず高等学校の廊下をグランドにして全力疾走でいた。片一方は、頬に当たる恥ずかしさを回避するためにもう片一方は、普段の肌の色白さを赤く染めてやろうと悪戯心で。

「だから、何で毎回キスを迫ってくるんだよーー!!」

疾走中で、周囲の空気に掻き消されないように丹田を使って発声する。ドップラー効果でも起こっているのではないかと思うくらいに高音と低音の満花の声がこだまする。それは、周囲には誰もいない放課後だから、窓は締め切られ、音を吸収するもの、遮る音がないこと意味していた。距離を離されていて、低く聞こえる満花の声も威嚇になるどころか、むしろ意地でも成し遂げてやるという反骨精神を刺激し、クラスメイトは問に答える。

「あなたが良い反応するからよ~。さぁ、大人しく受け入れなさい!!」

 一方的にしてくるからかいに、全力の信条を叫ぶ。

「そういうのは相互の了承が合ってするもんだろうが!!」

けど、その叫びは空しく、クラスメイトはお構いなく背伸びをして170cmの背丈を持つ満花の頬に自身の唇を満花の頬にあてがうのであった。

「~~~~~~~」

 頬が、込み上がってくる熱の色に染まる。クラスメイトは所望の表情が見られて満悦となり、

「じゃあね〜」と、欲求を満たした小悪魔は、赤くなった用済みの興味の尽きた者へ目もくれず、けど手だけは照れている様を監視させるかのように満花へ視線をくれ横に揺れながら帰路に着くのであった。

「ったく、何で私は一方的な感情に振り回さられているんだ?」

 満花は、ウルフカットの頭をボリボリかきむしり、クラスメイトに翻弄された照れを皮膚の痛みで上書きしようとする。人をからかいたいが為にされる口づけ。唇にされたわけではないにしても、かき乱される心。相手に特別な好きを感じるわけでもないのにいつもより早く動く心臓。それは、先程の鬼ごっこだけのせいではない。ドギマギしている心を落ち着かせるよう深呼吸した時、持って帰るべきものを忘れていたことを思い出した。

 酸素がようやく、頭に回る。けど、やはり先程のクラスメイトの行為は相変わらず理解ができなかった。自分に好意があるというのはわかるが、特別でもない一友人の自分に、何故気軽に口づける意欲になる訳が「良い反応をするから」なのか。平常心を持てるようになりたいな。そうすれば、この疲れる問答も、悪戯の魔の手から逃げなければならないという非日常からも解放されるというのに。好意を持たれることは嬉しいことだが、その好意を乗せた態度が気に食わないのだ。もやもやしながら、それを晴らすべく頭は相変わらずかきむしったままで教室の教卓側の扉を開いた。

「おっ?」

 教室の後の窓際では、「古より凍てついた蕾」の呼称をつけられているシニヨンヘアの古郡蕾がこちらに目もくれず読書をしていた。

「古郡さん、まだ帰ってなかったんだ」

 その声に反応し、満花へ顔を向けてボソッと消え入るような声で答える。しかし、それは満花のかけた台詞への返事ではなかった。

「……また、追いかけられていたのね」

「えっ!?」

 何故、そのことをと現場を見られていたわけではないのに焦る満花。というより、自身が焦っている理由がわからない。浮気を咎められているような気がしてならなくて。突然、湧き出た謎の罪悪感に頭を掻く手がさらに早まる。もう頭皮が剥けてしまいそうだ。

「ははは、何故か知らないけどね~。鬼ごっこが好きなのかね~あの子はさ……はっきりやめてと言えない私も私なんだけど……」

「……好きだから、付き合ってあげているのではないの?」

 何の疑いもない透き通った目で見つめてくる古郡さん。けど、その目に光は微かにしか存在しない。無理もない。話しかけられたから仕方なく話を合わせてくれているのだろう。相手は、「古より凍てついた蕾」だ。彼女の過去は、この高校から出会いクラスメイトになったが誰にも心を開いていないのだから知る由もない。彼女の出身学校のクラスメイトに話を聞いても有益な情報は得られない。

 どうやら昔から、この呼称由来の生き方を貫いてきたようだ。一匹狼になりたいのか、理由があって心を閉ざしてしまったのか。彼女が、口を利くなんてめったにないことだ。クラスメイトが編成されてからの自己紹介と時々授業で名指しされたときの回答くらいでしか彼女の声が聞けないのだ。凍てついた心が少し垣間見える好機なのかもしれない。話を続けられるようにしよう。途切れ途切れの彼女の声を紡いだら浮かび上がってくるかな。

「えと、友達としては好き……だけど。特別な好きはないかな。私も、好きだからこの茶番に付き合っているのかなんて思った時もあったけど、もやもやしているんだ。いや、もう納得いかない感じ。だから、抵抗の気持ちを叫んでいるんだろうね。誰も聞いていないと思ったんだけどな~お恥ずかしい」

「そう。私はいつもここで読書しているから毎日聞いていたわよ。あなたの叫び」

 毎日読書かぁ、何の本読んでいるんだろ。これで話を膨らませよう……いや、待て待て。

「きょ、今日だけじゃなかったんだ!?」

 毎日聞かれていたのか、私の誰にも届いていないであろうと思っていた叫び。

「ええ、クラスメイトがいなくなってからの教室でする読書はより、静寂さを感じて本の世界に集中できるのよね。けど、とんだ効果音が流れていたとはね。居残りにしては先生に見つからないようにする気配をまったく感じさせない。むしろ、私はここにいるって自己顕示が強い存在感を示しているわね」

「えぇ~それは失礼。読書の邪魔をしちゃって……」

「……そうね。でも、今は読んでいる本より気になってしまっているわね。あなたのこと」

「!?」

 まさか、古郡さんに関心を持たれているなんて!?しかも、なんかそっけない一言のお喋りじゃなくて、私を分析してくるような言葉選び。もしかして、少し打ち解けることができたのかな。なら……

「な、ならさ。あ、明日もさ。こうしてお喋りしてくれない?愚痴、聞いてよ。いや、悩み相談かな」

「ええ、私はここで読書しているから、いつでも待ってるわ。どうぞ、明日も好きなだけ追いつめられて思考を煮詰めたらいいじゃない」

「明日も追いかけられる前提!?」

「ともかく、あなたの行く末を見届けさせてもらうわ」

 私を気になる物語の登場人物とでも見ているのかな。毎日、読書しているくらいだし。ま、何はともあれ。私も今まで強く関心を持ってても話かけることのできなかったクラスメイトと話すきっかけができて嬉しい。おまけに放課後に二人だけの秘密事まで作ってしまった。けど、自分の悩み事ばかりではなくて明日こそは聞いてみようか。何て言う本読んでいるのって。



 次の日の放課後があっという間に訪れたことを告げるチャイムが、いつもの時刻に学校中に響き渡る。今日、何か充実してたっけ。時間早く過ぎたな。例の追いかけてくるクラスメイトは、私の席へ近づいてくる。

「満花ちゃーん。ほとぼり冷めるまでお喋りしてましょ~」

 来たよ。 何がほとぼり冷めるまでだ。私は教室に今存在するクラスメイト達の熱が、全力疾走を強制される挙句、頬にキスされて顔に熱を凝縮されるかのようになるんだよ!このクラス四十人いるんだぞ?それを一人で受けとめるような感じなんだよ!

けど、今日は半減させてやる。他のクラスメイトは各々、所属する部活に向かったり、帰宅したり、教室は人がいなくなっていく。居残りしているのは三名。

「さぁて、周りは誰もいなくなったし、お楽しみといきましょう?」

「……」

 返事を待たず、満花は走り出した。

「あ、ちょ、ちょっと!! 合図なしに勝手に行くなんて!!」

 もうあいつの手のひらの上で踊らない。逃げ切って、振り切って、これが私とあいつとの距離感だって教えてやる。そして、あいつは気づいていなかったな。無理もないか、私も昨日、本人から聞いたし。周りに、まだクラスメイト残っていたのにね。本を持ったまま凍ったかってぐらい、一五〇cmの小さな透明な存在感になってそこにいたのにさ。古郡さんは、今日の私の行動どう思ったのだろう。後で聞いてみよう。無事に逃げ切って。

「満花ちゃん!!どこにいるの!!」

 鬼さんは間抜けなことを叫んできいてくる。まぁ、答えることなどありえないけど。三年の空き教室の教卓に隠れてみた。

あ、狭いな。入ってみたくてその願いがこんな形で成就だけど、この好奇心は幼い頃で卒業するべきだった。もう、私は図体がでかい人間になってしまっていたな。幼い頃の私なら隙間ができていただろうけど、ピタリとハマってしまっている。

 ……出られるだろうか。不安になってきた。まぁ、まだこのまますっぽり収まっておきますか。まだ、近くにいそうな気がするから。それにしても息を潜めるというのはこんなに切羽詰まるのか。不利な状況というのは、追い詰められる。肉体的にも精神的にも。普段、呼吸なんて意識しないでできるものを故意的に数少なくしたり、吐きだす強さに気をつけたりするだけで、こんなにも何気なくできていることもできなくなってしまったのかという焦燥感に駆られる。だが、不安に打ち勝たなくては、どこで嗅ぎつけられるかわかりやしない。こう、鬼ごっこシーンって言うのは、安心したところを神出鬼没で見失ったかと思いきや、いきなり背後から襲われるのが相場だからな。

「この教室に、満花ちゃんがいそうな気がする……」

 びくっと私の体が武者震いを起こす。女の第六感マジ怖いわ。普段はほわんほわんとお惚けな顔している癖に、私を追うあいつは野生の動物並みに獲物への執念が強いのか。頭が痛くなってくる。呼吸が頭まで回っていない感覚だ。音を漏らさない

ように口を手で押さえているせいか。けど、手を離したら呼吸の音を辿ってあいつが襲ってきそうで。痛いのは頭だけではない。心臓もだ。酸欠なことを察知して体が緊急体制を取るように命じているのを感じる。秒針が一秒を刻む間に何回刻んでいるんだという心拍数。むしろ、この心臓の動く音に気付いてくるんじゃ……右手は口を押えたまま、左手は本来の正常な判断だったら絶対聞こえないとわかっているはずの心臓の音をふさぐために当てる。しかし、努力は空しく靴音は満花の居場所へ響いてくる。

 カツ、カツ、カツ、カツ……

……?止まった?

「……見―つけたぁ」

 横を振りむくと、小悪魔の微笑を浮かべるクラスメイト。

「わ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙――――――!!!!!!!!!!」

 満花は教卓を思い切り肘打ちをかまして囚われの身から脱出し、教卓によってドミノ倒しとなった机達を軽々と飛び越え、近くの扉から抜け出して再び廊下を疾走し始める。

「ちょっと、教卓直していきなさいよーーー!!!」

 クラスメイトは、教室の秩序を乱した真面目者の痕跡に罪悪感を植え付け呼び戻そうにも

「後でちゃんと直すよ!お前との鬼ごっこに勝ってから、きちんと印通りにな!」

 真面目者は鬼ごっこ中は不真面目者になっているようだ。

「あぁ、次どこいくか」

 走りながら悩むも辿り着いたのは、1年の自分の教室。再登校してしまったように錯覚してしまう。扉を開けると相変わらず、綺麗に姿勢を伸ばして目線は本に向けたままの古郡さんだけが居た。まだ、決着はついていない。今は彼女と会話したい気持ちをこらえて、また教卓の中に隠れた。さすがにもう一度をここを探そうという発想は出まい。あいつだって、私がぴたりとはまっていた教卓から必死に退けていた様を見ていたはずだ。また、同じ場所に隠れようとしている愚か者になっているとは思うまい。靴音が聞こえる。あれ、私扉閉めたはずなのに、なんで靴音?まさか、あいつが先回りして潜伏していたのか!?

 鳴りやむ、靴音。

「???」

 首をかしげながら、念のためまた探れられないように、口と心臓に手を当てておく。再び、鳴り響く靴音。心臓が飛び跳ね、冷や汗が伝うも、その音は満花には近寄ってこない。ガラガラッと扉が開かれる音が鳴り響く。ベランダの扉を開ける音だ。

「???」

 この、靴音は古郡さん?読書中だったのでは?外の空気吸いたくなったのか?いや、それなら何で、教室の中へ近づいていくように歩いていたんだ?彼女の席は窓側なのだから立ち上がらなくともベランダの扉を開けるだけでいい。景色を眺めたくなったにしても、わざわざ、教室中を歩く必要もない。古郡さんの謎の行動の意味を憶測している間に、再びガラガラと鳴るベランダ。ベランダの扉の開閉音が終わると同時に鳴る扉の音。今度は教室の扉であった。

「満花ちゃ……って、古郡さん、教室に居たの? み……、新市満花さん、ここに来ていないかしら」

 あいつは、教室の後ろから入ったらしい。焦った。前側から来ていたら心臓がまた跳ねるとこだった。いや、待て、ここで古郡さんが私の存在を告げ口したら……!?古郡さんは、この後どのような展開を私に望んでいるんだ?私が鬼に追い詰められる様だったとしたら……!?その方が非日常的だ。物語的にはハラハラした展開が巻き起こる。

「新市さんは、帰ったのではないかしら」

 えっ?古郡さん、私をかばってくれた!?私と昨日会話したことを考慮して、ここに居ないことにしてくれたのか?いや、でもそれなら来ていないでいいんじゃ。荷物が机の上に乗って……

「あら、本当だ。ちぇっ、初めてだわ。こんなの」

 小悪魔はいつものゆったりとした靴音に戻り、教室内を少し歩いているようだ。椅子を少し引き出しすぐ戻す音が聞こえる。忘れものがないか確認したようだ。

「あ、私を上手く巻いたと思ってさっきの教卓直しているかも。見てこよ~」

 古郡さんから情報を引き出すだけで用済みとし、私達の居る教室を後にしたようだ。扉の音が二回鳴ったのを確認してから、出ようとする。……出られない。仕方ない。再び、肘打ちをかまし教卓を倒す。

「ふぃ~やっと出られる」

「……教卓を直しに行ったと思われている人がまたしても派手に二卓目を倒してくれたわね。私の嘘を自ら、相手にバレるようなことをしないで」

 いそいそと出てくる私に、あきれた声で話しかける古郡さん。

「いやぁ、教卓から抜け出せなくって……あと、庇ってくれてありがとう。一難は逃れたよ。この音を気にせず帰ってくれたら私は安心してこのまま古郡さんと会話ができるんだが」

「とりあえず、この荒れ模様を直しましょうか」

 古郡さんが立ち上がり、私のところへ来て、たったいま濁した後を直す手伝いをしてくれている。被害は最前列から前から二列目までに及んでおり、教卓だけではなく、生徒机も直していた。

 カッカッカッ……

 上履きの廊下に傷をつけるような勢いの音がこちらに鳴り響いてくる。

「げっ、あいつきたかも。今、教室出ても掴まるだけだ、どうしよう!?」

 息を潜めていなくても感じる心拍数の上昇。古郡さんに見られてしまう。私の恥の姿。いや、公開処刑の姿か。何故、こんなにも彼女に対して、キスされている光景を見られることに後ろめたさを感じるんだ。一か八かで駆けだそうとした時、勢いよく掴まれる腕。

「行ってはダメ。私と来て」

 そのまま古郡さんは私を教室側と反対側へ誘導する。古郡さんはベランダの扉を開け、振り返ると

「ここで窓から見えないように縮こまってて。何があっても出てきてはダメよ」

 コクンと頷き、駆け足で古郡さんを横切りベランダの上にしゃがむように待機する。私の待機姿勢が出来上がる頃に、再び勢いよく開かれる扉。

「もう! あの教室の教卓は倒れっぱなしだし、なんかまた満花ちゃんが教卓倒したような物音聞こえてきたと思ったら……古郡さん?」

 古郡さんの方を向きながら事態を伺っている。古郡さんの横顔は相変わらず表情を何一つ変えることなく前を向いている。

古郡さんは、何て返事をする。

「あら、驚かせしまってごめんなさい。筆記用具をなくしてしまっていたみたいで、あちこちを探していたら誤って教卓を倒してしまって。埃も舞ってしまったから換気をしていたのよ」

「へぇ、古郡さんでもこんなわんぱくな面もあるもんなんだねぇ。さて、後は帰り道を探しますかね」

 古郡さんに悪い印象を抱かせてしまった。けど、あそこで弁明してのこのこと出たらせっかくの厚意を無下にしてしまう。

教室の扉が閉められた。災難が去って、ふーと反対方向を向きながら一息ついたら、後側のベランダ扉の近くに私の荷物が置かれていた。通りでさっき、古郡さんの庇ってくれた台詞が、私が帰ったということで通じたわけだ。

「古郡さん、ありがとう。あいつに初めて勝ったよ!君のおかげだよ!」

「まさか、私があなたの行く末の登場人物になるとはね」

 ここで、くすりと微笑を浮かべた古郡さん。けど、せっかく初めて笑いかけてくれた笑顔に対して私はむっとしてしまう。

「古郡さん!私と関わり始めたのは昨日からだけど、その言い方はないよ。それじゃ、今まで、古郡さんがこの学校に存在してなかったみたいじゃん!」

 古郡さんは驚いたように、少し眉を持ち上げていた。

「私の存在なんて普段、空気のように実態が見えなくて話題に上げるのもおかしいものじゃない。誰も、空気の話題なんてわざわざ、取り上げてしようだなんて考えないでしょう」

「そ、それは……」

「それに、話題が上がったとしても快く思われている存在でもないしね。普段は見向きもしないのに、私を認識したら心がないとか人間じゃないとか、悪目立ちばかり。古より凍てついている蕾ですってね。私が日の当たらない場所に幽閉でもされているかのような」

 確かにその通りだ。彼女の影での呼称が「古より凍てついている蕾」なのだから。私は、クラスメイトがそう悪い噂話で盛り上がっている時に、この呼称で彼女を表現してはいないものの、先程からの彼女に感じる心情を結局クラスメイトが付けた呼称のように表現しているあたり私もクラスメイト達と同じだったのだ。申し訳ないと思いつつも、その呼称にあやかって彼女を見つめていると今は、曇りも濁りもない透き通った氷が目の前にあるように感じる。ふと、触れてみてたくなり彼女の手を取った。

「な、何。急に手なんか握ってきて」

 温かい。手の冷たい人は心は温かいなんて言われることがあるけれど、私は手の温度ってその人の心の温度を表しているように感じる。安心さを感じさせるのってやはり人肌感じる温度だ。彼女は氷のように冷たくない。むしろ、氷を溶かしてしまいそうなくらい、温かさを感じる。私は今まで近づこうとしなかっただけ。近づいたら氷ついてしまうのではないかとクラスメイトにどんな人か聞くだけで終わりにして知った気になっていただけ。彼女と向かいあおうとする姿勢がなかった。本当は内なる温かさがある者を周りが勝手に氷漬けて閉じ込めた冷酷さを凌いでいればよかっただけなのに。どうして、こんな簡単なことを今までしてこなかったのだろう。親しくなりたい人に近づくには、何かしらの手段を用いなければならないのに。直接の会話なり、手紙などの文章媒体等の間接的な会話なり……

「ごめんなさい……今まで、君のこと知りたいって思っていたのに。踏み出す勇気をつくれなかった」

 彼女から目をそらさないように、正直に謝った。彼女も私から目線をそらさず真摯に受け止めてくれている。そして何故か、頬を少し赤く染めている。

「……近寄ってきたと思ったら大胆よね。新市さんって」

「へっ、あぁ! ごめん!!」

 そうだった。手握ったままだ。いきなり、侵入したかと思ったら、土足で遠慮なく踏み荒らしているよ、私。

「こんなところだと寒いから、中に入らない? 私は少し暑いけど」

「そうだ。もうあいつ帰ったんだから、こんな寒空の中でいつまでも隠れていなくていいよね。それにしても、暑いって?体温高いの?」

「そこは気にしなくていいわ。病の前兆かもしれないから早く入りましょう」

「うぇ!? 風邪かなぁ? 私もひいたら不味いし入ろう」

 荷物を持って、古郡さんの席側から教室に戻る。教卓の方を見ると、教卓も机もすっかりもとの場所に収まっている。あいつが嗅ぎつけて戻ってきたときは、机の片付けほっぽり出して隠してもらったけど、教室に辿りつくまでの間に、古郡さんは机をささっと直して、窓際で換気をしている人になり切っていたのだから只者じゃない。読書で、窮地を乗り切る物語もよく読んでいるのだろうか。私なら無理だね。あっさり掴まってお縄を頂戴役かなぁ……いや、待て。私は悪者ではないはずだ。要領が悪いだけ。彼女は自分の席につき、私も隣の席の子の机と椅子を借りて、荷物を置きながら共に隣同士で座り合う。

「……でも、不思議と気分は悪くないわ。待っていたのかも。けど、私だって、誰とも打ち解けようとしなかったわね。本を読むという1人で完結することばかり好むから」

「古郡さん、いつも読書しているもんね。話しかけたら邪魔しちゃうんじゃないかなって」

「そうね、どうしても物語の続きが気になってしまって。周りに関わることが煩わしいとさえ思ってしまうほどだわ」

「家とか、図書館じゃダメなのかな?これらの場所こそ、読書にうってつけのような気がするけど……

教室だとさ、皆が騒いでいたりして気にならない?」

「いえ、私夢中になると、あらゆる刺激が遮断されるほど集中できるからどこでもできるのよね。でも、ふと現実に戻ってきたときに、気づいたら私は現実では存在しない人物とされていたわ。それに、家では絶対無理ね」

「どうして?」

「勉強しなきゃいけないからよ。家では、ひたすら将来に備えて強制させられるわ。まぁ、学ぶことは嫌いではないし、覚えることもできるしそれはいいのだけど。けど、読書……小説を読むなんて低俗なものと言われていてできる時間が作れないの」

「そ、そんな。そりゃ確かに、教養ってすぐ役に立つものって中々見かけないけど。いや、私があまり読書しないから知らないだけかな? と、とにかくすぐには役に立たなくても人生を豊にしてくれるものだと思っているよ」

「ええ、その通りよ。小説だって、ジャンルが分類されていて確かに実生活とかけ離れているものだってある。でも、その中で描かれる人間模様って何を題材にしていてもあまり変わらないのではないかしらって。時代が変わっても、周りに溢れるものが変わっても」

「うん、そうだよね。小説からだって人間模様を学べる。他のことだって知ることができる。私達まだまだ色々なもの吸収しなきゃ。学校の教科書とか参考書だけじゃなくて」

「そう言ってくれる人がいてくれて、救われた気分だわ」

自然ともうあんなに聞けなかった読書の話で盛り上がることができている。今こそ、聞いてみようかな。

「あ、あのさ。話少し変えちゃうけど、聞いてもいい? 昨日は何の本読んでいたの?」

彼女は、机の中にしまっていた本を取り出して、さらに保護カバーを外し、私に表紙絵を見せてくれた。

「世界のことわざを集めた本よ。最近は小説じゃなくてこういう本を読んでいるわね」

「へぇ、世界のことわざを集めた本かぁ。世界にもことわざ表現ってあるんだね。何が印象に残ってる?」

「そうね。慣習・風俗、時には風刺といった社会のことを格言みたく残しているのはどこも変わらないものね……。まだ、途中だけど印象に残っているのはオレンジの片割れの話ね。ギリシャの話なんだけど……」

「オレンジの片割れ? 何のことを言っている言葉?」

「日本にだってあるわよ。ことわざではないし、別のものになるけど、貝合わせって言葉でね。良いヒントになるんじゃない?」

 質問したけど、問題にして返された。貝合わせ……?

「貝合わせって、あの古典で習ったやつ? 貝の美しさと和歌をつけて競った遊びだよね? 時代が経つとトランプの神経衰弱みたいに同じ模様の揃える遊びに変わっていって……」

「そうそう」

 まぁ、単純に考えて……

「ん~、遊びについて?」

「そのままじゃない。もっとさらに踏み込んでヒントを出しましょうか。和歌もどのようなことを詠ったものかを神経衰弱と組み合わせれば答えが出るかもしれないわ」

「神経衰弱と……? 同じものを揃えることと、どのような内容の和歌を詠んだことが繋がる? ますますわからなくなった」

「答えに近いこと話しているのだけどね……。新市さんは恋愛に興味ってないの?」

「えっ!?」

 古郡さんの言葉に再びドキっとする。浮気を咎められたかのように錯覚した時とは違う。今度は、好きだってわかっていて、からかわれているような……

「きょ、興味はあるけど、縁がないかなぁ~って」

「そう、私もそんな感じかしら。話を貝合わせに戻すけど、何故貝なのかって言われたら同じ模様のした貝は存在しないからって。貝を半分に切り離し、他の貝と混ぜて並べたとしても、偶然に合わさる貝って存在しないのよ。模様にしたって、大きさにしたって」

「確かに、世の中は同じものでもまったく姿形が同じものってないよね」

「オレンジの片割れも同じこと言っているのよ。人間だって、見た目とか似せることはできても、中身もある程度までは一緒だったとしても完全に一緒なものはない。でも、それを補うかのように惹かれ合う存在がある。古代ギリシャ文学においては、男と女、男と男、女と女、といった組み合わせが1組の完全体を形成していたと言われて、ゼウスの怒りを買ったことによって不完全な存在に分離させられて、人々は失った魂の片割れを探して、実りにするのだとか」

「オレンジの片割れは、唯一の恋人の例えだったんだね。それに、日本語でも想いが実るとか言うよね。国が違っても同じような表現があると本当、人間ってどこでも変わらない存在なんだなぁと思うよ。

それにしても、男女の他にも組み合わせがあったのが……」

「人間に限らず、他の動物だってあるわよ」

「いや、そうじゃなくて……私もそうなのかもって」

「あら、やっぱり追いかけていたあの子のことが気になってきたのかしら?」

違う、私が考えずにいられないのは……

「……ふ、古郡さんのことが気になる。クラスメイトのことが気になるのって聞かれた時とか、思わず手を握ってしまった時とか、ドキドキするのを感じる」

「え……」

 先程まで、熱く本の内容を語っていた古郡さんの饒舌さが冷めたように口を閉ざしてしまう。そして、代わりに浮かび上がる顔の熱。手を握ってしまった時以上に濃い赤色が現れてくる。私もふと、その赤色を見て事態をとんでもないことへ持って行ってしまったことを自覚した。昨日話したばかりのクラスメイトにまず落ち着いて結論を出すべき思いの丈を口走ってしまった。何で、告白しているみたいになっているんだ、私!!古郡さんは、顔伏せて、私と反対方向へ顔を背けながらも

「じ、実は私も、あなたに手を握られてから。新市さんのことが気になってしまっているわ……」

か細いながらも私の耳にははっきり聞こえた古郡さんの心情。同じ思いを感じ合っていたようだ。そう言われると、気になってしまうことがある。

「も、もしかして私達、片割れ、なのかな?」

「それを決めてしまうには、まだ早計な気がするけど……。でも、確かめたいわね。読書をしていても、あなたがクラスメイトに追いかけられているのが気になってしまっていたくらいだから」

「あ、そうだよね。読書中はどんな刺激も遮断できるって言っていたのに、私の叫びを聞いていたもんね」

「そのおかげで、あなたと打ち解けることができたもの。良かった」

 そう言いながら、お返しとばかりに手を握ってくる古郡さん。またも、ドキっとしてしまうも間髪いれずに

「うるわしき、貝はこの世に数あれど……」

「えっ? 和歌?」

「恋愛について詠った和歌よ。訳してみて」

 今度は、和歌の訳は何かという問題だぁ~。

「え、ええ?えと、美しい貝はこの世に溢れているけど……何だ?これはどういう状況で読まれた和歌なんだ?」

「これは、鶴式部が詠った歌よ。想い人と海へ行ったときに、浜辺に落ちていた貝をもらったの。でもその貝は特別と言えるような美しさなど持ち合わせていないありふれた貝だった。それでも、この貝が最も美しく見えるのは何故でしょうか。あなたが拾ってくれた貝だからという意味よ。歌によって、貝の魅力が増したと言っていいわね」

「貝合わせに歌を添える意味がよくわかった気がする。その人にしかない物語を添えることで、貝を特別にしたんだ」

「そういうこと。私も昨日から日常が変わって特別になっているのを感じているわ。あなたと会話をして。そして、好きな読書のことでお話することができて。ありがとう、新市さん。学校へ来ることへの気持ちが変わったの」

「いや、そんな……」

「けど、私、他のクラスメイトとは特に打ち解けたいと思わないから、良かったらこれからも放課後、こうした時間を過ごしてくれたら嬉しいわ」

「そうなんだ。クラスメイトにも読書好きな人、いると思うけどな」

「私は今のところ、あなたと読書の話をしたいだけで、他の人にはあまり興味を示してないわね」

「そっか。けど、クラスメイトと話したくなったらいつでも話しかけてくれたら嬉しいと思う。きっと、私のように古郡さんと話してみたい人もいると思うから」

「そうね。私もつい、悪く言う人ばかりを目に入っていて、私に興味を持ってくれる人のことを考えることがなかったわ。その時は、少しでも歩み寄りたいと願うわね」

「わ、もうこんな時間か!!」

 教室の黒板の上に飾られている掛け時計に目をやると、まもなく十八時に針を指そうとしている。部活も終わり、見回りの先生だって教室に来るかもしれない。

「古郡さん、そろそろ帰ろうか。先生に見つかると面倒だし」

「そうね。満花さん」

「ええ、名前!?」

「お互い告白みたいなことしたし、名前で呼び合って仲を深められたらと思ったのだけど」

「そ、そうだよね。なんか段階をすっ飛ばしたような感じだけど、私も名前で呼びたい。つ、蕾ちゃん」

「名前で呼ばれるのなんて久しぶりだわ」

「良かったら、一緒に帰ろうよ」

「そうね。行きましょう」

 見回りの先生に見つからないようにして、二人で校門まで早足で行かなくてはならず、会話を楽しむ余裕はなかった。それに、古郡さんとは帰り道が正反対だった。告白みたいなことだとか名前呼びだとか距離を縮められたかと思えば、どこかへ遊びに誘うことはできなかったけれども放課後の教室でまずは、話を膨らませていればいい。今日は校門まで過ごす時間で萎ませてしまうけれどまた明日の放課後、膨らます楽しみがある。



 帰ってから、パソコンで地元の図書館に、世界のことわざの本があるか調べてみた。二冊、在庫があった。今度の休みに借りて読んでみよう。古郡さん、読書しているから私が借りて読む頃には違う本読んでいるかな。私もことわざの本以外にも複数借りて読んでみようかな。学校から帰ってきてからも古郡さんのことばかり考えている。そういえば、携帯のアドレスとか聞くのを忘れていた。段階すっ飛ばしているけど、教えてもらえるか聞いてみることにしようかな。携帯見ないで読書しているかな。携帯の音が鳴ったとしても読書に夢中になっていそうだ。いや、最初からサイレントマナーに設定しているかも。とにかく、今は、放課後過ごす時間を楽しくすることから考えよう。学校の宿題とか、風呂、食事をさっさと済ませて、明日が早く来るように眠りについた。




――――

 時間は数時間過ぎているというのにあっという間に迎えたような体感。朝目覚めるのに、布団から出るのを渋るのが嘘のように、すっと出られる。早く会いたい。その想いが学校へ行く準備を早く済ませて、登校路へ着く。

「満花ちゃん、おはよう!」

「おはよう!」

 いつものように交わされるクラスメイト達との挨拶。しかし、その中にはあいつの姿ももちろんあるのだ。

「おはよう、満花ちゃん。昨日はよくも私との遊びの最中に帰ってくれたわね」

「あぁ、おはよう。残念だったな。ちゃんと十八時まで隠れていたさ。むしろお前が勝手に気まぐれで帰ったんだろ?私はお前との遊びに勝ったのさ」

「何ですって?古郡さんが帰ったって言ってたから……と思ったけど、古郡さん、周りに興味なさそうだからいつ誰が出入りしたとか一々、見てなさそうだ。あーあ、残念ね。違う遊びを始めましょうか」

 いつか、古郡さんの印象解けるかな。まぁ、今は古郡さんのことには触れずに終止符を打ってやる。

「もう、嫌だね。好きな人にでもすれば?」

「あら、好きな人にしているじゃない」

「な!? えっ!?」

「友達として好きよ。満花ちゃん。あ、まさか、恋愛感情抱いている人にしかキスしちゃダメだーとか頭の堅いこと考えているの? もう、疎いんだから、友達同士のキスだってあるわよ~。本当、そういう反応されたらつい、からかいたくなるじゃない」

「こいつ……じゃあ私にはキス以外での友情表現を頼むよ」

「もう……私だって誰かれするわけじゃないのに」

「それでもだ」

「あら、こんなにはっきり言ってくるようになるなんて。私以外の誰かから愛情表現されたくなったのかしらね。もしくはされた?」

 女の第六感またしても。でも、悟られるな。

「さぁ、どうだかね。いるんなら早く現れて欲しいね」

「なんだか、寂しいわね。まぁ、いいわ。鬼ごっこしなくても~、私と楽しい時間過ごしましょ?」

「はいはい、過剰な愛情表現がなければいくらでも。あ、でも放課後は無理だわ。やりたいことあるから」

「え~何々? バイトでも始めた?」

 バイト先に凸するとか言いだされても面倒だし、実際、読書を始めようと思うからこう言っておくとしよう。

「いや、新しい趣味かな」

「え~気になるんだけど、私も面白そうなら一緒にやりたいなぁ~」

「いやいや、私一人でやりたいことだし、都合付く日は、これまで通り一緒に遊ぶから」

「そりゃそうよ。趣味に走って、私との時間減らすなんて許さないわよ。でも、内容は教えてくれてもいいんじゃないの~?」

 私を上目遣いで、でもによによとほくそ笑んでいるように見つめてくるこいつ。相変わらず、小悪魔だが、どこで言いふらすかわからないから誰にも教えない体を貫き通す。始業時間が始まり、1、2時間目の科目終わってからの休み時間までも新しい趣味のことを問いただされたが、その後の休み時間には、私抜きのいつものメンバーで放課後何して遊ぶかを話しに言っていた。カラオケ行くことにするらしい。このメンバーとすることも楽しいから、私も行く日を考えないと。それに、古郡さんだって、読書に集中したい時あるんじゃないかな。もしくは、これからメンバーに加わって遊べたら嬉しいけど。

 二人だけの秘密の時間が訪れる放課後チャイムが鳴った。クラスメイト達は、各々の事情を始めている。からかい小悪魔も、メンバー達とカラオケに向かったようだ。私と古郡さん以外は誰もいない教室となっている。

 古郡さんの席の隣に座ってまた、本の話をしていた。昨日のように、けどいきなり手を握ってきたのは古郡さんからで、話している間もずっと握られていた手の温もりは冷めることがなく熱を伝え続けてきて。いつの間にか、高鳴る鼓動は心臓の速さに気が回らないで済むいつもの速さを刻んでいた。彼女も私といることに安心感を覚えてくれただろうか。わかることは、彼女の顔色がいつもの澄んだ白色に戻っていること、けど柔らかい微笑をしてくれる時間が増えてきたことだ。交わり始めたばかりの二人だけど、想いがいつまでも重なっていられるように、私も様々な本を手に取ってみようかなと興味を持ち始めている。それに、私の好きなことだって教えたい。趣味が合わなかったとしても、一緒に楽しめること見つけていきたい。私と彼女との物語が少しでも長く穏やかな続きがありますように。

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片割れ シィータソルト @Shixi_taSolt

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