第4話マトー

バタン!

扉を力任せに叩き付ける

奴隷の娘が竦みあがっているのが判る


ガチャン


手荒く錠を回す


昨夜、この錠を忘れさえしなければ……。いや、過ぎたことを悔いても仕方ない

忌々しい。最低の気分だ

ゴキブリ風呂に落とされたってもう少しましな気分だろう。

腹が立つ! 街一つ焼け煤にしたって収まりそうにない!


カツカツ!


マトーは怒りのままに荒々しく歩を進める


カツ……

だが、だんだんとその歩は力を失い


カツン

遂には止まった。呆然と立ち尽くす。


「……………ぐ」


小さな嗚咽が漏れた


頭を押さえてかがみこむ


「ぐうああああああああああーーーーーーーーーーーー!!!!!!」


めしゃりと、マトーの顔が苦悶に歪む。凄い、人はここまで苦悩できるのか、見る人に感銘を与えるほどの見事な苦悶の表情。眉間の皺が十本は増えている。


「苦しい苦しい苦しいなにコレ、あの娘に見つめられるだけで心臓が握りつぶされるよう! なのに嫌われているなんて! 助けて! 俺は瀕死の哀れなミジンコ!」


この国の恐怖の代名詞がぐしゃっと膝から崩れ落ちる。

情けなく頭を抱えて頭を抱えてゴロゴロ床を転がりまわる


ごろごろごろごろごろ


真っ赤な絨毯が視界に眩しい

グルグル回る頭へ、昨夜の記憶がよみがえる


リマの笑顔


石牢の中でマトーの心臓を打ち抜いた……


月光のヴェールを纏ったリマの微笑みの衝撃たるや、筆舌に尽くしがたい


雷撃に打たれたってこうはなるまい

雷は一瞬で走り抜けるのだから


今まで生きてきた価値観が根底から覆るほどの強烈な光


思わず手を伸ばして、月光の闇から攫いあげた

掬い上げた可憐な花をもっとよく見ようと光の下へとさらした。


見たこともない可憐な花


香を嗅げば、脳まで痺れそう


国一番の美女だって足元にも及ばない


その艶めく黒髪に触れたい……どうしたら怯えさせずに手繰れるだろう

その頬に口づけたい……

瞳を合わせただけでも、泣かれそうなのに?

恐怖におびえていても朱を失わない頬の、なんとそそることだろう!


そして何よりその瞳!


夜明けの星空のように美しい


その瞳に俺を映して。お願いだから怯えないで。さっきの微笑みを俺にもおくれ……


ああ、あの微笑みを向けられたら! きっと天へと舞い上がってしまう! いいや、俺が落ちるのはどうせ地獄か


こんな気持ちは初めてだ。

真夏のめまいのよう。戸惑う暇も無く身体が脈打つ


どうしたらいい


どうしたらよいのかわからなかったのでとりあえず御馳走攻めにした


もぐもぐ懸命に食べる姿がこれまた愛らしくてたまらなかった


この女をものにしなければ俺は生きていけない

まだあどけなさの残るおもてを盗み見ながら痛感する


だがまてよ、まさか他の男が手を出していないだろうな。この女が心を寄せる男は、縊り殺してやらねばならぬ

はやる気持ちを抑えて。マトーはリマの恋人の有無を確かめた


リマは恋人はいない、好きな男もいないと答えた


(いよっしゃああああああああ!!!!!! っしゃ! っしゃ! っしゃ! しゃ!)


マトーは心の中で思い切りガッツポーズを決めまくる。リンゴンリンゴンと鐘が頭の中に鳴り響いてくす玉がパッカーンと割れる


何とか打ち解けようと必死で会話の糸口を探した


そうだ、こういう時は当たり障りのない会話から始めるんだ。年とか、家族とか……。御趣味とか……。あっ、そういえば名前も知らない


この試みは少しうまくいって頓挫した


家族の話でうまく会話が滑り出して……

ついうっかり人殺しの話をしてしまった


それも父親殺しの


しまっ、たーーーーーー!!!!!!!


リマの口が引きつったのが判る。いくら鈍い俺だってわかる。ドン引きというやつだ。


どうしようどうしよう。どうとりつくろったらいい。取り繕いようがない。どうしようもない事実だし俺は恐ろしい人殺しだ……。こんなことならアスクレーの言う通り慈善活動でもしておけばよかった。マトーの眉

間の皺が一本増える。


気まずすぎる沈黙


絞首台に上る時だってこんなに胃がぎゅっとなりはしないだろう。絞首台の縄などブチ切る自信がある


だから、部下のスライが入ってきたとき、マトーは半ばホッとして逃げ出したのだ。


錠を下ろすことも忘れて……


「うわああああああ、何をやっとるんだ俺はああああああ!!!!!!!! 鍵はちゃんとしっかりかけよう!」


ごんごんごんごんごんごんごんごん!!!!!!


頭を滅多打ちに壁に打ち付ける。額がぱっかり割れて容赦なく血が噴き出す。一向気にしない。


空っぽの部屋を見たときの、マトーのあの気持ち!


もう少しで倒れるところだった


もしリマが森に迷い込んだら?

森の狼は容赦しない


必死で城中を探して


地下牢で犯されかけたリマを見た時の絶望的な気持!!!


ああ! あの、下卑た酒漬けくそ馬鹿豚野郎め!!! 可憐なリマの頬を舐めた!!! 俺が触れることも出来ない可憐な花に! きっとあの頬を最初に舐めた男はあいつだ。 羨ましい! ちがう、許せん!


今思えば心臓を抉りだすなんて甘いやり方で殺さなければよかった。死んでしまえば苦痛も感じない。


ああー、そんなことはどうでもいい。そのあと俺はなんて言った?

怯えた瞳で拒まれて、

動転の極地で取り返しのつかない事をしてしまった


ああ! なんであんな馬鹿なことを言った! お前は奴隷だなんてとんでもないことを口走って!! 心配で心配で死にそうだったのに! 俺のばかばかばかばか! 今まで冷酷に徹してきたからバチが当たったんだ!!! 死ね! 俺死ね! 凍りついた氷海に百億回落ちて死ねー!



「あれ? マトー様、こんなところで何をなさっているのです? ダンゴムシみたいに丸まって」


丁度そこにメイドのマアリが通りかかって小首をかしげた。くすんだ金の短髪が肩口でくるんと飛び跳ねている。年のころは16,7といったところか


「何でもない」


マトーは瞬息で姿勢を正した。何事もなかったように衣を払う。引き結んだ口につーっと額の血が落ちる


何でもないわけないだろ。ごろごろ悶絶して唸ってたじゃん。

とマアリは思ったがすんでの所で飲み込んだ。


「お前こそ何でここに居る」

「はあ。昨夜の片づけと新しい朝食をお持ちいたしましたのですが」

何を当たり前のことを、と言った表情でマアリが告げる。ツヤツヤと桜色の唇。桃色の頬。星屑の瞳


マトーの瞳に欲望がともる。


掻き乱れる心を手近な代替品で鎮めようとして


「朝食は後でいい。俺の欲望を満たせ。」

マトーは手を伸ばした


「喜んで! 召し上がれ」

マアリが嬉しそうに唇を突き出す


無造作に小柄な少女の身体を掻き抱く

唇を重ねる

気を鎮めるためにキスをした。つもりだった。


「!?」


差し込んだ舌を慌てて引き抜く。ヌメッとぬるい粘膜の感触にぞっとする。

不味い。

なんだこの嫌悪感は!? 

可愛い女を抱いているのに!


鎮めようとした心が、余計に苦しくなる。


俺は狂ったのか?


これじゃない!


おれはあの娘の唇以外欲しくない!


マトーは涙目で唇をごしごし擦る

さながらその姿は汚された乙女


「あの、そんなにごしごし擦られるとさすがの私でも少し傷つくんですが……マトー様?」

突き放されたマアリがきょとんと眼をしばたたかせる。


リマに会いたい。


リマの唇がほしい。唇で無くてもいい。爪の端に吐息がかかるだけでもいい。


昨夜はこっそりたくさんのキスを浴びせた。月光に淡く煌めく星つぶように。一つ一つのキスをすべて覚えている。何と素晴らしかっただろう。

けれど今は視界に映る事さえ……。

酷く怯えられ、嫌われる……。


「……俺の部屋にリマという娘がいる。新しい俺の……奴隷だ。飯を食わせて城を案内してやってくれ。俺だと酷く怯えるのでな。なるべく長く……長く持つように。アスクレーの所へ連れて行って薬を打て。大事に扱え。逃がすなよ。」


「仰せのままに」


マアリはフリルスカートの裾を持ち上げて主に傅く

楽しいことを探す星屑の瞳がキラッと光った



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