Chap.6-3

「遅い!」

 リリコさんが金切り声を上げた。イライラも絶頂といった感じ。

「何が三十分以内にお届けよ、もう一時間は経つじゃない」

 なぜか僕が睨まれる。

「あれかな……三十分で半額だから、一時間ならさらにその半分で七十五パーセントオフでしょ。さらにその半分は八十七・五パーセントオフで」

 弱った小動物のような声でユウキがぶつぶつ言っている。一般教養には欠けるクセに、ユウキはそういう面倒臭そうな計算にはめっぽう強い。プログラマーという職業柄なのか。意味のない計算をして空腹を紛らわしているようだ。

「うーん、さすがにどんどん安くはならんだろ? 三十分以降はいくらたっても半額だと考えた方がいい。時間の経過にともなって料金が安くなるとはどこにも書いてないからね」

 ユウキのひとり言にタカさんが冷静なツッコミを入れた。タカさんは機嫌が悪くなるとどんどん冷静になるタイプなのだ。リリコさんとのケンカをしょっちゅう見ているのでよくわかる。つまり、タカさんも腹ペコということだ。

「納得いかないわ。三十分で元値の半分なんだからもう三十分で無料よ。これは譲れないわね」

 めちゃくちゃなことを言いながら、イライラとクッションに拳を何度も殴りつけるリリコさん。リリコさんの怒り方は動物的でとてもわかりやすい。

 リビングにピザ屋への怒りが充満していた。僕は大学生時代に飲食店でバイトをしていたのでよくわかる。

『腹の減った動物は凶暴である』

 当時、それを身をもって学んだ。とりあえず何かひとつ料理を出すか出さないかで、待ち時間の客の態度は全く異なったものになるのだ。店長がシフトを組み間違えた週末など、店が回らずに戦場になったものだった。鬼の形相をして詰め寄ってくる客の姿。今でも疲れていると夢に見たりする。目が覚めて、ああもうバイトはしていなかったと安堵するのと同時に、大学時代を思い返して甘酸っぱい気持ちになる。

「一平くん、なに遠い目してんの?」

 ユウキが机に突っ伏したまま僕の方へ顎を向けた。

「や、さすがに腹が減ってボーとしてきたかも」

「あー、イライラするわ。一平、催促の電話しなさいよ」

「嫌ですよ。急かすのなんて。僕、飲食のバイトしてたからわかるんです。こういうとき、客の煽りが一番面倒だし、余計に出すのが遅くなるんです」

「もう、とにかく誰か電話してちょうだい!」

 リリコさんの訴えに、ユウキは目をそらした。チャビは既に飢え死にしたトドのように、床にはいつくばっている。

「おーい、チャビだいじょうぶか~?」

 ユウキが席から立ち上がってツンツンとつついてみるが反応はない。

「返事がない……どうやらしかばねのようだよ」

「リリコさんが電話してみればいいじゃないですか。クレームつけるの得意そうですよ」

「得意じゃないわよ。なんで待たされてる相手にあたしから『もう出ました~?』なんて電話をしてあげなきゃいけないの? リアルをドタキャンされたときだってそんなのしたことないわ」

「まあでもさすがに一時間だからなあ。宅配のバイクが事故を起こしたとかなくはないだろ? 確認の電話はした方がいいかもしれないな。いま電話が一番取り出しやすい人がかけるのはどうだい?」

 タカさんがそう提案すると、リリコさんがすかさず、

「ムリ、あたし部屋におきっぱだもの」

 と勝ち誇った笑みを浮かべた。

「ホントですか?」

「伊達に風呂上りじゃないわよ」

「それを言ったら、一平くんはさっきもかけてるから、履歴からすぐ電話できるじゃん」

「なるほど」という納得感がリビングを支配する。結局、みんな催促の電話など気まずくてかけたくないのだ。

「そういう合理的なものの考え方が日本をダメにしたんですよ。僕はもっとスローライフでいいと思う。日本に今必要とされているのは原点回帰です」

「そーいうのを懐古厨っていうの。それにあんた昨日あたしに超合理的ハンガー売りつけようとしたじゃない」

「なんだい、それは?」

 タカさんが少し興味を持つ。

「ふつうのハンガーの三倍かけられるんですよ。あと部屋のデッドスペースを利用して、どこでもかけれるようにフックが改良されてまして」

 社長が絶対に流行ると大量に仕入れたものの、全く売れずに在庫を抱えてしまっているのだった。まあ腐るものじゃないが、少しでも売れてくれないと会社の経営が傾き兼ねない。

「なあ、一平は文房具メーカーの営業だろ? ハンガーて文房具だろうか」

 素朴な疑問が返ってくる。

「う、うちは手広くやってるんです」

「い、いっぺいくん……なにか、たべものちょ……ちょーだい」

 地獄の底からわき上がるような声が横たわったチャビから聞こえてきた。

 ほんの数十分前まで、

「やっぱりフランスのピザだから、ビールじゃなくてワインかしらねえ。開けてないワインがあったわよね、タカ」

「ああ、あれはちょっと高いヤツなんだが。まあ何でもないときにちょっと贅沢というのもいいかもな」

「タカさんのお店の周年パーティーの前祝ということで」

「あ、いいこと言う、一平くん」

 なんて、アハハハ、ウフフフフ! と和気藹々とした雰囲気だったのに、いまやリビング内は餓鬼どもの蠢く地獄の底辺と化している。

 リリコさんがピザ屋のチラシを乱暴に握りつぶした。

「もう、誰よこんなピザ・ボンジュールなんて得たいのしれないとこに決めたのは!」

「リリコさんですよ」

 無言で睨まれる。なんで僕ばかりが睨まれるのだろうか。


Chap.6-4へ続く(明日公開)

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