ママの話 9



村を覆いつくすほどの大きな丸い影が、上空に浮かんでいる。

日の光は遮られ、夕闇のような陰りを私たちの頭上にもたらしていた。


家の前を村人たちが走り抜けてゆく。「なんなの?あれ!?」

「いったい何事なんだ?」困惑と不安に駆られた声が交錯する。


そんな中「落ち着け!浮船だ!敵じゃない!」聞き慣れた声。

父さんだった。

「浮船だって?あんなでかいの見たことないぞ!レーシュ!」

村人の声が上ずっている。


「大丈夫だ。大きいが戦闘船じゃない!それより表は危険だ!

家の中に戻れ!土くれが落ちてくるぞ!早く!」父は戸口から

道端の村人へ怒鳴っている。その言葉が終わらぬうちに、

小石や木片が家の屋根をうがち始めた。


うきぶね。魔法で空を飛ぶ木の船だ。荷を吊り下げて運んだり、

人を乗せたりするのは見たことあるけどあんな大きなのは・・・

母の服の裾をつかむ掌が汗ばんでくる。

「大丈夫よリピア。心配しないで」

私の肩をそっと抱いた母は優しく言った。

そんな言葉、信じられるの?理由はあるの?

「だって・・・」見上げた私に


「確かに大きいわねえ。あれ程の浮舟を持っているのは

中央イグドラシルしかないわねえ」母は微笑んだ。

「そして、あれ程の浮舟を飛ばせる”魔力”を持つエルフも

めったにいないわ。今、乗っているのだろうけど。」


なぜかのんびりしたその声に、すくみ上りそうな私の心も落ちついてゆく。

お母さん。なんでそんな冷静でいられるの?


ふいに上空に浮かぶ巨大な浮船から、一つの影が飛び出してきた。

ゆっくりと降下してくる。村の広場の中央へ、昨夜私がドラゴンと

共に舞い降りたところへ、着陸した。


浮船だった。飛び出した巨大浮船よりは全然小さいけど、

それでも家ほどの大きさがある。まん丸で分厚いお盆のような形。


だがよく見るとそれはすべて木、それも生きている生木で

構成されているのがわかる。普通木々は大地に根を張り、

天に向かって伸びる。こんな形になっているのは、エルフの

魔法で木々を思い通りの形に成長させることができるからだ。


着地した浮舟は、しばらくそのままだった。が、やがて

軋み音と共に生木の隙間が開き、中から幾人ものエルフが駆け出してきた。

男もいるが女もいる。布地ではなく木の皮の鎧服をまとい、

全員とげの付いた杖を持っている。「全員整列!」硬い表情を浮かべたエルフ兵たちは浮船の入り口を挟むように二列に整列した。「整列完了!」すると


奥から悠然と一人の男が出てきた。エルフだ・・・本当に?

耳はとがっているが、髪は真っ白だ。代りに服が真っ黒だ。

落ちくぼんだ眼がぎょろついている。見守る村人たちを

険しく冷ややかな目つきで見回すと、男は大声で叫んだ。


「辺境の仲間たちよ!我々は中央イグドラシルより来た!

私は守護官隊長のエルガだ!村の者は全員集まってもらいたい!

村長はどこか!直ちに出頭せよ!」


家の中にいた村人たちも恐る恐る浮舟の周りに集まってくる。

その中に母と私もいた。村長が進み出る。目の前には

一回り大きな杖を持った黒衣のエルフ”エルガ”がいる。村長は口を開いた


「私が村長です。名はホラヌ。中央イグドラシルの守護官様、

これはいったい何事・・・」

「質問をするのは我々で!答えるのがお前たちだ!」鋭い声で

エルガはホラヌ村長を遮った。


黙りこくった私たちをエルガは見渡し、「ふん」鼻を鳴らすと口を開いた。

「われら守護官隊の使命は皆も知っているだろう。ファンタジアンの

神である神樹イグドラシルをお守りし、世界に仇成す者たち”ディモン”を

狩り立て、追い詰め、捕らえる事だ。村長ホラヌ!」「は、はい」

自分より遥かに年下の若者に恫喝され脂汗を浮かせた村長はおどおどと返事した。

「この辺りにディモンの巣窟があるとの知らせを受け、調査に来た!

最近、この辺で変わった事はなかったか?」


ホラヌ村長はうつむき、しばらく沈黙し、そしてはっと顔を上げた。

そしてためらいがちに振り向いた。ほかの村人たちも同じ方向を見つめる。

その視線の先には・・・


 母 の 傍 ら に 立 つ 私 が い る 。


人々の視線の集中を読み取ったエルガは、すぐに私に気づいた。

「・・・その子供が、どうかしたか?」ぎょろ付いた目玉が私を見据えている。

なんだか、怖い。

「どうもいたしません。守護官長さま」何か言おうとした村長を遮って

口を開いたのは、父だった。「うちの娘に”目覚め”が来たのです。

ですが、娘はいささか変わった子で・・・ご近所を驚かせてしまったのです」


「ほう?変わった子?・・・・・・!」ふいにエルガは言葉を絶った。

父の顔をじっと見ている。父もエルガの顔をじっと見ている。長い沈黙の後、

口火を切ったのはエルガだった。「これはこれは、レーシュ先輩。

こちらにお住まいでしたか」父も口を開く。「君もずいぶんと出世したようだね、

エルガ。見違えたよ」


え?父さん、知り合いなの?その人と。 エルガは答えずそのぎょろ付いた眼差しで母と私を見ている「つまりあなたがリミア。なるほど、よ く 似 て お い で だ」リミアは母の名だけど、似ているって?母と私がだろうか。

「恐れ入ります。守護官様」母は目を伏せた。


「だが!」ふいにエルガは大声を上げた。脅すような口調だ。


「私は旧交を温めに来たわけではない!答えよ!子供!お前は何をした?」

私をにらみつけてくる。「だから関係ないと言ってるだろう!エルガ!」

父の怒鳴り声。昨日と同じ。次の瞬間!「ぐぅぅぅっ」うめき声に変わった。

エルガがとげの付いた杖を父の腹に押し付けたのだ。何てひどいことを!

地面にうずくまる父に「あなた!」「お父さん!」母が駆け寄る。

私の心はぐちゃぐちゃだ。泣き出したい気持ちがあふれ出してくる。


「私を呼び捨てにする罪、一度は免じるが、二度は看過できん」

杖を持ったエルガは冷たく言い放った。「いつまでも先輩風を吹かさないで

もらいたいな。レーシュ。われわれ守護官隊は任務で来たのだ!。

お前たちには協力する義務がある!」

「もう一度聞く。子供、お前は何をした?」

「わ、・・えぐっ・・・たし・・・えぐっ」

鼻の奥がつぅんとしてくる。しゃっくりが止まらない。

「大丈夫。リピア、何も言わないで」母が私をその背にかばってくれた。

すると後ろから、


「村の決まりに背いて、森へ入り込んだ」誰かが言った。

「異種族のフェアリーやゴブリンと関わった!」誰かが言った。

「村にドラゴンを招き入れた!」誰かが言った。

「井戸の水を枯らせた!」誰かが言った。

「災いの使いだ!」誰かが言った。


「やめろ!娘は関係ない!」苦しそうに立ち上がった父さんが、

口々に叫ぶ村人たちにうめくように言う。


杖を手にしたエルガはにったりと笑った。「どうやら、

じっくりと話を聞く必要がありそうだな。子供」ゆっくりと私の方へ歩いてくる。

そこへ「この子に近づかないで!」母が割り込んでくれた。

舌打ちした顔がゆがむ「・・・知っているか?」

エルガは母に杖を突き付けて言った。

「”ディモン”は定まった種族ではない。獣人のディモン、ドワーフのディモン、

ゴブリンのディモン、いろんなクズが寄り集まった烏合の衆だそうだ。

そして・・・エルフのディモンもいる。」

「信じがたい事だが、イグドラシルへの忠義を失い、ファンタジアンを焼き滅ぼそうとする者たちの中に、我らが同族がいるのだ」


母は私をかばったまま、黙ってエルガを睨みつけている。


「その守護菅への反抗的な態度!疑いは濃厚と見るべきだな!」


次の瞬間、母は私の目の前で崩れ落ちた。苦痛の杖を押し当てられた胸を押さえている。痛みに心臓を鷲掴みにされた顔は苦悶に歪んでいる。私の心は真っ白になった。遠くで誰かの怒鳴り声がする。

「リミア!エルガ!貴様ぁ!」お父さん?数人のエルフに杖を押し当てられて地面に組み伏せされている。


どうして?


なぜこんなひどいことをするの?


後ろを振り向いた。村人たちはみんな顔を伏せてうつむいている。


どうして?


なぜ誰も助けてくれないの?


誰か・・・


誰か・・・


たすけて


その時だった。雷のような咆哮と共に火事のような熱風が頬をかすめる。

思わずしゃがみこんだ私の周りを大きな影が埋め尽くしてゆく。

空からなにかが舞い降りて来てるんだ。私は顔を上げ天を仰いだ。



輝く朱色の鱗。 





昨日のドラゴンだった。






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