ママの話7

 朝。夜の闇が朝焼けに追い立てられるように逃げて行く。寝床から起きて眺めた窓の外には、朝もやに埋もれた木々と村の景色が広がっている。

その景色と同じくらいぼんやりともやがかかった自分の頭から眠気を追い払うため、私は猫のように背伸びをした。心の中に昨日の出来事が浮かび上がってくる。


 ・・・フェアリー、ゴブリン、ドラゴン・・・そして、魔法。


 そうだ、魔法が使えるようになったんだ。私にも”芽生え”が来たんだ。

寝床を振り返り、めくれた毛布に両手をかざした。光の色をした煙が漂いだし、

毛布は宙に浮かび上がる。手を触れずに四辺を伸ばし、折り畳もう…としたら!くしゃっと潰れちゃった!まだ細かいことは出来ないみたい。


でも夢じゃない。


私、魔法を使えてる!

ほかのエルフと同じように!

父さんや母さんと同じように!



 納屋の方から物音がする。見ると大きな樽が入り口から出てくるところだった。”宙に浮いた”状態で。樽を両手で押す父の姿が見える。

「お父さん!」

「おはよう!リピア」

「水汲みでしょ?手伝うよ!」私は靴を履き、表に駆けだした。

「はりきっているなぁ、でも”水汲み”は大変だぞ?母さんの”熱入れ”の方がいいんじゃないか?」笑いながらいう父に、

「だいじょうぶ!できるもん!」無理やりついていく。


井戸は村の中央の広場にある。昨夜私がドラゴンと共に舞い降りた場所だ。


 石で囲われた井戸の縁。ぽっかりと円形の穴が開いている。覗き込めば真っ暗で底は見えない。でもこの底には地下を流れる水が溜まっている。私にはよくわからないけど、なんでも川や湖にある”見えている水”はすべての水のほんの一部なのだという。ファンタジアンの水はそのほとんどが大地の底を流れ、それが泉や、こうした井戸から湧き出てくるのだと。


 父は井戸の傍に樽をおろした 井戸の上に手を伸ばすと、掌を下に向けて開く。

穴の奥底からごぼごぼという音が立ち上るように響いてくる、そして・・・

透明な水が細く長く、まるで蛇のように井戸の口から顔を出した。父は手のひらを動かして、水の蛇を樽まで導いてゆく。樽の中に入るとそれは再び水に戻り、

波打つ水面となって樽の中で踊っている。井戸の底から呼び上げられた水はこうして樽に注ぎ込まれる。”水使いの魔法”で。父が魔法を引くと、連なっていた水は朝日にきらめく水しぶきとなって地面に散った。

「糸を束ねる感じだ。やってごらん」「うん!」


 私は両手を井戸に向けて掲げ、目を閉じた。頭に井戸の底を流れる水の姿を思い浮かべる。引き揚げる。ゆっくりと。井戸の上へ・・・・・・。「リっ、リピア!」

焦った父の声に目を開けると、目の前には、家よりも大きな水の塊が!

たいへん!私、井戸から と ん で も な い 量 の 水 を呼び出しちゃった!私の動揺とともに水玉も震える。

「だめだリピア!魔法を引くな!」だけど父の声が届くよりも早く、私は手を放して魔法を解いてしまった。宙に浮いていた水玉が落ちた地面で弾ける。押し寄せた大量の水に流された私を父は抱き留めてくれたが、溢れた水は広場一杯に広がり、

池のようになってしまった。


「なんだ?何の騒ぎだ?」村人たちが集まってくる。

「何だこれ?おいレーシュ!」レーシュー父の名だー

「あ、あ~その、つまり、!水を汲みだし過ぎまして」

頭を掻きながら弁明する父とびしょ濡れの私に、村人たちは

「おいおいおい、広場が水びたしじゃないか」 

「どうすんだこれ?」

井戸を覗こ込んだ女性が

「ちょっと!井戸が空っぽじゃないの!また溜まるまで1日はかかるよ。

それまで水無しですごせってのかい?」

「レーシュ!朝から酔っ払ってるのか?」驚きの声と非難のまなざしが父に集まる。たまらず私は叫んだ。

「や、やったのは私です!ごめんなさいっ!」


全員の視線が私に集まる。「お前が?井戸の水を全部汲み上げたというのか?」

男性が言った。私は無言で頷いた。

「・・・リピアちゃん、嘘はいけないよ。あんたみたいな子供に、

こんな事できっこない」憐れむような微笑みを浮かべながら女性が言う。

「レーシュ、子供に庇われるなんて、恥ずかしくないのかい?」父は

「娘にやらせたのは事実です。水の扱いを教えようとしたんですが・・・」


「そんなのはどうでもいい!水がなけりゃ仕事にならん。どうしてくれるんだ全く」村人たちのいら立ちが高まっていく。「ホント、申し訳ない」父は頭を下げ続ける。このままじゃ父が悪者にされちゃう!どうしよう?その時


   ── 見 つ け た ──

   

???。何か聞こえた?私は周囲を見回した。

皆は父に詰め寄っていて私のことなど見向きもしない。誰?


── そ こ に い た の ね ──

声?でも耳じゃない。心 の 中 に 聞こえてくる!。誰なの?


  ── 雲 を 呼 び な さ い ──

  

雲を呼ぶ?そんな事、できるわけない!朝だというのに抜けるような青空。

雲なんてどこにもない!


── で き る  、 あ な た な ら ──

「西のドワーフの村にも井戸があります。頼んで分けて貰いましょう」父がすまなそうに言うと村人たちは「ドワーフだと?」「あのけちんぼさんたちがわけてくれるわけないじゃない!」「高値で売り付けられるのがおちだ!」口々に抗議の声を上げている。


やるしかない!私は手を雲一つない上空へ伸ばした。掌に光の煙が漂い始める。

目を閉じ、頭の中に空に浮かぶ雲の絵を思い浮かべる・・・それを・・・ここへ・・・いま!


ふいに村人たちの抗議が途絶えた。「え?」「なに?なんなの?」

彼らの戸惑ったざわめきに目を開けてみると・・・真っ白だった。

一寸先も見えない、そして体にはじめじめとまとわりつくような湿気。

霧。とても深い霧にあたりは覆われている。これが、雲?雲を呼ぶって

こういう事なの?


 ── 雲 の 中 に は 雨 が あ る 水 が あ る──

 

 ── さ あ 水 を 井 戸 へ ──

 

・・・あの声が、聞こえる。言われるまま、私は霧を集めた。”糸を束ねる感じ”そう父は言っていたっけ。細かい霧の粒は竜巻のようにねじれ、細く束ねられた先で水となっている。それを井戸に導く。水が井戸に注がれるにつれ、あたりを満たしていた深い霧は、その色をどんどん薄めていった。靄となり、霞となり、やがて消えた。さっき大水を地面に撒いてしまったせいでできた水たまりも消えている。霧に吸われてしまったかのように。 


 ── ほ ら で き た で し ょ う ? ──

・・・あの声が、聞こえる。誰?父の声とも、母の声とも違う。

あなたは誰なの?


 ── わ た し は ・ ・ ・ ──


ふたたび朝の陽ざしが戻った広場には、呆気にとられた表情で佇む父と

村人たちがいる。私は言った。「水を戻しました。もう大丈夫」


「な、何を馬鹿な事を言ってるんだ」村の男性。だが、

「見て!」村の女性が大きな声を上げ、井戸を指さした。

枯れたはずの井戸になみなみと水が湛えられていた。

水位は上がり、その岩縁からあふれ出るほどに。

「水が、戻ってる!」村の人たちの驚きの声。


「・・・リピア?おまえが?」父

「”糸を束ねる感じ”だね!できたよ!お父さん!」

ちょっと得意な気持ちがこみあげてくるのを抑えきれない。

魔法の芽生えが遅くて、いつもみんなに助けられてばかりいた。

でもこれでやっと私も、エルフの村の一員として役に立て・・・


そこで気が付いた。村の人たちの、父と私を見る、

異 様 な ま な ざ し に。


「・・・信じられない」

「そんな・・・本当に?あの小さな子供が?」

「なんて魔力だ。恐ろしい!」

いつのまにか彼らはあとずさり、こわごわと遠巻きに私たちを見ている。



「レーシュ、その子・・・災いの使いじゃないのか?」

わざわいのつかい?その時!

「馬鹿を言うな!」朝の静けさを打ち破る怒号が響き渡った。父だった。

いつものへらへらした態度は消え、傍らの私もたじろぐほどの形相で村人たちをにらみつけている。


「うちの娘だって、皆と同じだ!ちょっと芽生えが遅かった分、花が大きく咲いただけさ!おかしな言いがかりはやめてもらおう!」いうや父は両手を井戸に向けた。周りに水色に光る煙が漂いだす。するすると縄のように伸びる水が10本。父の指一本につき一本の水が、糸で操られているかのように宙へ浮き上がり、気圧された村人たちの10の樽へそれぞれ吸い込まれていく。


すごい。すごいよお父さん。別々に分かれた水を自在に操るなんて。失敗したばかりの私には父の”水使いの魔法”の難しさと巧みさがわかる。


「これで文句ないでしょう?さあ道を開けてください。帰るよ、リピア」

返事を待たずに父は私の手を取り広場から歩き去った。


帰り道、水を湛えた浮き樽を押していく父の後ろを、私はしょげ返ってついていく。せっかく魔法を使えるようになったのに、あんなことになるなんて。

父のあんなに怒った姿、見たことない。私のせいだ。

私はおずおずと口を開いた。「ごめんなさい、お父さん」


父は振り向いた。いつものようににこにこと笑っている。「ん?どうしたリピア?何を謝るんだい?」「だって・・・わたし」すると父は私を抱き上げ、高い高いをしてくれた。そのままくるくると回る。踊るように。


「すごいぞリピア!父さんが芽生えた時は、枝の先の葉っぱを揺らすのが精いっぱいだった。それがお前ときたらいきなり雲を呼んで水を作るなんて!父さん鼻が高いよ!自慢の娘だ!」いうなりこちょこちょとわき腹をくすぐってくる。

わたしはたまらず笑い出した。落ち込んだ気持ちも消えていく。


「あ、あれは違うの」

「違うって?」

「雲を呼んだのは、そうしなさいって言われたから」

「言われた?誰に?」

「わかんない。聞いたことのない声が、心の中に聞こえてきたの」

「ふーん、その誰かさんが知恵を貸してくれたのか」

「うん」

「だとしても、言われた通りやれたのは大したものだよ。リピア。

な~に、村の連中の言うことなど気にすることはない。

あいつらお前の才能を見て妬んでいるだけなんだから」

昨日のゴブリンのヨモックさんの言葉が思い出される。


”強すぎる力はいろんなものを呼び寄せる。妬み、企み、下心”


・・・こういうことか。


「わかった!気にしない!お父さん」

「よ~し じゃ帰ろう!母さんが朝ご飯を作って待ってるから!」




父と私は家を目指して歩き出した。




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