会社員2

地下鉄の階段を上がりきると、8月の熱気が車の排ガスと共に押し寄せる。午後6時でも衰えない暑さは西日の援護射撃を受け更に猛威を振るっている。僕はたまらず”ドットコムコーヒー”の自動ドアをくぐった。店内の冷房がここちいい。

 

 空席を探して店内を見渡す。ここはいわゆるスタンドコーヒーショップで本格的な喫茶店とは違う。席は狭いし、長っ尻な客を追い出したいのか軽快なロックBGMが止まる事はない、そんな店だ。

 

 ・・・混んでるよ。この暑さじゃ無理ないけど。電源コンセントに繋いだノートPCを覗いている学生、ペア席を無理に連結して4人席にしたうえで話し込むおばさんグループ・・・店側の長っ尻防止策はことごとく失敗しているようだ。

 

 窓際カウンター席の隙間に空席を見つけ、僕はカバンを置いてレジへ出向いた。ブレンドコーヒーのSサイズをミルク砂糖抜きで頼む。通を気取るつもりはないが、甘い飲み物はどうにも苦手だから。それに三十路を超えてもう3年、そろそろ”生活習慣病”って奴も気にしないとね。

 

 窓の外で道行く人を眺めながら、僕はカップの黒い湯をすする。時刻は

午後6時過ぎ。いつもなら当然帰れない時間だ。だが、「家族と相談してみます」

という僕の答えに

「そうかそうか!家族の意見は大事だからな!今日は早く帰りたまえ。

あとは我々がやっておくから」という部長の”思いやり”で

僕は今ここでぼんやりコーヒーを飲んでいる。


 

 ・・・・・・転勤。


 

 ファンタジアンへ、転勤。


 

 他県、海外どころか、地 球 で す ら な い 別の”異世界”へ転勤。


 

 「いや~君のような人材がいてくれて助かったよ」

 「君なら馴染みやすいだろうと思ってね」

 「奥さんの里帰りとかで何度も行っているんだろう?」

 

 ・・・部長、あなたは大きな勘違いをしておられますよ。

 妻の里帰りはつい最近始めたものです。

 それもやむにやまれぬ事情に追い立てられて。

 それは義母さんをこちらへ連れ出すこと。

 僕もリピアもファンタジアンに帰りたがってなどいない。

 だって・・・僕らは・・・

 

 

 あそこから 逃 げ 出 し て き た んだから。

 

 

 でも、もし異動を拒めば、僕の出世は止まる、課長補佐どころか

子会社に体よく追い払われるかもしれない。パートに出ているリピアに

これ以上負担をかけるわけにはいかない。ルイだって来年から中学生だ。

一番大変な時期になる。

 

 単身赴任?一つの手だ。僕だけが、ファンタジアンへ行く。

でもリピアを日本に置いていけるか?だいぶ慣れたとはいえ、

この国の文化と風習をほとんど知らないエルフに、子供二人を任せて?

 

 子供。そうだ・・・怒るだろうな、子供たち。特にルイは敏感だ。

先日の帰省の時の態度でわかる。グラジュICにはほぼ日本人学校といえる

学校があるそうだが、そ う い う 問 題 じ ゃ な い 。

パパにだってわかるよ。

 

 半分人間で、半分エルフ。ルイは、あの子は、保育園に行きだした時から

その現実に懸命に向き合ってきた。それこそパパやママよりも切実に。

 

 保育園でその長い耳を皆からつねられたという事故報告を受けて、

私たちは抗議したが園側には”ふざけていただけ”と軽く流されてしまった。

小学校では緑と黒の髪の毛を”ふさわしくない”と言われ、

仕方なく染めたこともある。

 

 それでもなんとかようやく近所や学校、学習塾で、気の置けない友達を

作ることができたんだ。気の遠くなるような時間と、心の努力を重ねて。

 

それをすべて捨て去ってファンタジアンへ行くからついて来いと言えるのか?

 

 気がつけばカップの底に冷え切ったコーヒーが溜まっている。

僕はぐいと飲み干した。その時目の前のガラスの向こう、

往来が急に騒がしくなった。

 

ロープを持った警官が通行人に呼びかけて退避させている。


 ・・・なんだ?


やってきたのはプラカードを掲げた群衆。デモ行進だ。

プラカードには「異種族を叩き出せ!」「日本を守れ!」と言った文言が書かれている。他にも一杯あるが、とても読めた言葉じゃない。僕は席を立った。

 

ファンタジアン側にも”似たような奴ら”がいると聞く。”復古主義者”と言って

”ニポンを追い出し、邂逅前のファンタジアンを取り戻そう!”と

主張しているらしい。日本人やその血をひく者が嫌がらせの標的になっていると。

 

 カップを返却口に戻し「ありがとございました~」という店員の耳が尖っている

のを横目に見ながら僕は店を出た。8月の熱気が再び押し寄せる。デモ隊の人々が叫んでいる言葉が耳に突き刺さる「異世界からの侵略を許すな!戦え!」

足早に地下鉄の階段を降りた。

 

 僕らはどこに行けばいいのだろう?

 僕ら家族の居場所はどこにあるのだろう?

 

 ただ一つ言える確かなこと。

 家族がバラバラになっては駄目だという事だ。

 どこにいようと。

 

・・・話そう。彼女に。

僕はスマホを取り出し、もっともよくかける番号をタップした。

 

 

 


 

 

 つづく

 

 

 

 

 

 

 





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