会社員1

 株式会社トゥークル 第一営業部 マーケティング課長補佐 上川信也


 「本日は貴重なお時間をいただいて、誠にありがとうございました!

トゥークルの製品をどうぞよろしくお願いいたします!」僕はそう言うと

深々と頭を下げた。歯科医は軽く会釈をすると踵を返し、診察室へ消えていった。

渡した名刺が無造作に白衣のポケットに突っ込まれるのが見える。

(捨てられちゃうかな?)な、な~に!そんなのは日常茶飯事の当たり前!

いちいち気にしてたら動けなくなる!営業は数こなしてナンボ!さぁ次!


 僕は今日4件目となったデンタルクリニックの自動ドアを出た。


 僕は上川信也 33歳。(株)トゥークルの営業マンだ。トゥークルというのは

「オーラルケアが世界を変える」と大げさな社是を掲げているが、

要は”歯ブラシ屋さん”だ。社名の由来は tooth miracle の略だという噂もあるがホントの所はわからない。とにかく今のように街の歯医者さんやドラッグストア、

スーパー、コンビニ、雑貨屋・・・etc。”歯ブラシ”を置いて売ってくれそうな

ところはもれなく巡っている。入社10年、なんとか課長補佐までたどり着いた。


 だが国内の歯ブラシ市場は、ライバル企業の猛攻もあってもはや消耗戦。

シェアを守るための無理な値引きで利益はほとんど上がらない。頼みの綱の

海外市場も状況は五十歩百歩。

教科書に載るような遥か大昔には”高度成長”だの”バブル経済”だのあったらしいが、令和29年の今は”終わりなき停滞”。すべての企業が”とにかく何とかしなくては”と

いう焦りで空回りを続けている世の中なのだった。



 「だ!か!ら!ファンタジアン市場への参入が不可欠なのだよ!

わかるかね上川君!」

デスクの前で部長は拳を振り上げ盛り上がった。

「は、はぁ・・・」僕。


 ここはトゥークル西東京支店。外回りから帰ってきた僕は

部長に呼び出され出頭した。ポカをした覚えはない。だからこそ余計に

 嫌 な 予 感 がする。


 「ですが部長、ファンタジアンは日本とかなり事情が違います。」

僕は恐る恐る口を開いた。

「例えば種族です。エルフ、ドワーフ、オーク、ゴブリンくらいまでなら

日本サイズの歯ブラシを提供可能でしょう」

手のひらを組んだ丸メガネが無言で僕を見据えている。

「ですが、フェアリーは身長が30センチ、逆にドラゴンは5m以上です。

人間向けの歯ブラシが売れるとは思えません。」

「そんな事はわかっとる!開発部に全力で急がせとる!

年内には試供品を出せると言ってきた!」


「でしたらそれを待つべきです。ファンタジアンの民は種族ごとで

差別が生じることを嫌います。企業イメージの悪化に繋がりか」

「カァミカワくん!!」部長が声を張り上げる。

(パワハラの定義って何だっけ?)僕は考える。

「上川君!キミね!社長のお言葉を忘れたのかね?”経営は

スピィード&チャァレンジ”!ちんたらしてたら他社に出し抜かれ、

シェアを独占されてしまうのだよ!」


「ですが・・・」「ですがですがですが!でもだってしかし!

そういうのいぃ~から!上川君!ネガティブ思考はいかんよキミ!

ポジティブ!そしてスピード&チャレンジ!」

言うと部長は立ち上がり窓の方を向いた。


「我がトゥークル社は、いよいよファンタジアンに乗り出す」

どうやら申し渡しの結論ははなからできていた模様。

「すでにオフィスの準備は完了しておる。あとは・・・

スタッフだけなのだが」振り向いて僕を見た。

丸い顔に乗っかった丸メガネを太い指でくいと上げ

「上川君、君確か、” 向 こ う の 女 性 ”と

結婚したんだったな?」

「はい」否定のしようがない。事実だから。




僕の妻リピアは、ファンタジアンのエルフ族だから。



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