38.傲理(68)

 強く手を引かれて狭間を揺蕩っていく。私を引き摺っていくのは、見知らぬ青年だった。


「……貴女には還るべき場所があるから。……先輩に、会ってあげてください」


 ――直感的に、彼女のことだと分かった。

 逃げるなと彼の目が言っていた。

 積極的に避けてはいないけれど、自ら近寄らないのは事実だ。それに私は、還る術も失くしている。



「大丈夫。私が終わらせてあげるから」


 憔悴しきった彼女を、私はそう慰めた。真っ直ぐ彼女の目を見て誓った。

 彼女は命を掛けた術式に失敗していたのだ。無事で済んだことが奇跡だったけれど、何もかもを呪った様子の彼女をどうにかしてあげたかった。何故そんな危険を犯したのかはどうでも良かった。



 強烈な引力に捕まえられ、身体が急加速する。次の瞬間、私は彼女の前に立っていた。

 彼と私を交互に見て、彼女は困惑している。


「……どうして君が」

「……後は、先輩の思うようにして下さい」


 青年は説明もせず姿を消した。彼女が少しずつ、身動きのとれない私の方へ手を伸ばす。


 ――今度こそ、と言われているようだった。

 以前と違って、彼女は無闇に私の腕を掴んだりはしなかった。ひどく優しい手が、霧でも撫でるように髪に触れる。

 彼女の顔が歪み、瞬く間に私は腕の中に閉じ込められていた。


「おかえりなさい」


 抱き締められたまま、じっと耳を澄ます。もう何と言えばいいのか分からなかった。


「……ごめんなさい」


 続けて呟く声に驚き、私は顔を上げた。


「……私は、貴女だからこうしたいのか、呼ばれるから嬉しいのか、信用出来ない」


 怯えに染まる瞳をのぞき、黙って見つめ返す。小さく震える肩は自分のようだ。

 潤んだ目には誰も映っておらず、澱みはただ恐怖だけを照らしていた。


「……とにかく、本当に心配したから」

「……そんな風に言うとは思わなかった」


 彼女の腕に力がこもり、苦しくなった私はどうにか尋ねる。


「……どうしたの?」

「……滅茶苦茶に動揺した事実だけ、教えてあげる」

「怒ってる……?」

「そういうわけでは」


 まあでも、と彼女は付け足した。


「お願いだから、もうどこにも行かないで」


 言葉とは裏腹に、強張る肩が氷を映す。

 特別なんて要らない、何も出来なくていい。


「駄目だよ、絶対逃さない」


 間違えた、一度壊した私を。

 私は、貴女以外を知らないから。貴女の出会ったどんなものにも、敵わないと思うから。


「貴女になら、全部あげる」


 澄んだ瞳、ぎこちない笑顔。

 彼女のこんな微笑みはいつぶりだろう。


 頭上から降る一言に、私の全ては融かされた。


「大好き。誰より愛してる」


 zwei.

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