32.音生(50)

 入院がちの僕は、久々に家に帰されていた。多分、あんまり体調が良くないんだろう。余命が短いからできるだけ家で過ごさせてやろうという心遣いだと思う。

 だからなのか、父さんと母さんがいつも以上に甘やかしてくれる。一人暮らしの姉さんもほぼ毎週帰ってくる。

 別に気を遣わなくていいのになあと思いつつ、家が程よく賑やかなのは結構嬉しい。


 姉さんから少し前に渡された散文の記事を、僕は大事に机にしまっている。3つ上の姉さんは自分のことを話さない人だから、素っ気なくでも僕に教えてくれたのは驚いた。

 その後一人でゆっくり読んだけれど、まだ感想は伝えていない。……いや、要らないって言われたんだった。

 あの時、母さんたちには内緒だと笑っていた顔をはっきり覚えている。それを見て、日記のことを教えてしまおうかとちょっと迷った。数年間書き溜めている、僕の日記。

 でも、やっぱりあれは本当に死ぬ間際でいい。



 ◇◇◇◇



 声に出せば、現実になってしまう気がした。何かが徹底的に壊れる予感があった。

 伝えたいことなら、たくさんあるはずだった。だけど全部を声にするには、時間も言葉も足りなかった。書き連ねても、その文字には力なんか無いのに。

 何をどれほど考えても、結局幻想のままだった。記録しないと、現実的には何も無かった。



 ◇◇◇◇



 ……何もしていないのに動悸がする。横になると気分が悪くなりそうだ。

 眠れるような体調じゃないので、仕方なく僕は薄暗い部屋でカーテンを全開にした。見えるのは、何の変哲もない住宅街。

 ふと視線を感じて、人影を探す。

 見れば、黒いローブを纏った少年がこちらを覗いていた。


 ――知っている。

 目を合わせた瞬間、唐突に懐かしさが溢れた。無意識に声が漏れる。


「あ……!」


 ただ、言葉が続かない。何と言えばいいのか分からなかった。

 絶対に彼を知っている。なのに、何も思い当たらない。

 ベッドから降りようとして、思い切り本を叩き落とした。ばさっ、と深夜の部屋に重めの音が響く。


「弓輝?」


 姉さんの声がして、そっとドアが開かれた。


「何かあった?」

「何でもない……」


 釈然としない顔をして、でも姉さんは深く詮索しない。開かれたカーテンに少し眉をひそめた。


「身体に障るよ、早く寝な」

「うん……おやすみ」


 おやすみ、と姉さんがドアを閉じる。

 もう一度外を見ても、誰もいない。



 ……また、声を出せないままに夜は更けていった。

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