8.遺妬(9,15)
朝焼けに滲んだ街を、僕は何とはなしにうろうろしていた。もう夏とはいえ、こんな時間帯はまだ少しひんやりとする。かといって炎天下じゃあ溶けそうになるから、これくらいが僕には丁度いい。
それにしても、僕がうっかり家を飛び出してから、随分経ってしまった。家出をするつもりは無かったのに、ぐるぐる歩き回ったせいで見知った風景はとっくの昔に消え去っていた。
最近、といっても僕が迷子になるより前のことだけど、家に新入りが来た。素直で、可愛くて、それこそ文句のつけようなんか無いくらい最高なやつ。
あの子はきっと、上手くやれると思ってくれていた。だけど、僕の代わりに愛でられるあいつが妬ましかった。撫でられるのを見たくなかった。
あれから何日も経ったけれど、あの子がくれた言葉も温もりも、ずっと消えない。僕だけを抱き締めてくれた記憶も遺されている。いっそ忘れたほうが楽な気もするけれど、そうすると帰ることも出来ないから忘れられない。
それに、もう僕のものじゃないと知っても、それでもあの腕の中が恋しい。傲慢だと、そんなことくらい分かるのに、消えてはくれない。当たり前のことに傷つく程度には、僕は自分のことが大事らしくて、何だか複雑だった。
だけどこんなに痛んでも、僕が壊れるほどではなく鈍いだけ。やっぱり大事に思えていないんじゃないかと、少しだけ怖くなった。壊れてしまったらあの子のもとに帰ることも出来なさそうだから、安心していいはずなのに。
ずっと考えたって、僕の鳴き声に応えるあの子はもういない。もうあの家には戻れないかもしれない。もしもう一度鳴き叫んだなら、あの子の耳に届くことはあるだろうか。なんて、ふわふわした望みが時々浮かんでは消えた。
そういえばある夜、少しの間誰かが僕になっていた気がした。僕の身体を貸しながら、僕は誰かの夢を見た。僕の目で世界を見ながら、とても楽しんでいるみたいだった。
事情なんて何も分からないけど、自分のことのように嬉しくて、でも同時に、何もかも僕と違うのに同じ寂しさを感じた。
いつか壊れたあの子の鈴の音が、もう一度聞こえた。懐かしい重みを首に感じた。
きっといつまでも忘れない。あの時間だけは、嘘ではなかったはずだから。
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