5.変質(5)

『明日、会わない?』

『やった、何時から?』


 突然の誘いに、私はぱっと飛びついた。普通は、急だともう少し躊躇うのかもしれない。

 だって最近はお互い忙しくて、なかなか時間が合わなかったのだ。少し別の学部に進んだだけで、こうも変わってしまうものだった。同じ文系でも、実子は経済学部、私は外国語学部。

 ほんの少し寂しさを感じる。同じ大学ではあるはずなのにな。



 翌日の午前中、軽く曇った空を横目に構内をさくさく歩き、人気の講座が行われている時間、私はひっそりと図書館を訪れる。この時間は格別空いていてお気に入りだ。図書館は私語厳禁とはいえ、案外人の囁きで満ちているものだから。そして囁いてさえいない不届き者も一定数いるわけだし。



 待ち合わせの時間まで、本を物色することにする。課題も多少あった気がするけれど、まあいいや。


 そういえば、こんなに人混みが苦手になったのは、いつからだろう。

 立ち上がりながらふと思ったけれど、色々絡み合いすぎてよく分からなかった。ただやっぱり、一人静かな空間は居心地が良いと思った。



 そのまま館内を歩いていると、掲示板の下に置かれた、エッセイの優秀作が目についた。

 何となく知り合いの名前を見つけて手に取り、ぱらぱらとページを捲ってみる。


「……あ」


 どこか遠く感じていた物事が、突然色を帯びた。美しさも虚しさも、現実の人の言葉は痛かった。

 理性として、理解してしまう。ただ無意識が拒絶して、やはり全ては他人事だった。揺さぶられ混乱して、考えられなくなる。

 それでも、あちこちにある似た言葉が焼き付いて離れない。実名で、かつ正直に書く強さは眩しかった。

 闇はどこにでも潜むもの、確かなのはそれだけだった。いや、事実としては確かでも現実ではなかった。



「優里」

「わ、ごめん」


 実子に声を掛けられて我に返った。いつの間にか待ち合わせの時間だ。実子は不思議そうに掲示板の辺りを見つめている。


「何読んでたの?」

「何でもないよ、暇潰し」

「えー、どういうことよ」

「まあまあ、ほら行こ」


 私は実子の背を押して、呑気にお昼ご飯のことを考える。時間もあるし、今日くらい遠めの喫茶店に行っても良いかもしれない。

 何時しか空は、憎たらしいほどに晴れ渡っていた。



 現実ではないのに、ただ怖くなった。世界は美しいと、それでも信じたかったはずなのに。

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