森を抜けた先で

 数日間歩き続け、森を抜けた。


 …と森から解放されただけなら良かった。待っていたのが草木の一つも生えない荒野で無かったら。

 その荒野は全てが死んでいる様だった。生物が存在しない環境である事が、何となくわかった。

「レイナとアリアには、危ないかもしれないな」

 普通の人間には些か厳しいだろう。

「よくわかったな。この大地に漂う瘴気は生物を亡き者へと変えてしまう」

 ヴァルナはそう言うが、大地を漂う瘴気に害があるとまではわからなかった。

「旦那様、私に任せてください」

 エリューシアは風を起こす。レイナとアリアの進む道に瘴気は存在せず、心地良い空気だけが残った。

「ありがとう、エリューシア様」

「簡単な事よ」

 レイナの感謝を彼女は気安く受け取った。

「エリューシアはそのまま二人に付いてやってくれ」

 この荒野を作り出したのが瘴気であるのなら、この荒野はきっと、綺麗な緑色をしていたのだろう。

「良いでしょう

 この程度なら、旦那様の手に余る事も無いでしょうから」

「…そうだな」

 この瘴気は誰かの涙なのかもしれない。

 只只、魔王を滅する事はこれ程にない位に簡単だ。

 それでは、格好が付かないな。

 知ってしまえば、無視をしても虫の居所が悪くなるだけだ。

「魔王の身には何があった?」

「・・・」

 戦女神は何も答えない。苦い顔をして沈黙を守った。察してくれと言わんばかりの表情をした。

「聞き直されたいか?」

「…いや」

 首を横に振る戦女神の表情はとても悲しそうで、けれども、それに同情する気にはなれなかった。

 神々というのは、いつだって当事者ではない。聖戦や宗教上の争いがあったって、名は語られるだけで、それらの姿は一切として見えない。

 当事者でもない存在に、同情をする意味も必要も無いだろう。

「エリューシア」

「何でしょうか?」

「魔王を仲間にする」

「…承知しました」

「エリューシアの力で封印具を制作を頼みたい」

 封印や魔術系の事柄に関しては、俺よりエリューシアの方が断然に先を行っている。

「承知しました。ヴァルナも付き合いなさい」

「私は…」

「旦那様を巻き込んでおいて協力しないとは言わせない」

「…わかった」

 戦女神は強引に彼女に協力させられる。俺の知らない所で何があったのやら…

「旦那様、今日はここで過ごしましょう

 封印術式、封印具作成のお時間を頂きたいと思います」

「ありがとう」

 そうと決まれば、俺は土の精霊を呼び出して土塊の建物を作り出した。

「レイナ、アリアを借りても?」

「え、ええ。勿論

 エリューシア様の指示に従いなさい」

「それから、これもあげる」

 アリアを連れていく代わりに、エリューシアはレイナの掌に青色の球を乗せた。

「我慢強い人の子。もう少し甘えても罰は当たらないものよ

 今日は貴女にあげる」

「え…えっ!?」

 エリューシアは別の場所に土塊の建物を作り出し、ヴァルナとアリアを連れて引きこもってしまった。

「えっ、その…これ、何かわかる?」

 レイナは気まずそうに、俺に青い球を見せてきた。

「察しはついてるんだろう?」

「ええ、まあ…」

「…中で使おう」

 彼女を連れて、土塊の建物の中に入る。久しぶりに眠ろうと思ってる。

「頼む」

 レイナにお願いをして、二人以上が眠る事の出来る寝台を、建物の中に置いてもらった。

「ね、これ、どう使うの?」

 どういう魔法なのか、察しはついても使い方はわからないか。

「自分が眠る場所に叩き付ければ良い」

 その魔法がどうなっているかまでは、俺にもわからない。解るのは使い方だけだ。

「…簡単なのね

 随分、高度な技術に見えるけど」

 彼女も元は陰陽術の使い手だ。見て何もわからん訳じゃないのだろう。

「使いやすさと効果の強さ。反比例しそうな物だが、そうはなってない

 それが高度な技術なんだろう」

 さて、そろそろ頃合だな…彼女を見ても嫌がっている様には見えない。

「私、こういう事ってどうすれば良いのかわからないのよね?

 これを持ってても、どの瞬間に使えば良いのか…」

 そういう事に耐性はあるが、経験は無いらしい。初心で可愛いとでも言えば良いのだろうか?

 …それはそれでなんか違う気がするな。

「それを貸してもらえるか?

 俺がやろう、大して得意な訳でも無いが」

 話を進めてしまう事にした。

 折角の機会でもあるし、思い切れないが故に時間を浪費するのはとても勿体無い。

「え?

 そ、そうね。お願いするわ」

 挙動不審になりながらも、彼女はそれを差し出してきた。

「先に寝台に行ってくれ」

「え?」

「それとも寝かされた方が良いか?」

 彼女を抱え上げる。…やっぱり身体が軽いな。

「そう…ね

 …任せるわ」

 と言われたら、寝台に運ばざる得ない。

 彼女を寝台にゆるりと座らせ、同時にそれを下に叩きつけた。

 叩き付けると、感じる間も無い程に一瞬に外界と俺達が居る場所を切り離した。

 外の音は何も聞こえない。外の光景は何も映らない。

「…凄い」

 彼女の感想は最もで、俺も驚いている。以前よりも精密さが上を行っている。

「…まあ、これで心置き無く出来るな」

「…本当は、落ち着いた時に」

「それは申し訳なく思っている。もう少し甘えてくれて構わないんだぞ?」

 こんな土壇場で彼女を抱かなければならなくなるとは思わなかった。

 …どうにも、エリューシアの押しがとても強かった。

 彼女を焚き付けて、俺に今そのような事をさせる様に仕向けた。エリューシアには何か目的があるのかもしれない。

 俺としては魔王を何とかしてからで構わないと思っていたのだが…

「…そうね、次からはそうするわ」

 最初の段差はとても高かったのかもしれない。言うに言い出せなかったのかもしれない。

 だが、俺も言い出す訳にはいかなかった。

 彼女がもし、俺が彼女を救った事に恩を感じているのなら、俺が言い出したら彼女は首を横には振れなかっただろう。そんな事が無くても、俺は彼女より強大な力を持っている。生きたいと願えば、首を縦に振って嫌々にもそのような事を…、そんな話も有り得なくはなかった。

 それを、伝えておけば良かったと思わなくも無いが、それを伝えるのも自意識過剰というか、恩着せがましいというか…

 言葉は難しいな。


 彼女の艶のある黒髪を梳くように、指先を絡める。出会った時よりも随分と、長くなったなと思う。

 彼女は少し体を強ばらせる。でも、嫌とは言わない。

 今なら、言葉の通りに伝えられるだろうか?

「…俺は、お前の事をとても綺麗な女性だと思ってる」

 人間らしく綺麗な彼女に、魅力が無いなどと思ったことはない。

「ん…

 結構、恥ずかしいわ」

 彼女の顔にほんのりと赤みが刺す。いつも凛としているから、その表情はとても愛らしい。

「ただ、俺からレイナにこの様な事を誘う事は出来ない」

 大変恥ずかしい事ではあるが、伝えなければならないだろう。

「…どうして?」

 赤みの刺した顔は、言葉を受け取って一転、真面目な色を出した。

「俺が絶対強者だからだ

 レイナの事を虐げたくない」

 俺自身が察しが悪い方だとは思わない。だが、それに自信過剰になれる程、俺は完璧な存在ではない。

「良いのよ?

 …組み敷いて無理矢理しても」

「それは大変魅力的だが、遠慮させてもらう」

 彼女の身体付きはお世辞無しに、程良く整っている。そんな身体をめちゃくちゃにして良いと言われると、それはもう大変唆られる。

 だが、それとこれとは別だ。彼女は物じゃない。

「…ねえ、リードしてくれる?」

 彼女は少し悩んで、少し恥ずかしそうに告げた。

「それはもちろん」

「…じゃあ、お願い」

 彼女の唇を奪った。日が開けるまで、十二分に時間はある。


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