壊される住処
空を飛んでいた。何一つとして遮る物は無かった。
彼の背は大きくて、かと言ってガサツではなくて。
「気持ちが良いな」
『そうだろう?
翼がない事に同情する』
竜からすれば、こんな光景を死ぬまで見る事の無い人種を憐れむのも、至極真っ当な事なのかもしれない。
こんな風に気持ちの良い風を浴びて、気持ちの良い太陽の下で、何一つ縛られる事無く空を切る事。
それはとても素晴らしくて、だからこそ、それを知らずに死ぬ者を憐れむのだろう。
在るのと無いのでは、在る方が良いだろう。
「…と、こんな風に浸っている場合じゃ無かったな」
俺が彼の背に乗っているのは、エルフの住処を探す為だ。
『お前達は何処から歩いて来た?』
「神が手入れをしている庭…と言って、わかるか?」
『ほう、お前達が異界人だったのか
成程、道理で我が知らない匂いばかりなのだな』
彼は勝手に納得して、そして、空中で大きく回る。
「どこに行くつもりだ?」
『庭に…草原に向かうつもりだ』
俺達が最初に降り立った土地に向かうらしい。それなりに離れている気はするが、竜の翼では一瞬なのだろう。
空を飛べるという事は、時間的な距離をとても縮める。
それは正しくて、彼はもう降下を始めた。そして、地上に降り立った。
ひらりと彼の背から飛び降りる。ああ、見慣れた風景だ。
ここから…こっちの方向に歩いたんだったか。
俺は彼を先導して、森の中に入っていく。
森と言うだけあって、木々の間は竜が通れる程の物では無かった。
『むう…やりにくくて適わん』
彼は何かを唱えた。すると、身体が一回り小さくなった。
「それは?」
『魔法だ。我らの特別性だがな』
魔法か。
…そう言えば、この世界に来てから魔法を使った事が無いな。使えない訳じゃないんだがな。使う機会が無いだけだな。
「こうやって歩いてたら、いきなり襲いかかって来たんだよ」
『ほう』
初めてエルフと接触した場所に彼を案内する。流石に今回は、突然襲われる事は無いだろう。
小さくなったとは言え、隣にいるのは見た目も中身も絶対強者である。
「向こうから接触があるとは思えないな」
『…我の姿を見て身を隠すか』
面倒くさいと言いたげに彼は呟いた。そりゃそうだろう、竜の姿を見たら普通は一目散に逃げる。
『全て焼き払ってしまおうか』
「それは…大丈夫なのか?」
森が一つ無くなる、それはそこまで手軽な事ではない筈だ。
『…大丈夫であったら、既にやっている』
…成程、只のジョークか。
「何か良い方法…か、無い訳じゃ無いが…」
指輪を擦る。呪術的な方法で追跡する事は…不可能ではない。
俺自身、あまり回数をこなしていないので、得意ではない。…が、どうせ何らかの手立てがある訳でもない。
一本の呪い棒を取り出した。
旅人は道に迷えば、棒を倒し倒れた方に歩くと言う。それを呪術的に再現した物がこの呪い棒だ。
進むべき方角を、この棒は倒れる事で俺に示してくれる。
「こっちか」
『それでは運試しではないか』
彼はごもっともな事を言った。
「これは一種の占いで呪いだ
俺自身、占いは得意じゃ無いから、この先に確実に何かがあるとは言えない
けれども、他に手立ても無いだろう?」
『その様な術があるのか』
彼は感心の色を見せてくれるが、所詮は運命論による占いでしかない。少し騙してしまった様で申し訳ないな。いや、その様な術は確かに存在するのだから、断じて騙してはいないが。
棒は倒れた。
「行ってみよう
何も無かったら戻ってくれば良い」
俺が先導し、彼も歩き始めた。
幾分か歩くと、彼が足を止めた。
「どうした?」
『違和感がある』
彼は端的に答える。俺は彼の言葉を聞いても尚、違和感がある様には思えなかった。
命の危険に晒される事であるのならば、敏感に悟る事も可能なのかもしれないが、それ以外の事には、俺は鈍いみたいだ。
この場にエリューシアが居れば、即座に違和感を看破した事だろう。
『下がっていろ』
その声で後ろを振り向くと、何やら口に高密度の炎が…
!?
即座に彼の後ろに回った。どうにかする術はあるかもしれないが、彼が放つ火炎放射をこの身に受けたくは無かった。
竜の咆哮と共に、それに相応しい勢いで炎が吐き出された。
木々は燃え尽き、枝は地面に堕ちる。青々と茂っていた森は、一瞬にして地獄絵図へと変わった。
『出て来たな』
火に巻かれ無いようにと、彼が居るのにも関わらず、逃げ惑う様にエルフ達が現れた。
…いや、文字通り逃げ惑っているのだろう。
だが、それでもエルフの絶対数は少ない様に見えた。まるで、遠くに仕事に来ているかの様な…ああ、成程、文字通り狩りにでも来ているのだろう。
「どうするつもりだ?」
『無論、追い掛ける
これで住処に逃げ帰るだろう』
彼の言う通りで、彼の姿を見て即座にエルフ達は逃げだ。彼はそれを見てゆっくりと、追い付かない様に足を進めた。ゆっくりと、ゆっくりとエルフ達を追い込む様に、足を進めた。
心無しか、歩く際の地響きは大きくなっている様に思える。
「…性格が悪いな」
『手慣れていると言え』
俺の言葉が気に触ったのか、彼はジト目を向けてくる。
「…ああ、あれか」
暫く追いかけると、そこには一見は青々とした森林に見える幻があった。幻術の類いだろう。
『我が居ない間に、随分と好き勝手してくれたものだ』
彼にも幻は幻であると看破されているらしく、荒々しく鼻を鳴らして、イラつきを隠そうともしない。
「ここは竜の土地なのか?」
『まさか。
ここは皆の土地だ
極自然な弱肉強食を善とする土地だ
故に、人以外が近寄れぬ土地を創るなど、認める訳には行かぬ』
この土地には何やら規定があるのかもしれない。弱肉強食、自然の掟を乱す様な物を許してはならない…そんな掟が。
「深い事は俺にはわからない
…で、どうするつもりだ?」
『このまま正面から破壊する』
彼の足取りは止まらない。そのまま幻に突入し、彼の姿は見えなくなった。
暫くすると、悲鳴が聞こえた。
肉がひしゃげる音がする。
幻の先が火の海になっている事、血の海になっている事が簡単に想像できた。
…見届けるべきだろうか。
少し躊躇って、俺は幻に飛び込んだ。
幻の内側は、想像していた通り血の海で火の海だった。人が住んでいた筈の建物は燃えて炭になり、半壊し、至る所には人の破片が落ちている。
…これが本来の自然の姿である。
何を思って森に住み着いたのか、それは俺にはわからない。わからないが、ここに住み着くという事が最悪の手段であった事は、今の惨状を見て理解出来る。
竜の住処で、たった一匹の竜に反抗する事も出来ずに、壊されるだけの存在であるのなら、全滅する事も何ら可笑しい事ではない。
弱ければ喰われるだけだ。知恵を絞り、強者に媚びを売れば、もしくは強者に対して何か価値のある物があれば、共存も可能なのかもしれないが、それを怠ったのだから、こうなる事は必然だったのだろう。
エルフが俺達に友好的であり、刃物を向けてさえいなければ、俺は彼を案内する事も無かったかもしれない。
もしかすれば、エルフの中に俺達の生活があり、俺が彼と戦う事になっていたかもしれない。
そうなればエルフ達は生き残っただろう。
数あるうちの可能性の一つでしかないが、その可能性を歩く事が自由なのだ。
今から彼を止めて、殺すなと言う気にもならないし、何より他人の生き死など興味も無ければ、他人が生きようが死のうが等しく自由である。
俺は自由であるからこそ、俺の責任が伴わないエルフ達の自由を尊重しなくてはならない。
ここでエルフ達が死ぬのは、エルフ達の自由である。
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