EPISODE16 禁忌・融魔術式

 虚ろな瞳は誰を映しているのか。その言葉は誰に放ったのか。もう、分からない。

 だから、華芽梨は叫んだ。


「……ふざっ……ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁあっぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁッ!!」

 

 もしも友達の方に謝ったのだとしたら、華芽梨と真摯に戦っていたようにみせて、あの苺という女をどう守るかのみ考えていたということになる。

 もしも華芽梨に向けてのものだったとしたら、怒りはさらに跳ね上がる。

だって、謝るということは。華芽梨に向けて何か後ろめたい情があるということは、彼女と真摯に向き合っていなかったということになる。

 冒涜だ。そんなの、紛れも無い冒涜ではないか。


「……だったら……あたしだって……」


 粋羨寺色舞が振り向いてくれず、剣戟さえも意味を見出せないのなら。

 残るのは、怨嗟に身を任せた破壊だ。怒り狂うがままに、自分を顧みずに、ただ破壊の限りを尽くすだけだ。


 華芽梨は感情の消えた瞳で、色舞を見据える。氷剣を握り締め、切っ先の照準を対象に合わせて心を無にする。冷気と一緒に、どす黒い瘴気が蔓延し、災厄の兆しであるかのように不気味な産声を上げる。


「……さよなら、粋羨寺色舞」


 形を成した氷の刃は、黒濁とした怨嗟の波動と共に、苺を抱えながら地に落ちていく色舞へと迫っていく。

 これで、全てが終わる。これで、全てが終わってしまう。そう思って。


「…………フェニッ、クス……」


 か細く呟かれた詠唱が、怨嗟の混沌とした波動を静止させた。否、覆い尽くしたのだ。

 その根源は、眼前で浮遊している『紅蓮の剣姫』。地に落ちることなく、それ以前に、つい今しがた腹部に負った筈の傷も奇麗に消えていた。

 それを上書きする程の業火によって。


「何が……何が起きている……!」


 氷で形成していた足場が高速で溶け始め、華芽梨は慌てて自らの魔気を氷の翼

として顕現させ、炎が支配する一帯から脱出しようと天へ向かって羽ばたく。

 だが。


「——ぐ……っ!?」


 炎で形作られた巨大な拳。それが二つ、目の前に迫っていた。

 すかさず氷翼をはためかせて真横に一閃。すると今度は、いつの間にか無数の炎刃に囲まれていた。


「く、そ……がぁぁぁぁッ!!」


 理解が追い付かない頭を無視して、本能的に剣術を氷の球体へと昇華。華芽梨を囲む形で現れたそれは、迫りくる炎刃の数々から主を守り切った。

 しかし、それも束の間。氷の守護は急激に溶け始め、防護の意味を失くす。

 そして、氷塊が消えて華芽梨の目に映ったのは。


「————」


 言葉を失う程の圧倒的な美しさを魅せる炎の鳥だった。さらにそれを纏う形で、『紅蓮の剣姫』は双剣ではなく一本の長剣を右手に持ち、華芽梨を真っ向から見据えていた。


 だが、美しさと同時に、彼女のそれは危うさを秘めていた。

いや、正確に言えば『禁忌』。

 色舞の——炎を従え、炎を纏い、炎に飲まれている姿。それは紛れも無く、魔剣術士の禁忌に値する『融魔術式』他ならない。


 術士と魔剣のパスを完全に切り離す『断絶術式』は、大概は術士の自業自得で済まされる。だが、術士が魔剣そのものの力を宿す『融魔術式』は被害と代償が大きい。


 何故なら、今目の前に居る色舞を見ても分かる通り、魔剣が宿す膨大なエネルギーは、元が純粋な人間である術士を、自我や生命諸共食い尽くしてしまうのだから。


「それだけの禁忌を、あんたは……」


 認識が覆る。彼女は今、苺を抱えてはいない。そして、禁忌を犯してまで華芽梨と対峙している。これが全霊と言わずしてなんであろうか。

 華芽梨は盛大に口角を釣り上げ、『ニブルヘイム』の切っ先を色舞に向けて言った。


「粋羨寺色舞……あたしはあんたを超えるッ!」


 直後、色舞の周りに無数の氷柱が出現した。鮮やかな業火を纏う彼女を妖しく照らすそれらは、瞬く間に対象を目掛けて一閃する。

 その一瞬を見届けた後で、自分も氷剣を構えて真っ向から色舞に迫る。その際、氷の翼は盛大に唸り、置き去りにした冷気さえ刃に変貌させてさらに手数を増加させた。


「喰らえぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」


 全方面からの攻撃。それに対し、色舞は。

 右手に持つ炎剣の切っ先から巨大な火の玉を発し、爆弾のように弾けさせた。


「——づぁッ!?」


 氷剣の剣先が相手を穿つことは無く、破壊の灼熱と爆風は氷の刃の群れごと華芽梨を吹き飛ばす。ここは敢えて、この軌道に乗るべきだ。この爆風の中では、色舞も華芽梨をすぐには認知出来ない。


 千載一遇のチャンスはきっと来る。そして一流の剣士はそれを自力で引き寄せる。華芽梨は、今まさにそれを成そうとしていた。

 ここで、全てを擲つぐらいの全力をぶつけ、勝利を飾る。それが、華芽梨が瞬時に描いた、作善で最上のシナリオだ。


 ——決める。

 

 爆炎の残滓が薄らぎ、視界が良好になった瞬間が最後のゴング。


 やがて、その時は来た。


 凍結。氷弾。氷槌。加速。剣閃。


 浮かんだ選択肢全てを、魔気を暴発させて同時に成す。

 まず、光の如く速さを以て、色舞の身体を静止させる。


 ほんの僅かでも彼女が出遅れる状況を作れれば、その時点で華芽梨の勝利は確実なものとなる。

 筈だったが。


「…………ぇ?」

 氷剣を天に掲げたところへ一閃。

 音を置き去りにした紅蓮が、熱波散らすと共に全てを焼き尽くしていた。


 華芽梨は、理解が追い付かないまま、自分の右手に目を遣る。そこには、剣が無かった。

 

 ——そもそも、右腕が無かった。


 だが痛みは感じない。その原因は恐らく、切断面が既に灰となってしまっているからだろう。

 緩慢に振り向く華芽梨に対し、不死鳥と一体化して業火を従える色舞は、次の動作に入っていた。


 先程、華芽梨が出現させていた氷の球とは比にならない程に、巨大な炎の球体を顕現させていたのだ。それはもはや、太陽を人工的に生み出したのではないかと思わされるような、神々しさと厄災を孕んでいて。


「……粋羨寺……色舞……」

 

 華芽梨も、全霊を擲つ覚悟で剣を振るう。

 その為に、華芽梨は消え失せた右腕を、氷で指先まで再現させる。直後、魔気を駆使して魔剣を手繰り寄せ、再び握り締める。


 全てを術式に込めた弾丸なのだとしたら、華芽梨もまた、全てを込めて極限まで研がれた剣を以て迎え撃つ。

 いや、還付までに叩き斬る。これまで、色舞に向けていた昏い感情諸共。


 そして、その時が来る。

『フェニックス』の切っ先に集約した太陽が、『ニブルヘイム』の剣身へと迫る。

 華芽梨は喉を焼き焦がす程に叫び、目の前に迫った超大なそれと剣を交錯させる。


 身体が、剣が、世界が。

 跡形も無く消し去ってしまいそうになるぐらい、その交錯は破滅を散らし、大気を慟哭させる。


 その時、華芽梨の脳裏にある推論が浮かんでいた。色舞が魔気を介して『フェニックス』に伝えていた命令。それは恐らく、『魔気の干渉を受け次第、その術士にそれなりの対処をしろ』といった旨だった筈だ。


 あの時既に、色舞は華芽梨の術中に嵌ることを分かっていて、その命令を下したのだろう。実際、その通りの結末となり、色舞は『融魔術式』という干渉を魔剣に与え、全霊を賭した。


「きゃはっ、きゃはははははッ!!」


 これが粋羨寺色舞。

 これが、緋心華芽梨が『憧れた』女の力。


(妬けるねぇ……あの苺って子は、そんな彼女に守ってもらえるなんて——)


 場違いな嫉妬が、無邪気な高揚が、心の底からの敬意が。

 華芽梨の闇に飲まれていた心の裡を、淡い炎で炙っていった。

 やがて、氷炎の交錯が煌びやかな残滓を夜空に波紋させた時。


「……色舞、ちゃん……」


 華芽梨は、身体の殆どを炎に捧げたまま散っていく色舞を弱々しく抱き締め、二人の姫は共に宙を舞う。

『氷上のプリンセス』と『紅蓮の剣姫』の戦いは、共に魔気の殆どを使い果たした状態で幕を閉じた。

 そして。


『——やあ、感動的に散っていく気分はどうかな? プリンセス君』


『悪魔』の声が鳴り響く。

 姿形はどこにも見えない。しかし、その声は『内側』から聞こえてくる。


「悪趣味な連中だねぇ……もしかして、今までずっと傍観してたのかなぁ……?」


『傍観? その必要は皆無だ。だって、君はどのみちそこで朽ち果てる予定だろう? そうしたら、後はどう天命が下ろうと私達の知ったことではない。ああ、でもこれだけは言っておく』


 瞬間、身体の内側で何かが爆ぜるような感覚があった。


『君のお蔭で我々『レジスタンス』は大金星を飾ることが出来そうだよ。ありがとう』


「ま、さか……」


 途絶えそうになっていく意識の中で、華芽梨はある結論を見出していた。

 自分は、奴らの手駒でしか無かった。『エヴォリュータ』を受け取った時点で、奴らの傀儡となる切符を受け取ってしまっていたのだ。


『それじゃあ、どうか勝手に死んでくれ』


 冷めた声が消えると共に、華芽梨の体内にある悪魔のチップが爆ぜ、彼女は鮮血を吐き散らしながら意識の点滅を覚える。

 加えて、絶望的な異変が辺り一帯で生じていた。


「……『ブースターコネクト』……っ!」


 虚空から紫光を瞬かせて顕現した、十数にも渡る兵器の軍勢。

 華芽梨が色舞に勝っても負けても、この兵器達が『観測』をすることにより、貴重なデータは確保でき、エースを失った事実は学校だけに留まらず『剣舞祭』に影響を与え、『剣星団』や『魔剣都市』すらも揺るがす事態となる——そのシナリオの手駒として、華芽梨は利用されただけだったのだ。

 そしてそれは、色舞との剣戟をも冒涜するといった意味を孕んでいて。


「ふざ、けるな……」


 力が尽きた筈の身体に、灯火が宿る。


「ふざけんじゃねえぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


 激情を伴った魔気が、『ニブルヘイム』を炸裂させる。

 華芽梨は色舞を抱きかかえたまま氷の翼を再びはためかせ、無数の氷刃を兵器共に向かって放つ。


 それらは弾丸の如く空気を裂き、大気を凍てつかせながら兵器の軍勢を穿っていく。

 当然ながら、掛かる負荷は大きい。体力と魔気の残量が尽きているところを、無理矢理に発動しているのだ。


(でも、だからどうしたッ!)

 

 彼女のことをコケにした連中だ。自分が心の底から満足した戦いを汚した、下劣な悪党共だ。その喉笛、斬り刻んでやらなければ気が済まない。

 半壊した森の中を闊歩して近付いてくる兵器を睥睨しながら、華芽梨は自分の身体が段々と魔剣に侵されていく自覚があった。

 色舞が犯した禁忌を、今自分も成そうとしている。けれど、それはもう、仕方が無いことだ。

 だから。


 今、この瞬間、色舞と彼女の友達である苺を守りたいと思ってしまっていることも、きっと仕方が無いことなのだ。


「いいよ。やってやろうじゃん……」


 兵器の軍勢は、被弾の影響を意にも介さず、背中に従える巨大な灰色の剣を構えて華芽梨に迫り来る。


「——禁忌、上等」


 その瞬間、緋心華芽梨は。

 氷結の鎧を身に纏い、目に見えるもの全てを凍てつかせる程に激情を滾らせ、『ニブルヘイム』を炸裂させていった。

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