EPISODE17 本物と贋作の饗宴

「——『強化術式:龍の怒り』」


 赤黒い雷光を全身に纏った倫語は、地を削りながら『搭載術士ンクルス』一人ひとりを的確に屠っていく。だが、彼らはその度に倫語と同じ術式を使い、彼を彼自身が思い浮かべる思惑の軌道上から逸らす。

 月下、高々と聳え立つビル群が見下ろす、だだっ広い路上の上で。


 世界で唯一の魔術師であり、『影の戦争』をも終わらしてきた糸義倫語は。


「……君達を……必ず救う……っ!」


 自責の念と強い罪悪の念に駆られ、本来の力量の半分も出せずにいた。しかしその一方で、『対策』が功を奏していた。

 倫語が身体に纏うのは、『龍魔術』の魔気意外にもう一つ、『禁忌術式』を発動させたことによる産物。

 そして、その産物とは——


「——その身に宿す魔剣さえ葬れば、君達は解放される筈だ!」


 魔術を以て他の魔術を貪ることによって得る、彼らの魔気だ。ただ、それはいくら彼のような一流の使い手であったとしても、諸刃の剣でしかない。

 他人が発動させる術式は、通常、術士本人以外には決して読み取れず、我が物として扱うことも出来ないようになっている。これは魔剣術にも錬金術にも通ずることだ。


 だが倫語の場合、体内で生成し、体外へ直接放出する魔気を常の二倍以上増加させれば、他の術式によって己の術式が上書きされたり破壊されたりすることを防ぐことが出来る。


 しかしながら、これは術士に莫大な負荷を生じさせる業である。例えるなら、人が患った熱を無理やり自分に移させることを繰り返す状態。


 ——倫語はそれを、十三人分行うつもりでいた。


「ねえ、お兄さん。本気、出してないでしょ」


『ホムンクルス』の一人が背後から忍び寄り、赤黒い雷光を纏う拳を倫語の背に打ち込もうとしていた。

 倫語は大きく跳躍してそれを躱す。すると、


「わたし達は、あなたを越えたいの。だから、殺す気でかかってきてよ」


 眼前で掌を向けてくる少女が、雷光を唸らせて砲撃準備に入っていた。


「もっとも、俺達はハナからそのつもりだけど」


 さらに上。踵を振り下ろしていた少年と目が合う。


「——龍の……羽ばたき」


 中空。身動きの取れない領域から斜め後ろへと飛翔し、包囲網を脱する。

 自分を模した少年少女との戦い。さらに、その背景に潜んでいた闇は、糸義倫語という人間を完成体と崇め、それを彼らに押し付け苦しませた果てに消えていった。


 残された彼らは、怨嗟の念に蝕まれることなく、ただ闘志を燃やして倫語という壁を打ち壊そうとするだけで。

 堪えようの無い悲壮感と怒りが込み上げて来る共に、倫語は自分を狙って迫り来る彼らを見遣る。


「殺す気で……か」


 一切の雑念と余計な思考を灯さない、彼らの瞳。自分と同じ色のそれは、しかし倫語にとっては、ただただ慈しむ対象でしかない。

 その堅実さを、ひたむきさを、もっと別のことに向けられていれば。もっと明るく希望を見出せるものに注いでいれば。


 だがその考えこそ、倫語のエゴでしかない。何せ、今彼らが最も成し遂げたいことは、倫語を己の力で殺すことなのだ。殺して初めて、彼らは生き甲斐と人生を授けられた意味を見出す。


「殺す気で……」


 考えが一つ、脳裏を掠めた。倫語は空中で止まり、自らに迫り来る少年少女達を指差し、微笑を湛えて言った。


「分かった。殺す気でかかって来なさいその代わり——」


 そして、その場に雷光を残し、両手拳に力を込め、彼らと真っ向から激突する。


「——僕も全力で君達を殺しにかかるから」


 鋭い眼光を散らす倫語の瞳に映る彼らは、皆それぞれ、無機質な表情を微かに和ませたかのように思えた。


 ——やがて、赤黒い雷光がけたましく炸裂する。


 倫語が掌から放った『龍の息吹』を、彼らは同じく雷光を一斉に放って相殺させ

た。倫語の『龍魔術』が完全に再現された術式。それを魔術と呼べばいいのか剣術と呼べばいいのかは定かではない。

 それも、あまり問題では無いのかもしれないが。


「ではお兄さん」

「交渉成立ということで」

「気遣い無用でいきます」


 三人の少年が、既に地を伝って倫語の眼下より射撃体勢に入っていた。


「今まで気遣いしていたのかい……」


 苦笑混じりに一発、掌に雷光を溜めて撃つ。それと同時に、眼前に迫る四つ影。気付く直前に雷光が発射されており、完璧に防ぐのは難しい。加えて、頭上より六名による蹴りの一斉攻撃。


 並みの術士なら、コンマ数秒後に玉砕という未来が決定している。

 しかし、倫語なら。この男なら、その未来を。『危機的状況』という事実を捻じ曲げてしまうことは容易い。


 倫語は一瞬、全身に力を込めた。

 この瞬間、『ホムンクルス』の全員は、時が止まったような感覚を覚えただろう。ごく限られた者しか到達し得ない領域に居る術士は、あまりの所作の速さや膨大な出力の術を放つ時、時が『緩慢』に流れるという錯覚を引き起こす。


 だが倫語のそれは、選び抜かれた猛者達が成し得る超常すらも凌駕していた。

 瞬きよりも早く、心臓の鼓動よりも速く。


 龍魔術師は、直下に轟音を散らす共に君臨した。すぐさま大地は蜘蛛の巣状にひび割れ、巨大なクレーターを作り出す。


 さらにその現象が起こる寸瞬前に、倫語は両腕を水平に一振りするといった所作をとっていた。これが何を意味するか。

 答えは、『ホムンクルス』たちが、今起こった出来事を完全に理解すると同時に明かされる。


 その前に、倫語はこんなことを言った。


「僕が君達を導く師となろう。自責の念に駆られたとか、同情紛いのことをしたいからって訳じゃない。……僕がそう決めた。僕がそうしたいって思ったから、僕が勝手にやるだけだ。それでも構わない言うのなら……」


 静止の時が終わる。


「——君達も生徒として、僕という壁を越えてごらんなさい」


 龍の咆哮が月夜を劈く。『龍魔術』は、激情の限りを乗せて『ホムンクルス』を盛大に吹き飛ばした。

 今までより一段とけたましく爆ぜ上がる赤黒い雷光。それは円を描き、一定のリズムで周囲へと波紋する。その中心で微笑を浮かべながら佇む美丈夫を、ゆらゆらと立ち上がりながら見据える十三の剣。


 彼らは皆、等しく人としての生き甲斐と高揚を感じ、糸義倫語という絶対的な目標を見据えて成長していく。


「さあ、どこからでもかかってきなさい。僕は君達を兵器として育て上げた者達より、少し強いかもしれないけど」


 それを聞いた彼らの内の一人は、微かに口角を釣り上げて言った。


「少しって……とんでもなく強いの間違い、でしょ?」


 今度は別の少女が、


「下手したらこの人、『先生』達より大人気ないよ」


 そして別の少年は、


「でも、この人に勝てなきゃ、俺達はまだあの地下で暮らしてた時のままだ」


 彼らは着実に、無意識の内に己を縛っていた檻から解き放たれていた。自分が信じ、追い求める『夢』の在処を、少しずつながらも見つけ出しているのだ。


 やがて、少年少女達は構えをとり、皆一斉に倫語に照準を合わす。

 彼を見据える夕焼け色の双眸には、先程までとは違い、生命の鼓動を感じさせた。


 ——術式解放。

 同時に紡がれ、全方位から放たれた雷撃。下手をすれば拳銃の発砲よりも速い砲撃。それを、倫語はやはり、体外に魔気を放出させるだけで無に帰す。


 しかし、今度は彼の思い通りにはならなかった。

 一瞬、動きが鈍ったのだ。動き始めの動作、最初の一歩で。

 その隙に、既に五名が拳を握って迫っていた。


「お兄さん……いや、先生はちゃっかり、僕達の魔気をその身体に吸収してたでしょ」

「だから、今の一斉砲撃はそれに干渉する為のもの」

「というか、同情しないって言っておきながらメチャクチャしてるじゃんね」

「そもそもの前提、私達の魔気が普段通りじゃないと、先生が課したこの『授業』も満足に遂行出来ないんですけど」

「そこのところ、どうですか」


 続けざまに放たれる文言は、痛々しく胸に突き刺さる。恰好つけた手前、やはり彼らの要求にはきちんと応えるべきだろう。それに、言うことはごもっともなのだ。


 倫語は『龍の羽ばたき』で天高く飛翔し、「分かったよ」と苦笑いで応じる。続けて体内から彼らの魔気を発し、主のもとに返還させた。

 両腕にひときわ強く『龍の怒り』を纏い、今度は朗笑を湛えて龍魔術師は言った。


「好調になったんだ。これで言い訳は通用しないぞ?」


 その余裕綽々といった佇まいに触発され、彼らは動き出す。しかし、今までのように一斉にという訳では無く。

 一人、少年が地に亀裂を走らせ、凄まじい速度で倫語に真っ向から迫った。その原理を『龍の慧眼』で見抜いた倫語は、驚きに目を見開いた。


「その意外な顔、『成長』した甲斐がありましたよ」


 身体能力を爆発的に強化させる、瞬発的な強化術式——『龍の怒り』そのものだ。

 そして、感嘆に気を取られた僅かな隙を、真横へ跳躍して倫語を凝視する少女が見逃さなかった。

 向けられた掌に宿るのは、獰猛に唸る赤黒い雷光。だが、それも先程までのように生半可なものではなく。


「なるほど……っ」


 倫語も同じように、右掌を突き出し、彼女と同じように砲撃を放つ。『龍の息吹』同士の交錯。その轟音と波動に大気が躍動し、肌に衝撃波がビリビリと迸る。

 そこへ、予想外の現象が加わる。


「無力化だよ、先生。ねえ、結構焦るでしょ?」


 さながら『龍の抱擁』。一瞬でも『龍の息吹』が掻き消された倫語は、コンマ数秒の間、丸裸な状態を余儀無くされる。

 すかさず、背中から『龍の鉤爪』を発動させて周囲に刺突の嵐を飛ばそうとした。

 それを、眼下から倫語を凝視していた少年が、背後に跳躍した少女に向かって手信号のような合図を送ることで、無意味化させる。


「刺突乱舞の応酬といきましょう」


「……恐ろしいね、まったく……!」


 直後、無数の刺突が激突し合い、甲高い金属音を立て続けに響かせた。そして倫語は既に次の一手や二手先まで、十通り以上ものストーリーに分けて予測していた。

『龍の慧眼』と同等レベルの洞察力を発揮させて、倫語に『龍の鉤爪』同士の応酬を誘発させた少年も、きっとそれぐらいのことは成しているだろう。

 だとしたら、次に取る一手は、少し捻りを入れる。


「先生……頭のお上、失礼しますよ」


 恐らくは『龍の羽ばたき』を模した超跳躍。あっという間に倫語の頭上に陣取った少年は、今にも踵を振り下ろさんとしていた。


(刺突の応酬でよそ見が出来ない状態に加える、即効的な一撃……策としてはいいセンをいっているが、あと一手の決定打が足りないようだね)


 慧眼を以て、即時把握。それが成された後には既に、倫語の姿はその場からは消えていた。


「『加速術式:龍の疾走』だ」


 少年と少女が倫語の後ろ姿を認知した時、彼は一キロ程先の路上へ降り立っていた。


「同時発動として、『減速術式:龍のうたた寝』で小細工させてもらったよ」


 苺の『スキップアウト』程では無いが、それでも音を置き去りにするぐらいの速さを持つ術式。

 加えて、動作スピードを格段に低速化してしまう狡猾な術式も浴びせている。それを踏まえても尚、今の倫語に追い付けた者が居るならば、それは——、


「——先生の快速についてこれた俺達三人だね」


 二人の少年と少一人の少女が、一拍遅れて倫語を包囲していた。


「まさか、これも対応されてしまうとは……まあでも、勿論、勝負はこれからだろう?」


 彼らが倫語に触れたと思った途端、彼は既に残像と化していた。

 だが三人は頷き合うと、すぐに音を置き去りにし、倫語の背後を捉える。


 そこからは、音を置き去りにする者達による目まぐるしい攻防となった。倫語が『龍の息吹』で一人ひとりを的確に狙い撃っていくのを、三人は機転を利かせて回避し、まばらに散ってバラバラのタイミングで同じく砲撃を放つ。

 

 高層ビルを蹴り、地に穴を開け、天を翔けては交錯を繰り返す。

 もはや、まともに視界に収めることが不可能な程、速度の限界を追求しての戦い。


 雷撃が、拳同士の殴り合いが、衝撃波が、四方八方で乱舞し、描く軌跡は狂乱の宴を思わせる。


 倫語は、心の中で感嘆に耽っていた。

 成長とは、自信とは、向上心とは、これ程までに、人間を飛躍的に成長し、生きる糧となり得るのかと。


 彼はただ、そのほんの些細なきっかけを与えたに過ぎない。引き金を引いたのは彼ら自身だ。

 一抹の夢のように、短い時間であった『師』という立場。

 満足だ。そして、自分に問いかける。


(僕は果たして、彼らの道標となれただろうか)


『ホムンクルス』は答える。


「少なくとも私は、貴方と戦えて良かったと思っていますよ」


 拳を交えた少女が、屈託のない笑みでそう言ってくれた。


 左右からは二人の少年。背後からは、『龍のうたた寝』による低速化を解いて追ってきた残りの者達。


(ああ、そうか。僕は……)


 教師の真似事。偽善ともとれる、懺悔と言う名の人助け。罪を償うどころか、倫語もまた、彼らから学ばせてもらっていたのだ。

 己自身と真摯に向き合い、目先を揺蕩う希望の灯火に手を伸ばし、羽化を恐れない前向きさを。


 ならば、倫語もまた、全霊を以て応えるべきだ。頑なに宿った決意が、やがて形を帯びる。


「——〈告げる、王の名の下に〉」


『ホムンクルス』の一同は、金縛りに遭ったかのように、その場で静止した。動けずにいた。その圧倒的なまでの『気』にあてられて。


「〈その業を、その罪を〉」


 淡々と詠唱を紡ぐ倫語。しかし、彼の様子は、彼が発する『気』は、今までとは比べ物にならない程に凄まじいものだ。


「〈世に晒せ。そして、謳え。神々の唄を。限界を嗤え〉」


 黒く巨大な渦が、紅の雷と共に踊り狂い、星々煌めく夜空を慟哭させる。


「〈やがて民は願う……全知の、全能の顕現を、伝説の再臨を。全てこの術式に意を込めて……我、その名を示す〉」


 災厄を運ぶ狂乱の渦は、まさに龍の咆哮の如く、世界に終焉を齎さんと猛る。


「『天界術式:ヘヴンズクラウン』」


 ——神話が、降臨する。

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