EPISODE14 慟哭のニブルヘイム

 炎氷が荒れ狂い、森林世界は超常に屈してその姿を更地に変えていく。

 夜桜苺は、己の魔剣と心を通わせながら、その時を待っていた。あの時、色舞と意志を通じ合うことで得た確信。

 

 彼女は、自分が華芽梨に負けた場合のことも考慮したうえで、剣を振るっている。その万が一のこと以上に、苺がここだと思って突く不意の一閃をどこか頭の片隅で期待しているのだ。

 

 だが、あの二人の激しいせめぎ合いに、苺が介入出来る余地など無いに等しい。それだけ、二人の姫の剣戟は別次元のものだった。


 その一方で、緋心華芽梨は。


「……どうして……どうしてッ!!」

 

『ニブルヘイム』で大地を、業火を凍てつかせると共に、自身の心の内側が徐々にくらかげりに侵されていく感覚を覚えていた。


 認めたくない震え。だが決して否定しきれない。

 

 心が、既に自分を見限ってしまっているのだ。真意が、己に弱者の烙印を押してしまっているのだ。自分はどう足掻いても粋羨寺色舞には勝てない。あの『紅蓮の剣姫』を穿つことは出来ないと。


「ふざけるなッ! あたしは強くなった! 色舞……早く討たれちまえよぉぉぉッ!!」


 叫びと共に、無数の巨大なつづらを氷上から突き出し、熱波散らして上空を舞う色舞へ向かって突き上げる。


 続けて。

 経験という呪縛。蓄積された記憶という名の足枷。それらをまとめて斬り裂かんと、『ニブルヘイム』の切っ先を天に掲げ、辺りを漂う冷気を氷粒へと昇華させ、剣に纏うことで長大な剣を成し、色舞の頭上へ勢いよく振り下ろした。

  

 天地から迫る氷結の刃。並みの者なら必死の双撃。

 それを、色舞は一振りで。


(……分かってるよ……分かってるさ。あんたの強さはあたしが一番よく知っているから)


 紅蓮に猛る炎翼。刹那の炎舞の後に、それは爆炎を轟かせて氷の剣とつづらを粉微塵に消し飛ばした。


 無色透明な氷粒の粉吹雪。それは不死鳥を従える剣の姫と共に舞い散ることで、煌々と鮮やかに照り輝く。

 その様を、どこか呆然と、達観するように見上げる華芽梨。


「敵わない……越えられない……絶対的な壁……」


 呪詛のように敗北の旨を漏らす彼女を目掛けて、色舞は『フェニックス』を構えて天より襲い掛かる。


(何が足りなかったのかなぁ……)


 一生懸命努力して、周りの何倍もの時間を剣と共に過ごして。

 けれど、憧れを越える為に費やした時間が、いつしか嫉妬の篝火に薪をくべるようになっていって。


「終わりですわ……緋心華芽梨」

  

 間近に迫る炎の刃。そして彼女から向けられる『敵意』の眼差しが、華芽梨の理性を心の奥底へと沈ませていった。

 これでもう、遮るものは何もない。もっとも、それは。


 悪魔に魂を売ったあの時点で、分かり切っていたことだが。


「——『ヴォ増強リュ装置ータ』、起動」


 体内に宿る、『ナノデバイス』の亜種ともいえるチップが呼びかけに応じる。思考がクリアになり、熟睡から目覚めたばかりのように身体が軽くなる。


 時が緩慢に流れ、色舞が振りかざした刃はまだ華芽梨を捉えていない。『氷上のプリンセス』は口角をゆっくりと釣り上げ、両手を前に突き出した。


 女神が寵愛を与えるかの如く慈愛に満ちた表情と抱擁の所作。

 

 やがて、緩慢な時は常の彩りを灯していって。


「か……はぁ……っ!?」


 華芽梨の両手が、色舞の首を締め上げていた。


「きゃはっ、きゃははっ、きゃははははッ!!」


 ぎちぎちと、段々と強く手に力を込めて色舞の細い首筋を締めていく。

 

 彼女の顔は、苦悶に満ちていた。艶やかな桃色の唇の端からは唾液が零れ、紅梅色の双眸は危機を覚えて見開きながらも、しっかりと華芽梨を捉えている。

 その反応が、彼女は嬉しくて仕方が無かった。


「いいよぉ……その調子で……そんな感じでぇ……そんな具合にぃ! そのままもっとあたしを見て、あたしに恐怖して、あたしに屈服してごらん!」


 華芽梨の表情は、じわじわと狂笑に歪んでいく。

 理性というタガが外れ、嫉妬という篝火が別の欲望へと変わりゆく。


 もっと、じっくり、色舞が苦しむ顔が見たい。この手で、彼女を恐怖のどん底に陥れて、永遠に従属する奴隷にしてやりたい。

果たして、その根源にあった感情は。どうしてここまで粋羨寺色舞という女に執着していたのか、華芽梨はもう忘れてしまっていた。

 

 しかし、そんなことはどうでもいい。今はただ。


 ぎちぎち。ぎちぎち。


「あんたのその顔を見れるだけでも大の満足……ああ、でもまだ足りない……もっとあたしの崇高なる欲をみたさせなさいよぉッ!!」

 

 色舞は既に白目を向きかけている。それに伴って、華芽梨の胸の高鳴りは増していく。


「……フェ、ニック——」

「だぁめっ」


 なけなしの力を振り絞って炎を灯そうとした色舞。だがそれは、無常にも華芽梨が炎剣を氷で覆って無力化してしまう。

 華芽梨の指はさらに喉へと食い込んでいき、色舞の意識は段々と闇の中へと沈んでいく。


 色舞は、まとまらない思考の中で自嘲の渦の中にいた。


(また……こんな、無様な結果になった……)


 粋羨寺家の重責を背負いながらも、日々うつつを抜かすことなく鍛錬を重ねてきた色舞。その努力量とくぐってきた死線の数は、学生の身からは想像もつかない程に莫大なものだ。


 だが、こういった肝心な時に、不死鳥の翼は色舞を羽ばたかせてはくれない。


「……い、やだ……」


 『紅蓮の剣姫』の名で担がれて、名家の子孫というだけで羨望や嫉妬の眼差しを向けられる、人形のような人生が。


 何より、称賛と心無い言葉の間で彷徨する己の心の弱さが、嫌だ。


「あたしの……人形にしてあげる……!」


 人形。これからも、これまでと何ら変わらぬ人生を歩むのだとしたら。所有者が変わるだけの変化なら、甘んじて受け入れてしまってもいいのかもしれない。

 そう思った時。


「——一閃ッ‼」


 自分を傀儡へと染め上げていた華芽梨の腕が閃光の中に飲み込まれていった。

 反動で色舞の身体は解放され、氷の地に転がって激しく咳き込む。


「げほッ、げほッ……! 今のは……」


 涙目で閃光が走った方向を見遣れば、そこにはレイピア状の魔剣を低い姿勢で構えていた苺の姿があった。彼女は色舞と目が合って微笑むと、そのまま膝から崩れ落ちて杖をつくように剣に体重をかけた。


「苺、さん……!」


 色舞は双剣を拾って彼女のもとへ近づいていく。


「あはは……特訓の成果が出てよかったけど……やっぱり、反動凄いや」


「……ごめんなさい……。わたくしが、もっと強ければ……貴女にこんな迷惑がかかることは……」


 俯いて吐かれた色舞の言葉を受け、苺は一瞬目を見開いた直後、言い返そうとして口を開こうとした。

 だが、それと重なって狂ったような笑みが木霊する。


「泣かせるじゃなぁい。でもそれは感動ではなく、どうしようもない喜劇を観て流す憐みの涙」


 華芽梨は消し飛ばされた筈の両腕を氷の結晶で作り直し、傍らに落ちていた氷剣の破片を一つ手に取り、息を吹きかけることで元の形へと戻していく。


「他人に感情を向ける時に『建前』ってものがあるとさぁ、ものすごぉく胡散臭く聞こえなぁい? きゃはっ! あんた達はまさにそれだよ。友情という想いの贋作。友愛を模した海賊版でままごと遊びをしているに過ぎない」


「黙り、なさい……人としての心を犠牲にしてまで強さを得た貴女が、私達のことをとやかく言ったところで説得力は皆無よ」


「それでも反感を覚えてしまっているという事実……こりゃあ、どうしようもなくペテンってるわぁ」


 嗤い声が耳朶に叩きつけられる。喉の奥底から、今にも煮え滾る怒りは火を伴って吐き出されそうだ。だが、ここで反射的にムキになったところで仕方が無い。


 どこか進化したように見える華芽梨に対し、まともに戦えるのは色舞ただ一人。

ただ一人——


「……苺さん」

 

 意識せず、無意識の内に心の中で呟いていた文言。認めたくないことだ。だって、これでは、本当に華芽梨が言っていた通りだ。


「分かってるわ。私の剣術はもろ刃の剣……だから、色舞のバックアップに努める」


「ええ、そうですわね……よろしく頼みますわ」


 一対の炎翼が再び紅蓮に燃え盛る。

 『紅蓮の剣姫』はその場に熱波を残滓させ、不敵な笑みを浮かべて佇む華芽梨に向かって刃を振り下ろす。 


 しかしその瞬間、彼女のエメラルドブルーの瞳が残忍に煌めいた。


「——最高のスァパイス、思いついちゃった」


 ほんの刹那、時の流れが鈍くなった気がした。だがそれは認識した途端、徐々に色舞の身体を蝕んでいく。


 凍結。


 その言葉が脳裏をよぎった。


「そのとぉりっ! あんたは今、カッチンコッチンの氷漬けになっているのです! まあ、実際にはただ動きが凍結してるってだけなんだけどね~」


 色舞の本能が真っ先に死を予期した。

 華芽梨もまた、彼女が自分の身に起こりうるであろう絶望の数々を恐ろしい速度で予見していることを察している。


 だからこそ、次に行う行為は色舞の心を最も歪ませる手段だと、華芽梨は確信していた。


「きゃっははっ」


 冷気を置き去りにして、華芽梨は苺の背後に居た。


「——ッ!」


 一拍遅れて振り向いた瞬間、身体に鉄球が勢いよく当たったような感覚を鈍くも重い衝撃に晒され、認識した時には既に。

苺の身体は宙を舞い、凄まじい速さで大木に叩きつけられていた。


「が——は……ッ⁉」


 色舞はその光景を、凍った時の中でただ何も出来ずに見せられていた。

 苺は盛大に吐血して地面に倒れ伏せ、身体を小刻みに痙攣させている。


「きゃはっ! デリシャァス! これで歪みマシマシ! あんたの心はどんどん落ちて堕ちて墜ちていく~!」


 華芽梨は催眠術でもかけるようにして、色舞の目先で人差し指をぐるぐると縁を描く。

 耐えることの無い挑発行為が、苺への心配とは別に堪えようのない怒りを込み上げさせる。


(早く……早く助けなければ……っ!)


 悪魔に魂を売ったであろうあの女は、残虐な趣向を凝らし、手当たり次第に苺を嬲り、それを色舞に見せつけて悦楽に浸る気だ。


 それが最上の悦びであり、彼女にとっては最善の手段となり得るのだ。粋羨寺色舞にこの上無いほどの苦痛を与えたいという欲求を叶えるための。


「さあさあ、立ってごらんなさいよ。まだ抗ったり、綺麗事とかうわべだけの薄っぺらいキラキラワードを口走ったりするんでしょ? それだけの余力と気力がまだあるんでしょう⁉」


 華芽梨はゆっくりと苺の前に立ち、片手で氷剣を構え、切っ先を鈍く光らせて残虐な笑みで唇を歪める。


 色舞は止まった時の中で、苺は焦点の合わない目で、それを見つめていた。


 そして、風切り音が無慈悲に鳴り響き、何かを切断するような音が耳朶に強く届いた。


「————ぁ」


 ——血しぶきと共に、苺の左腕が宙を舞っていた。

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