EPISODE2  紅蓮の剣姫・粋羨寺色舞

 結局、倫語に言われた『きっかけに関する努力』は未だ成されないまま、五限目の授業が幕を開けた。

 クラスの委員長と副委員長が、教卓の前に立って何かの決めごとを仕切っているが、意識はそこには向いておらず。

 

 苺は溜息をつきながら、ぼんやりと正門付近の花畑を眺めていた。

 あの花々は、人に世話をしてもらって初めて咲き、虫に蜜を運んで貰って種を繁栄させるに至る。まさに、受け身の塊ではないか。

 

 それなのに、奇麗に咲いたら皆から暖かな目で見られて、大事にされる。


(いやいや。植物に嫉妬するとか、病んでるな……私)

 

 そう思わず自嘲したくなった矢先、


「——では、そうね。そこの貴女、夜桜さん。何か意見は無くて?」


 急に自分の名を呼ばれて我に返り、慌てて教卓の方を向く。


「庭園の花々を愛でるいとまがあるのだから、当然、このわたくしが考えるよりもさらによりよく『剣舞祭』を盛り上げる、素晴らしい案をお考えなのでしょう?」


 白桃色の双尾が目立つ、勝気で上品な笑みを湛える生徒。彼女の紅梅色の双眸が苺を捉えていた。

 圧をかけられている。というより、静かに彼女の顰蹙ひんしゅくを買ってしまっている。


 徐々にざわめきが生じていき、その中には「粋羨寺すいせんじ様になんて無礼を」と怒りのものがあれば、「災難ですわね」といった哀れみの声も含まれている。

 

 苺は固唾を飲み込み、


「す、すみま——申し訳ございません。もう一度、説明を頂いてもよろしいでしょうか」


 どうして同級生にまで敬語を使わなくてはいけないのだ、という不満を押さえつつ、若干の恐れと罪悪感を言葉に乗せて紡いだ。

 

 しかしそれは、粋羨寺すいせんじ色舞しきぶという、この学園においての『トップカースト』に君臨する『強い人間』を怒らせる結果を残すだけとなる。


「貴女、転入前に『魔剣都市』の情報はきちんとお聞きになりましたの? 三日後より始まる『剣舞祭』は、この蓮暁女学園、そしてエリア7『学業特区域』の表舞台。謂わば目玉、一大イベントなのですよ? それなのに、貴女は無関係を装ってのんびりとお花を愛でていると」


「別に、無関心を装っていた訳じゃ……」


「ならば、何か外を眺めなければならない特別な理由でもおありなのかしら?」


「そ、それは……」


 意図した悪意では無く、苺を悪として排除しようとする、恐ろしい程の正義心と周囲の怖気。これが、集団の頂に君臨する者が作り出す空気だ。

 しかし、それは今考えることではない。重要なのは、間違いなく非がある苺が粋羨寺色舞と皆に謝り、誠意を見せること。

 

 厳密に言えば、『見せておく』。これが通れば、余計な敵は作らずに済む。


「言い訳をするのなら、もう少しマシな言い訳をすることね。もういいわ。貴女、そのまま黙って聞いていなさい。もし今後またこのようなことがあったら、その時は容赦しませんことよ」


「……はい。すみませんでした」


 苺は、「しまった」と内心で焦燥した。

 自分から謝ることと、他人に流されて謝るとでは効能が違うのだ。


 効能。謝罪でさえ、打算的に考えてしまっている。これでは、苺に人間関係をまともに構築出来る筈が無い。


(自分に、嫌気が差す……)


 これ以上、自分のことを嫌いにさせないでくれと、誰に宛てる訳でも無く心の中で祈った。


****

 

 放課後の過ごし方は、大きく分けて四通りある。 

 部活、委員会、その他の用事での居残り、そして直帰。


 いくらここが場所不明の隔絶された都市だとしても、大会はあるし、その道のプロだっている。委員会とて、粋羨寺が言ったように、三日後に『剣舞祭』を控えている以上、どこもかしこも大忙しだろう。

 だからといって、苺の放課後が小難しい書類や小道具の準備に費やされることは無く。


 部活、委員会共に無所属な苺は、第四の選択肢を選択していた。だって、誰にも頼られてなどいないし、何を成す訳でも無いのだから。

 自分でもそれが体の良い言い訳だと知っていても尚、自分からあの輪の中に踏み込む勇気を出すという努力をすることは無かった。

だからこうして、充実した声の重奏から逃げる様にして、人工芝で出来た校庭脇を俯いて歩いている。


 この石畳と芝生の境は、越えられない境界線を示唆しているように見えた。

段差の低い階段すら自力で登れない自分に、彼女達のように声を弾ませて自由に舞うことは出来ないと。


 そして、その不安は執拗に苺を焦燥させる。

このままでは、この都市に入る前と同じ、セピア色に染まった退屈な日々の延長を過ごすだけとなってしまう。


 叫びたかった。そんな結末、少しも望んでなどいないと。


「——あら、夜桜さん。奇遇ですわね」


 代わりに悲鳴を上げそうになった。


「粋羨寺さん……」


「まあまあ、そんなに怖気づかなくてもいいではありませんか。先程はわたくしの方も言い過ぎていた節がありましたから」

 

 予想の斜め上をいく、彼女の物腰柔らかな態度。


「いえ、そんな……! そもそも、あれは私が悪かったんです。だから、あの場では怒られて当然……」


「この世界に身を置く以上、納得のいかない物事があれば、全て剣を交えて振り払えというしきたりがありますの。そして今、わたくしは剣を握ってはいない。これが貴女との確執を生むことを望んでいないという、何よりの証明になりますわ」


 剣を握る以外での出来事は、ほんの些末なものとしてしか見られない。それがこの都市での暗黙の了解だと知らされ、苺は背筋が凍りつくような感覚を覚えていた。

 

 つい一週間程前まで、自分はごく普通のありふれた日常の中に生きる、ごく普通の女子高生だったのだ。それが今、実力主義、剣戟主体の魔境に放り込まれている。


 本当に生きていけるのか。転入時にあった不安は、今この瞬間、さらに跳ね上がったのだった。


「ところで貴女、部活動や委員会に入ろうとは思っておりませんの?」


 痛いところを突かれた。大勢の人間の上に立つ人間は、人の心を読む慧眼も兼ね備えているらしい。

 そして、感心と共に浮かんだのは、好奇にも似た疑問。


 倫語が言っていた『きっかけ』は、たった今、成された。だとしたら、頼ってみればいい。


「丁度、迷っていたところでした。あの、よければ紹介してくれませんか? 粋羨寺さんがおすすめする部活や委員会を」


「おすすめ、ね……」


 粋羨寺は、思案げに視線を宙へ投げて答えた。


「それなら好都合。貴女のその頼み、私が貴女に向ける頼みと過程が一致していてよ」


「え、頼み……?」


「そう、頼み。拒否権はあるし、非難したところで誰も咎めはしない。けれど、この都市で生きる者は皆、この頼みに応じざるを得ない。何故ならば、そこに絶対的なプライドを持っているのだから」


 聞くだけでは意味不明な文言。しかし、苺はすぐに直感した。

 粋羨寺が手を這わした先は、腰に着けられた剣の柄。鞘に内包された魔剣だ。

 そして、苺もまた、さも当然とでも言わんばかりに腰に着けられている魔剣に、ようやく気が付く。


 染まっている。この異常な世界に、染まり始めている。


「打ち合い致しましょう? わたくしが勝てば、貴女はこの先の学園生活にて、わたくしを敬いなさい。貴女が勝てば、貴女の頼みを聞いてあげますわ。これだけだと釣り合いは取れないから、『剣姫』の名を冠することも許可します」


「ちょっと待って! 何がどうしてそうなるの? 私はただ、部活か委員会を紹介して欲しいって頼んだだけで——」


「だからこそ、ですわ。わたくしはまだ貴女のことを殆ど知らない。だから、貴女に合う部活動や委員会も考えようが無い。それに、わたくしが貴女にわたくしの貴重な時間を割く道理もまた見当らない……勿論、現状では、ですけれどね」


「つまり、お願い事を通すには、いちいち勝負しなきゃならないってこと?」


「そういうことですわ。まあ、新参者の力量も把握しておきたいという好奇心もゼロで無いとは言い切れませんが」


 今さっき聞かされた暗黙の了解。それが今、早速現実のものとなってしまっていた。


 今までの日常であれば、等価交換で済んでいた事々。それがこの『魔剣都市』では、剣の切っ先同士を突き合わせて、初めてテーブルを挟めるのだ。


 その事実を、動揺しつつも既に理解してしまっているあたり、苺も決して、この都市が狂っていると言い捨てられないところまで染まってきていた。


「……分かりました。その勝負、受けて立ちます」


 意を決した苺は、鞄を地面に降ろして腰の鞘からレイピア状の魔剣を抜き、構える。


「あら、案外飲み込みがお早いことで」


 粋羨寺も漆黒に彩られた小型の双剣を取り出して構え、鋭く細めた双眸で苺を真っ向から射抜く。


 粋羨寺色舞。蓮暁女学園に留まらず、『魔剣都市』においてその名を知らぬ者は居ないとされる、別名『紅蓮の剣姫』。

 対して、苺は全くの未知であり、この一週間、まともに剣を振るってさえいないビギナー中のビギナー。


 勝率の天秤が垂直に傾きそうになるぐらいに分が悪いこの勝負。しかし、保身のために負けることは赦されない。


「……勝敗の判断基準を、教えてください」


「いいことよ。判断基準は——」


 粋羨寺が不敵に笑ったその瞬間。


「——勿論、首チョンパした方が勝ち……ダロ?」


 黒いローブに身を包んだ男が、苺と粋羨寺の間に降り立ち、紫紺に光る剣を振るっていた。


「う——⁉」


 直後、黒紫色の霧が周囲に蔓延し、苺は咄嗟に両腕を交差させて己の身を庇った。その間、腕に着けていた『光子端末シールド』の画面が勝手に展開され、赤く光った。


『「叛逆マイ術士ナス災厄級ブルー」出現。レーティング:γ《ガンマ》以上の術士から対抗可能予想』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る