EPISODE1 魔剣都市
——『魔剣都市』。
場所、概要、行政、経路——それら一切、外部からの認識は不可能。
一部では、『高度な電脳世界の中にある』という説も上がっているが、その答えを知る者は居ない。
一方で、都市内の住民は、この都市に関して猜疑的な考えや思想を抱くことが殆ど無い。
何故ならば、この都市で『
ここは魔剣に魅入られ、魔剣を振るうことでしか己を誇示出来ず、生かすことが出来ないディストピア。死と隣り合わせの魔境なのだ。
そして、そんな世界に放り込まれてしまった無垢な少女が一人。
頭から蒸気を沸かせて怒りに顔を染め上げながら、廊下をズカズカと早歩きしていた。
純白のブラウスに黒のコルセットスカートの組み合わせは、木造中心のレトロな校舎と相まって、さながら西洋貴族の淑女を思わせた。
だが、赤髪を逆立たせ、鬼神のような形相で廊下を闊歩している苺を傍目から見れば、どちらかと言えば『西洋ファンタジーの世界からやってきた血の気の多い女の子』という見方の方がしっくりとくるだろう。
ともあれ、苺はある部屋の扉の前に立つと、ノックすることも無く扉を勢いよく開けて入ったのだった。
「糸義先生! さっさと私をこの都市から出しやがれコラァッ!」
乱暴に扉を開けられると同時に怒号が飛んで来たら、普通は肩を震わせるだろう。
しかし、部屋の中で悠然と足を組んで椅子に座っていた白髪の美丈夫は、寧ろ穏やかな笑みを浮かべて苺のことを迎え入れた。
彼は着崩していた白衣の襟を直し、夕焼け色の双眸で苺を見遣る。その拍子に、中に着ている灰色のワイシャツが見え、さらにその下には、苺の知らないアニメのキャラクター二名がデザインされたTシャツが垣間見えた。
「やあ、あの怒りのオーラ、やっぱり君のだったか。で、どうかな? この『
苺は「はあ~っ」とため息を吐き、
「肩身が狭すぎるにも程がありますよ。なんたってこんな時代錯誤も甚だしいお嬢様学校に、平民の私なんかを転入させたりしたんですか」
傍らに置いてあるベッドにドスンと座ってそう嘆いた苺に対し、倫語は「それはねえ……」と指を鳴らし、
「僕がここの『メンタルカウンセラー』だからさっ」
「それがどうしてなのかって聞いてるんですが⁉」
この飄々とした、どことなく人格破綻者の匂いが漂う男を専門のカウンセラーにするなど、この学園も大層なモノ好きだ。
「まあ、それは置いておくとして……何か悩みがあるように見えるのは、僕の気のせいかい?」
急に真面目な顔つきに豹変した彼に、苺はペースを乱されたことにまた苛立ちを覚えつつ、俯いて親指同士を弄りながら答える。
「上手く馴染めないんです。この学園に、そしてクラスに」
「それは単に友達が出来ないから? それとも、この『魔剣都市』独自のカリキュラムが大変だから、とか?」
「全部ですよ! ぜ・ん・ぶ!」
図星を付かれて自棄になった苺は怒鳴った。だがカウンセラーは「ふむふむ」と顎に手を添えて頷き、
「そして何よりも困っているのが、転入して一週間も経つのに、まだ一人も友達と呼べる相手が出来ていないことなのだね」
「勝手に人の心読まないで下さいよ……」
糸義倫語の憎たらしくて気味が悪いところは、人の心をピンポイントに読んでくるところだ。
この学園に転入した当日から、毎日のようにかれのもとに通っては悩みを暴かれ、何だかんだ解決に導いてもらっている。
しかし、それはあくまで彼の力を借りたに過ぎないのではないだろうか——というのが、苺の曲がったプライドが出した答え。せめて、人間関係だけは自力で何とかしたいと思っていたが、今日になって限界が来たのだ。
「色んな人間を視てきた僕から言わせてもらうと、こればかりは、君が自分から動くしかないね」
真面目な表情でそう言った倫語に、苺は「やっぱりそうですか……」と、落胆を隠さずに項垂れる。
自分から堂々と動けていれば、こんなに苦労することは無い。だが、その嘆きの奥底にあるのは、『一歩踏み出す勇気』を沼の奥底へと封じ込めている、『過去の呪縛』だ。
いつだって無意識に思い出すのは、調和のとれた輪から外れて机や本と向かい合う自分の姿。
「……簡単な筈、無いじゃないですか。こんな訳の分からない世界で、慣れない学校で、勇気を出すなんてこと……」
「でも、君はこの命題を解決したがっている。厳しいことを言うようだけれど、自分の望みをノーリスクで叶えられるなんていうムシのいい話はそうそう無いんだよ」
倫語が放った言葉が、苺の心に鋭い痛みを与えていく。
「でも、じゃあ、どうしろって言うんですか」
「『きっかけ』を作る努力をすればいい」
「……きっかけ?」
倫語は「そう、きっかけ」と繰り返し、ベッドに腰掛ける苺の前に屈むと、柔和な笑みを浮かべて続けた。
「わざと消しゴムを落とすでもよし。プリントを回す時、もしくは班活動の時でもよし。何かきっかけがあれば、人間、自然と初めの一歩を踏み出せるように出来ているんだ」
「そんなもんですかね……?」
「まあ何にせよ、永遠に受け身のままじゃあ前には進めないさ。だから、まずはきっかけを作る努力……そしてそれを見つける努力。この両方を日々心掛けてチャレンジしてみなさい。それでもダメそうだったら、また僕のところへ来ればいい。今度は美味しいレモンティーでも淹れて待ってるから」
そう言って、倫語は片目を瞑って微笑んだ。
苺は俯いて「分かりました……」と口ごもり、
「やってみます」
と、毅然とした表情で決意を示し、ベッドから勢いよく立ち上がると、素早く礼をして一足早に部屋を出て行った。
そんな彼女を見送った倫語は、軽く伸びをすると、
「で? 君も何か御悩み事でもあるのかな?」
じとっとした流し目を隣のベッドに向け、カーテンの向こうへ問いかけた。
そこから少しの間があって、カーテンが控えめに開く。
「よく分かったわね。流石、世界で唯一の魔術師さん」
茶化すような称賛と共に姿を現したのは、波打った甘栗色の長髪を揺らし、紫色のニットで主張された豊満な胸の下で腕を組む、どことなく妖艶な気を漂わせる美女だった。
「その勝手に決めた二つ名を校内で呼ぶのは止めて下さいって、毎回言ってるよね。天才『魔剣学者』の
「あらやだ、貴女のその端正なお顔、剣術書で挟んでめちゃんこにするわよ?」
物騒なレスポンスで応じた淑女は、そのままベッドから出て水色のロングスカートに付いた皺を直す。
逆に倫語は眉間に皺を寄せて腕を組み、真文の動向を窺っている。
当の彼女は顔を上げて色めかしく微笑むと、「なぁに? お姉さんに尋常じゃない程の母性を感じてしまったのかな?」
「少なくとも、君には一生向けることの無いものだろうね、それは。それに、内面の歳だけ見れば、明らかに君よりも僕の方が圧倒的に長く生きているのだということを、君はよく知っているだろう」
「あっはっはっ! それもそうだわね!」
あくまで軽薄な相好を崩さない真文。倫語は煙たがる態度を取っているが、彼女は倫語が信頼する数少ない仲間であり、友である。一応、と彼は付け足しているが。
「とまあ、前置きは置いといて。本題に入ろうか」
再び席に座り直して『仕事モード』に切り替わった倫語に対し、真文もまた不敵に微笑んで右手の指を二本立てた。
「質問と報告があるわ」
「質問から聞こう」
真文は頷き、
「あの子……私が受け持つクラスに貴女が転入させた、夜桜苺ちゃん。私の『
「イレギュラー?」
「ええ。魔剣に選ばれたのは、秘めていた才能や強靭なまでの精神といったありふれた理由ではなく、『魔術因子の残滓』が原因かもしれないって」
それを聞いた瞬間、倫語は目を見開いて動揺した。その様子を、真文もきちんと目にしていた。
今二人の脳内に共通して居座っている単語はただ一つ。
——『魔術』。現状、糸義倫語の体内でしか存在してはならない、負の遺産。
「……報告の方は、それに関係あることかい?」
「そうね。無いとは言い切れないわ」
真文は、残った人差し指で手首に巻き付けているブレスレットに触れ、凝縮された光子を展開させる。次第にそれは、手首から指先までの大きさを持つ長方形の形を帯び、碧色の画面を出現させた。
これが『魔剣都市』の住民全員が着用を義務付けられている、『シールド』である。
そして真文が示したのは、画面内で光っている赤い点の群れ。倫語がそれを認めると同時、真文は彼を真っ向から射抜いて言った。
「『マイナス』による犯罪が各地で多発しているの。それも、いつもあの『剣星団』が後手に回る状態で」
倫語は微かに目を細め、「それはまた珍しいな……」と、低い声で呟いた。
「この赤い斑点は、苺ちゃんがこの都市に入って丁度一週間が経つまでに起きた『マイナス』達による事件が起きたエリアを示しているの。どれも『
「『マイナス』が被害者に放っていた質問と、彼らを手繰っていた者が居たという事実か」
顎に手を当てて思案する倫語に、真文は「そう」と頷き、
「『魔術師の生き残りを知らないか』という、陳腐で馬鹿げた質問に関する究明が、『剣星団』と『魔剣学者』の間で飛び交うようになった」
「なるほど。だから風間君も、最近僕に冷たかったのかな。彼らにとっては多忙を極める原因である『魔術』を宿す僕が目障りに見えるから……」
「それはただ単に、貴女が鬱陶しいだけなんじゃないかしら」
珍しく苦笑した真文を他所に、倫語は「よし」と指を鳴らし、
「そうと決まれば尚更、僕はすぐにでも動く。この街で悪さしてる奴らを放っておけないのも勿論だが、生徒が危険に晒される恐れがあるというのなら猶のこと、僕が動かない訳にはいかない」
「本音を言ったらどうなの? 『影の戦争』の余波をこれ以上広げないようにするために、魔剣を狩るっていう不動の理由をさ」
その言葉に、白衣を脱ぎ捨てたカウンセラーは振り向き、
「やっぱり、君が友人で良かったよ」
ふてぶてしい笑みを浮かべてそう答えたのだった。
そして、男は動き出す。
「あ、ところで、格好よくキメたところ悪いんだけど、そのシャツの中に着てる萌え萌えしいデザインのシャツは何?」
突如として差された水。しかし倫語は気にせず、寧ろ満面の笑顔で振り向いて「よくぞ聞いてくれた!」と説明直前のお決まり文句を放った。
「これは今期イチオシにして、僕が観てきたアニメ史上トップ5に入る程に尊く神々しい至高の百合アニメ——『散華の果てに返り咲く』の主人公と、そのメインヒロインのトゥーショットなのだッ」
倫語は勢いよく黒いシャツのボタンを外し、二人の少女が手を取り合って恥じらいながらも向かい合っている絵が施されている、俗に言う痛Tシャツを晒す。
「あらら、ヘンなスイッチ入っちゃったよ」
全身で激しくキレッキレなポーズを決めていく中で、倫語の舌はさらに加速する。
「中でもッ! 目を向けるべきポゥイィントは、お花を能力として咲かせるという斬新なアイディィーアッ! 先の読めない残酷でありながらも美しいデュァアァクなシナリオォオッ! そして、この作品には主人公とその親友を始めとした、数々のカップリングが——」
そこで、盛大に空気を読んだチャイムが、お昼休み終了を知らせる旨を鳴らした。
派手なポーズで停止した倫語に、色舞は「はよ行け」と下に指した親指を笑顔で向けて促すのだった。
倫語は「ふっ」と窓の方に向き直り、
「では、行ってくるよ」
ボタンを閉め直してそう言い残すと、その場に残像を残して外へと出て行った。
今度こそ、男は動き出す。
生徒を守るために。そして、自らが掲げた目的のために。
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