剣戟のディストピア

アオピーナ

EPISODE0  剣の雨


 その日、東京に剣の雨が降り注いだ。

 

 多様に光るそれらは、瞬く間にビル群と喧噪の真っ只中に突き刺さっていき、数多の人々を貫いて血しぶきの噴水を吹かせた。

 しかし、中には死に絶える以外の道を歩む者も居た。

 その者は、身体を穿った剣を手に持ち、何かに囚われているように、超常的な現象を引き起こした。

 

 その数は、血に塗れた骸に比べれば少ない方ではあるが、東京全体を見渡せば、小さな町一つに住んでいる人の数と同じくらい散見された。

 

誰もが予測出来ず、理解も説明も出来ない災厄の最中。

 もはや世界で唯一の魔術師となっていた糸義倫語いとぎりんごだけが、無常に降り注ぐ剣の雨について語ることが出来た。

 あくまで仮説の範疇でしかないが、決して無いとは言い切れない最悪の現実。

 

 ——『影の戦争』は、まだ終わってなどいなかった。

 

 倫語の脳裏を過った解は、その一言だった。

 やがて、無数に降り注ぐ剣の一つが、倫語の身体を穿った。

 彼は、沈みゆく意識の中で、一つの決意に火を灯した。

 

 ——僕は再び、変革の剣を振るう。

 

 それが役目。それこそが、最愛の主から託された役割。

 だから、糸義倫語は。

 

 世界で唯一の魔術師は、世界を救済するという目的のために、再び絶望と翳りが渦巻く戦禍へと舞い戻る。

 

 その、決意という名の剣の切っ先を煌めかせて——。


****


 半世紀程前に、東京二十三区に『剣の雨』が降り注いだ超常現象は、今や歴史の教科書では見かけないことは無いほどこの国に浸透し、伝説となっていた。

 

 当然、当時の出来事に触れれば、かの災厄について掘り下げざるを得なくなり、それは生粋のマニアである日本史担当の教師の饒舌にさらなる油を注ぐ羽目となった。

 

 故に、夜桜苺よざくらいちごの睡魔という淡く心地良い火にも油を注ぐこととなり、その結果、日が赤く染まり、カラスがけたましく乱舞するような時間帯まで、崇高を自称する演説に長々と付き合わされたのである。

 

 苺は溜息を吐くと共に夕焼けの如く真っ赤に染まった長髪を払い、切り揃えられた前髪の下で光る銀縁の眼鏡を、人差し指の第一関節でクイッと押し上げた。


 すると、黄色い双眸が嫌悪と共に細められ、児童公園の入り口でタムロしている男子中学生の集団に向いた。だが、苺の意識を惹きつけているのは、みっともなく下品な奇声を上げている彼らではなく、彼らが順番に必死こいて引き抜こうとしている『剣』だった。


 黒い柄に、まるで裁縫で使う針の如く細い刀身を持った、所謂レイピアのような剣。

 あれが恐らく、今や、生きる伝説ならぬ刺さる伝説となって教科書に居座っている『魔剣』と呼ばれるものだ。

 

 苺は、その魔剣の方にゆっくりと歩いていく。

 別に、魔剣に興味があるだとか、魔剣を引き抜いて『魔剣都市』だなんて胡散臭い場所に行ってみたい訳ではない。

 

 ただ単純に、『むしゃくしゃしていたから』。その一言に尽きる。


 ——魔剣というのは、苺の貴重な放課後の時間を害してまで尊ぶものなのか。

 

 ——魔剣というのは、いい年した大人のくすんだ瞳に、子供が持つ無邪気な輝きを灯す程にロマン溢れるものなのか。


 ——魔剣というのは、本当に『特別な人間』を選定するのか。

 もし、仮に、スロットで7が三つ並ぶ以上の狭き確率で、苺があの魔剣を引き抜くことが出来たなら。

 

 その時は、この無色透明にも等しいマンネリ化した退屈な日常に、鮮やかな色彩を灯してくれるのだろうか。

 そんな、願望にも近い感情が、苺を地に突き刺さる魔剣へと引き寄せた。

 

 気が付けば、男子中学生達は剣から離れて帰路へと戻っていた。きっと、苺の眼鏡の奥で鈍く光る瞳に、ただならぬ何かを感じたのだろう。


「……結局、こんなの、迷信に決まってる」


 小さく漏れ出た呟きは、無駄にうるさいバイクのエンジン音によって掻き消されていた。

 上空では、カラスの群れが苺を見下ろして嘲笑うように鳴いている。

 

 だが、苺にとって、嘲笑と悪意を向けられることは常の事だ。


 何者かになりたかった。けれど自分には何も無い。だから、人一倍机に向かってペンを動かした。だけど、周りはそれを可笑しいと後ろ指を指しておしゃべりのネタにする。


 苺は、叫びたかった。

 自分を影で罵る有象無象になんかなりなくない。だから、自分に絶対なる『意味』をくれ、と。大勢の人間と差別化できる、オンリーワンの何かをくれと。


 その心の底からの叫びが、業が、苺の指先を魔剣の柄に引き寄せた。

 苺は肩にかけていた鞄を地面に置き、両手で柄を強く握り締めて大きく深呼吸をした。


 瞑目、そして。


「特別に、してよ」


 力強く目を見開いて。


「私を……特別にしてみなさいよ!」


 腹の底から願いの言の葉をぶちまけ、両の脚、そして柄に全身全霊の力を込める。

 その最中、苺は既に確信していた。


 分かっている。都合の良いことなど、そうそう都合良く起こる筈が無いと。

 急に四肢から力が抜け、羞恥とも義憤ともいえる感情が頬を紅潮させた。

苺はさっさと鞄を肩に掛け直し、その場を後にしようと帰路に踵を返そうとした。


 だが、その時。


「……え?」


 いつの間にか、右手にあの魔剣を握っていたのだ。

 意識する間も無く、認識する間も無く。


「な、に……どういうこと……?」


 熱を帯びた悪寒が背筋を駆け抜け、冷や汗が溢れ出て止まらない。

 願いが叶った——そうやって素直に受け取れる程、苺の肝は据わっていない。


「い、や……! 離れてッ!」

 

 不意に湧き上がった恐怖が、手の内に居座る魔剣を拒絶する。しかし、剣の柄は手から離れようとはしない。その事実が、苺をさらなる恐怖に陥れる。


 ——魔剣に魅入られたら最後、その者は『魔剣都市』に幽閉される。


 脳裏を掠めた噂話。自分とは全くの無関係だと思っていたそれが、今となっては眼前の危機として立ち塞がる。

 事実。

 事実、その危機は、形となって実現していた。


「——『剣星団:執行部隊スローンズ』、対象の保護にあたります」

 

 低い声が告げたのは、あまりに唐突で、あまりに無慈悲な結末だった。

 黒いスーツに身を包んだオールバックの男が鋭い目を光らせて、同じくスーツを着込んだ二人を連れて悠然と苺の方へ歩み寄る。


「なに……なによ、あんた達ッ!」


 苺の脚が竦んだのは、彼らが放つ『別世界』の人間が放つオーラ——ではなく、彼ら手に持つ『剣』に対してだった。


「私は『魔剣都市』にて治安維持に努める『剣星団』が一人、風間釼持かざまとうじという者だ。たった今、都市の外で『魔剣適合』の反応を察知したとの連絡が入ったので、急いで飛んで来たんだ」


 風間と名乗った男は、まるで鎌を携えた死神のように、革靴をカツン、カツンと鳴らして苺に近付く。


「魔剣、都市……⁉ だったら、尚更来ないで! そんな得体の知れない場所でこれからの人生を過ごすなんて、まっぴらごめんよ!」


「であれば、そのままその魔剣に操られて陽が昇らない内に死ぬか?」


 風間の目付きがより一層鋭く光る。

 彼の気迫に、苺は喉を震わせることしか出来ずにいた。


「魔剣に魅入られた者は、『魔剣都市』の中で専用のセラピーとカリキュラムを受けなければならない。さもなくば、そう長くない間に自我を持ってかれて勝手に死ぬか、人を巻き込んでさらに悲惨に死ぬかの二択を迫られる」


「でも、私はまだ、正常で——」


 そう言いかけるや否や、激しく脈打っていた苺の心臓が、不規則に轟き始めた。


「か、は……⁉」


 思わず左手で胸を押さえ、膝を落として蹲る。


「言わんこっちゃない……っ」


 風間ともう二人が苺のもとへ駆けつけ、胸ポケットから注射器のような物を取り出す。

 徐々に狭窄する視界がその様子を捉え、苺は「嫌ッ!」と叫んで後ずさりする。


「何を、するつもりなの! こんなことしたら、家族や警察が黙ってない! 勝手なことしないで!」

 

 ひとりでに暴れる心臓と霞んでいく意識に怯えながら、天を仰いで涙目を怨嗟に細める。

 運命までもが、苺を嘲笑っていた。


 この先進む未来に、きっと転機など訪れることは無いのだろう。己の醜い業に唆されて魔剣なんかを抜いてしまうから、その見返りが間髪入れずに訪れたのだ。


「だ、いきらい……」

 

 こんな、報われず、自分を否定して仲間外れにするこの世界なんて。


「……だいっきらい……!」


 胸底から何か、形容し難い熱がせりあがってくる感覚。

 それを覚えた刹那。


「——まずいッ」


 風間が焦燥を露わにすると同時、色を失った苺の瞳が風間を射抜いていた。

 魔剣に囚われた者が見せる貌。


 共に上がったのは、少女の嘆きではなく、魔剣が力を宿したことを意味する産声。

 操り人形のようにぎこちなく動いた右手は、巨大な針のような魔剣の柄を強く握り締め、切っ先に光の波動を煌めかせる。


 やがて、それが激しく瞬いた瞬間。


「——駄目だよ、風間君。魔剣を前に気を抜いちゃあ」


 真っ白いカーテンが苺を包み込んだ気がした。

 しかしよく見れば、目の前で靡いているのは布ではなく人の髪の毛で。

 温かな温もりと、心を落ち着かせる香り。それを認めると共に、魔剣の切っ先の発していた白光が、赤黒い雷光によって掻き消されていたことに気付く。


 そのまま、苺の意識は緩やかに沈んでいった。

 そんな中で、ある一つの文言を、苺は耳朶に捉えていた。


 ——糸義倫語。

 

 それがきっと、苺を包み込んでくれた者の名前なのだろう。

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