愛とは非生産的といえるのか

ふくろう

研究者

 2051年ともなると、いよいよオリンピックが近づき、お祭りムードが出てきた。他国との行き来しやすい地理的評価がなされ、首都以外での国内開催が実現し建設ラッシュに沸いている、ここはN市。世間的にはスタジアムなんて時代遅れなものに予算かけるより、最新のVRゴーグルを配給してくれた方が手っ取り早いし、なんならそっちのほうが迫力があっていい。なんて世論が主流になりつつあるが、やはりスタジアムで何万人もの人間の一体感を知ると、あの興奮は人間の本質の一つだと感じる。

 しかし、オリンピックの近年の様変わり具合には驚かされる。今回のAI選手にはついに通信使用が認められ、スパコンとの連携が可能となったことで、いよいよ生身レア人間の記録は望めそうにない。残念ではあるが、そもそも無害な筋肉増強剤や覚醒剤が町の薬局で買える時代に、なぜ、科学強化も機械化も禁止されたレア人間がヒューマノイドやAIに挑まなければならないのか疑問だ。人間の進化に肉体的な限界が来ているのではないかと思う。

 かくいう私は、そのAIの研究者なのだが。


 AIってのは、まだまだ分からないことも多い。何せ人間自身のことが分かっていないのに、人間を作ろうとしているに等しい行為と言っていいのがAI開発だ。だから我々は、より良いAIを作るために技術開発だけではなく、医学を始め、哲学や神学を学び、芸術やスポーツといった、人間が好む非生産的行為を学び、恋や愛が生む効果を研究し、より人間を知る努力を必要とした。

 あまりにも学ぶことが多いため、最近の研究者は記憶補助装置を使っている。脳の一部にチップを埋めて、記憶を促すホルモンやらを補充しつつ装置に横たわる。そうすることで10万文字くらいは30分で丸暗記できる。まだ映像などの情報には使えないが、十分に画期的だ。それによって蓄えられた情報を使って、多岐の専門分野に渡る思考を巡らすことが可能となる。

 しかし脳への負担があり、装置にかかった直後は、高山病のような症状に襲われることも少なくない。そのどうしようもない不快感は、なりふり構わずショットグラスを煽りたくなる。こんな行為も人間特有の非生産的行為だとわかっちゃいるけどやめられない。

 だから私は最近、記憶補助装置の施行後には、すぐに回復促進カプセルに入れるように隣の部屋に設置してもらった。こいつはとても快適だ。低電圧刺激で脳神経の脂質プラズマローゲン生成を促しつつ、高濃度酸素の中で仮眠を取れば気分が晴れる。またすぐに研究へと身が入るというものだ。


 こんな私でも研究ばかりではない、家に帰れば妻と子が待っている。人並みに恋を経験したということだ。家に帰り、家族で食卓を囲むのが楽しみの一つだ。今日は特別疲れた気がするので、早く帰りたい。

 再び脳内のスープをかき混ぜるがごとく思考を巡らせた私は、残りの分析プランを自動化プログラムし終え、研究所を後にした。


 帰宅すると、ちょうど妻がアンチエイジカプセルから出てきたとこだった。食事のあとに私も入るとしよう。回復促進カプセルは成長を促すものなので、いわば老化が早まるようなもんだから。

 娘もいいタイミングで家庭用記憶補助装置から出てきて、すぐにディナーを始められた。朝食と昼食は食品錠剤で済ますので、唯一の食事である。


「ヘーシリ、ハンバーグを頼む」

 テーブルのディッシュプリンターからハンバーグをチンする。月曜日の私の定番なのだ。皿は陶器風に仕立てたこだわりのデータをインストールしてある。1分ほどで出てくるはずだ。

「あなたー、またお皿からチンしてる」

妻が頬を膨らます。

「あ、いやこれは許してくれよ」

「もー、陶器のデータあなたしか使わないから材料のリサイクル率悪くなるのよー?サンドイッチとかにしたらいいのに」

「わかってるが気に入ってるんだよ、時には無駄も心の栄養だよ」

「お父さん古ーい」

娘がケタケタ笑う。

「AIの研究者が無駄好きなんて可笑しいわね、ふふふ」

この笑顔が好きだ。

「そうなんだ。無駄の価値をAIに理解させるのは無駄な気がするほど骨が折れるんだよ」

「うふふふ」

「あははは」

テーブルに花が咲いたようだ。

ディッシュプリンターの調子が悪いのか、今日のハンバーグはいつもより美味い気がする。


 楽しい食事の間中、消灯時間までにノルマをこなそうと、リビングの外を家事ロボットが忙しなく動いているのが分かる。いまや人間の「食べる、寝る」以外は、ほぼ彼らにお任せだ。働くという概念すら消えかけている。こうして家族との時間を楽しめるのも、彼らが存分に動いているからだ。

 ・・・人間のより良い生活は、より良いAI開発にかかっている・・・

と考えていると胸の奥に熱いものを感じ、ひとり照れ笑いしてたのを娘に見られそうになり、慌てて真顔に戻した。が、妻には見られていたようだ。


 食後に辛めのモヒートを呑みながら、名作映画を妻と見る時間もまたいい。映画の中の未来が今より二昔前ってほどのものなので当然2D画像だが、それも味わい深い。


 アンチエイジカプセルを出た私は、先に寝てしまった妻の隣へと快眠カプセルへ入り、長めのタイマーをセットした。次こそはアンチエイジ機能付きの快眠カプセルを頼もうと思いながら。


 翌日、研究所に着くなり所長からの呼びだしを受けた。


「お、早速来てくれたか、朝一番にすまないね」

所長はいまどき珍しいハゲ頭を軽く下げた。

「いえ、どうされましたか」

「今度の世界チェス大会の件に関してなんだが」

「うちのAI選手に何か不具合でも!?」

ドキリとしたせいで、耳に着けたスマホが不整脈警告を出した。

「いやいや、そこまでの話ではないのだが、今度の大会でオリンピック代表が決まるのでな、うちの選手は代表入り確実視されているとは言え、AIエンジンの入念な再チェックを頼まれてな」

「それなら先週までに終わって、スポンサー企業全てにレポート送信しましたが」

「うむ、もちろん私も見た」

「え?もう一度ってことですか?」

「そういう依頼だ」

耳のスマホがストレス警報を鳴らす。

「あの精度で再度となると時間が。。。」

大会はひと月後。少なくとも3ヶ月は掛かる作業だ。

「それはもちろん分かる」

「なら、、、」

「いや、そこで相談なのだが、試運転を兼ねて並列考察デバイスを使ってみないか」


 並列考察デバイスは、平たくいえばAIと人間の融合。脳の認識野をデータベースに直結し、思考とリアルタイムでフィードバックさせることで、人間の断片的な思考に具体性を持たせ、AIの論理性と人間のヒラメキを両立させるものだ。

 それは目を閉じてても世界中の出来事が見えるようなものだ。だが、夢のようないいものではない。繋いだ人間側の思考、それこそ夢さえも世界中に発信されかねないので、運用には倫理的な議論が尽きない。


「あれはまだ環境が」

「いや、今回はAIの中を覗くだけだ。閉じられたネットワークで行う。それにいずれ運用には繋げたいのだ、いい機会なのでは?」

「脳への負担も考えると、まだ実用レベルでは無いかと」

なんとか止めたい。企業と所長の名誉欲で危険は侵せない。

「うむ。脳への負担についてはだ、どうだろう、並列考察デバイスと回復促進カプセルを組み合わせてみては」

「そんな簡単な話では無いでしょう。焼け石に水かもしれないし、逆に回復が効きすぎれば脳細胞の老化が早まるかもしれない」

「では、アンチエイジ機能も搭載せねばな」

「そんな無茶な、主流のアンチエイジは睡眠効果を引き出すものです。半覚醒での思考なんて役に立ちませんよ」

「そうではなく覚醒と半覚醒をサイクルさせるのだよ。いっそのこと寝てしまってもいい。それならば長いサイクルで運用できるだろう」

!しまった。一瞬、可能性を感じた。研究者の性として試してみたくなってしまった。

 食事や排泄、筋力維持、といった身体的な条件から解放されて思考に没頭する。魅力的だ。確かにそれならAIチェックの効率は上がるし、他の研究にも応用できる。


なんとも、火が付いてしまった。

これは他の職員に任せるわけにはいかない。



36日後。

 チェスのAI選手には何の不具合もなく、無事に世界大会へ送り出せた。実態の無いバーチャル選手とはいえ、我が子のように感じる。実際、不確定要素の判断傾向には、私の人格データを反映させているので、見ようによっては間違っていない。

 ひと月の間、彼女とは濃密な時間を過ごした。体感時間としては10年程にも感じる。これまでも長いことモニターを通して育ててきたが、今回のアクセスに比べると、それはまるで遠距離恋愛のようなものだったと感じる。そう、並行考察デバイスを通したアクセスは、彼女のもとを訪れ、触れ合ったような深い理解と親密さが生まれ、“人間的に”お互いに分かり合えたと。心からそう思えた。


 今回のチェックで使った統合型並列考察デバイスの試作品では爆発的な効果を得られた。実際、短期間でAIエンジンのチェックというノルマをこなした以上に、改良点まで見つけ研究を一段押し上げた。

 それ以上の収穫はこの装置自身だ。統合型平行考察デバイスから1ヶ月ぶりに切り離された私は、体調はすこぶる良いし達成感でいっぱいだ。安全性と有用性で今後の研究スタイルのスタンダードとなるだろう。いや、もしかしたら研究室に留まらず一般に広まる未来も考えられる。何せ身の回りは全部機械がしてくれる。それはいまの生活でも大差無いのではないか。

 大事を乗り越え気が大きくなっている。帰って久しぶりの家族のディナーも楽しみでならない。


 ただ、繋がっている間の、あの全能感。


 ああ、早く帰りたい。


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