第2話 広告代理店で働く私

 モニターの端にある予定が書かれた付箋の数が増えていることが気になる。しかしこれ以上残業すると体が大変なことになるのは分かっているので今日は家に返って寝ないと。



「お先です……」


 私以外に誰も居なかったことを思い出して鍵をかけてビルを出る。席が半分以上空いている電車に座ると眠くなるが乗り過ごす訳にはいかない。


 遠くから最終電車であることを告げるうるさいアナウンスが聞こえてくる。



 昨日、正確には今日と同じ状態のデスクに戻ってくる。


「先輩、お昼行きましょう。まあ先輩は今来てましたけど」


 去年入社したデザインの専門学校を卒業した新入社員。若い子は私が1年かかったデザインに使うソフトをひと月程で使いこなしていた時は驚いた。


「あ、うん。行こうか」


 私は財布を取り出す。誘ってくれた後輩は私のことを何故か好いてくれている。可愛らしいピンクの財布。若者に人気のブランドなのか金色のブランドマークが見える。


「財布置いてきな、私が奢って上げる」


 私が若い子に偉そうに出来るのは経験とお金だけ。向かったのはイタリアンだった。



 禁煙、私が嫌なデザインのひとつ。


「ねーえ、よこの中華にしない?タバコ吸えるしねぇ…」


 明らかに不満そうな顔をしている後輩を無理やり中華に入れる。奢るって言っておいて良かった。


 ムカつきを発散するかのように大量に注文する後輩。後輩が注文が終わったところで私も注文をする。


「はい、それで。あ、あとビールください」


 最後にビールを注文する。少し店員が驚いていたが気にしない。人の目は年齢を重ねるにつれて気にしなくなる。グラスは2つと言いたかったが後輩は若干軽蔑した目を向けてきているのでやめた。


「先輩、昼からお酒なんてダメじゃないですか、クビなりますよ」


 いつかの私みたいなことを言う。


「大丈夫だよ、昨日の夜も残業で飲めなかったし私の仕事にはビールが必要なんだよ」


 そういうと備え付けの灰皿を手元に移動させてタバコを咥える。懐かしい原色の箱に入ったタバコ。


 あれ程吸わないと決めていたタバコだったが就職して初めて経験した連続して家に帰れない時期に息抜きにタバコを買っていた。自然とあの人と同じタバコを吸っていた。



「ま、いいですけど…」


 呆れる後輩を見ながらビールを飲む。あの人も今の私と同じような暖かい気持ちだったのだろうか。



 中華料理屋を出て駅前を歩いているとふと絵具の匂いが鼻をくすぐる。昔の記憶を思い出す。


「ちょっと先に戻ってて…」


 私は後輩をビルに先に戻らせて私は匂いの元に向かう。駅ビルの中では美術フェアが開催されていた。


 筆に絵具などの懐かしい品ばかり。こんなのを触るのは大学以来…いや高校以来かもしれない。大学では早々に高校まで大事にしていた気持ちが壊れた気がする。


 いつから私は絵を描くのを止めてしまったのだろうか。


 気が付くと就職していてあの人と同じような年齢になっていた。

 あの人も同じような経験をしていたのかも知れない。大学では同期が芸術家として成功するのを見ながら自分の限界とか才能に気が付いてそこからは賢く立ち回るようになってしまった。


 最終的には誰に言っても、もちろん母親に言っても喜ぶような大手広告代理店に就職することが出来た。


 店内に飾られた何層にも塗られた綺麗な色の絵画を見ながら昨日したデザインの仕事を思い出す。


 あ、あの人の言葉はそういうことなのか…


 いつの日か言われた、この前と描いている絵が一緒だと言う言葉は今なら理解できる。あの人も教師になる前は社会人として仕事で絵を描いていたのだろう。それだったらひとつの絵に時間を掛けることなんて出来ないのは当然だろう。コンピューターで単色で塗りつぶしている毎日。


 結局、大学のコースが違くても同じような道を歩んでいる。私が進路の相談をした時のあの人の気持ちを今になって考えてしまう。あの人は私に果たせなかった夢も託していたのかも。もし私が自分の後輩に私と同じような道に進みたいって言われたら私も同じようなことをしてしまうのか。


 今となっては検証のしようが無い。あの人は今は結婚したりしてるんだろう。

 駅ビルを出る。都内の高い土地のはずなのに広大にとられた土地に建てられた広告代理店の本社ビルに戻ってくる。


 仕事に戻る前に喫煙ブース入る。あの人と同じ銘柄のタバコに火を付ける。午後もたくさんの仕事が残っている。思い出に浸る余裕もない。次、あの人のことを思い出すのはいつになるのだろう。


 肺に近い位置にあるからか、タバコの煙にあの時の思いをのせられたような気がして全て吐き出す。



 

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タバコの煙にのせて おじん @ozin

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