第25話 ヤケ

「なっ!?はぁ!?」

「そ、そんな!?ま、まってください!」


 イングリットの体は反射的にヴィルヘルムをかばう様に動いた。

 イングリットは、なぜ自分がそう動いてしまったのか不思議だったが、とにかく孝太郎を止めなければならないと思った。


「どうしたイングリット?そこをどけ。さっさととどめを差さないと、ちょっとでも生きてたら治療できちまうんだろ?」

「ど、どうしてですか?どうしてあなたが殺そうとするのです!?――こ、これは私の問題です!取らないでください」


 イングリットは反射的に動いた自分に、どうにか理由付けを済ます。


「すまないが、これは俺の問題なんだ。……こいつを殺せば、ちよの足が治る」

「そ、そんなわけないでしょう!何を言ってるんですか!?」

「……ちよの足をすぐに治せると言ったやつがいる。そして俺はちよの為なら何でもする。以上だ」

「明らかに詐欺です!!嘘っぱちですそんなの!」

「そうかもな。でも……!?」


 孝太郎が話を途中で切り上げて空を見る。

 何らかが高速で空を飛び、風を切る音が三人の耳に届いた。

 

******


「きゃぁぁぁっあああぁぁぁ……!!」


 音速を超えるの空の中、ちよの叫び声は後方に置き去りにされた。


「ちよぉぉ!!もうちょいでつくから我慢してくれよな!!」


 ちよとウーはウーの魔法によって音よりも速く、ブリタンからルクスに向かっていた。

 ウーは片腕にちよを、もう片腕に車いすを持って暗闇の中を飛んでいる。


「うぅぅぅん!だいじょうぶぅぅ!」

「よし!……見えてきたぞ!――はっ!?」


 ルクスの中庭が見えて、ウーはそのスピードを緩めた。

 そして目が良いウーは三人の修羅場を見つけてしまう。

 腕から大量に血を流し、恐怖と涙で崩れたヴィルヘルム。

 その上で彼をかばうような態勢で、困惑の顔浮かべたイングリット。

 そして切っ先から血の滴る真剣を持った孝太郎。


「おいおいおいおいおい!なにがどうなってんだ!?」

「どうしたの?」

「えっ、えっと、孝太郎が人を襲ってる!」

「――へ!?なんで!?意味わかんないよ!!」

「……ホントに終末ってことなのか?――とにかく!孝太郎の近くにすぐ降りる!」


 そしてちよとウーは、三人の前に滑り込むように着陸した。


******


 ちよとウーが三人の元へたどり着いた時、星明りはまだ中庭を薄く照らしていた。

 しかしまばらになった雲たちは、その身を寄せ合って一つになろうと蠢いていた。

 中庭に降り立つと、ウーは流れるようにちよを車いすに乗せた。


「孝太郎!何やってんだ!」

「おにいちゃん!?どうして刀なんて持ってるの!?」


 そして二人そろって孝太郎に詰め寄る。


「魔王様!……良かった」

「……」


 イングリットは魔王の顔を見て胸をなでおろした。彼女は孝太郎の奇行に毒気を抜かれていた。

 しかしヴィルヘルムは、大量に血を流しすぎたのかぐったりとして動かない。

 孝太郎は迫るちよとウーを手で抑えた。


「近づくな、これに当たったら危ないだろ」


 血濡れた真剣を持ち上げて孝太郎は二人を牽制した。


「――これはな、ちよのためだ」

「……わたし?」

「そうだ。ちよ、この男を殺せば、ちよの足は、治るんだ」


 決意を込めた孝太郎のその言葉に、ちよは顔をひきつらせた。

 孝太郎の瞳はギラギラと光り、そんな妹の様子には気づいていない。


「何言ってんだおちつけ!……邪神を倒せばちよの足は治るんだ!」

「――それはだ!?になるんだよ!?」

「――っ!?」


 ギラついた孝太郎の瞳と、発した言葉が鋭い錐となってウーに突き刺さり、彼女はそれ以上動けなくなってしまった。

 そして孝太郎は雪崩のように、自分の思いを吐き出していく。


「……1000年倒せなかった化け物を倒すのはいつになる?邪神を倒したときに俺たちはこの世界に生きているのか?何より――」

「――1000年追い込まれ続けた世界のどこに勝ち目がある?今にも滅ぼされそうな世界のどこに勝機がある!?」


 ウーはそれに、何も答えられない。

 むしろ彼女は、今まさに、世界が邪神に呑み込まれ滅びそうなことを知って、それでちよを連れてここに来たのだ。

 孝太郎とちよを、最後に会わせるために。残りの時間を二人でいられるように。

 そして自分は、最後まで抵抗を続けて死ぬつもりなのだから。

 もう彼女は、のだから。


「勝手なことばっか言いやがって!……俺はな、足が動かなくなったちよを見てきたんだ。誰よりも、近くで、誰よりも、長く!泣いて泣いて泣いて、泣き叫んでは泣き疲れて眠りにつくちよを、俺は、……俺は、


 息が荒くなり、手が震える。孝太郎はちよへの思いによってガチガチに塗り固められた自分の殻が、破れていくのを感じた。


「……俺は、俺はダメな兄なんだ。ちよのためにと、すること言うこと、全部空回りする。あの日だってそうだ。俺がちよを誘って街になんて行かなけりゃ、しっかり周りに気を配っていれば、あの車に轢かれそうになることもないし、お前の誘いに乗ることもなかった――」

「――そんな俺でも、やっとちよのために、自信をもってやれることができた。俺は、ちよの足を治して、この世界のすべてから逃げて生きていく!いつ終わるか分からない邪神討伐をめざすよりよっぽど幸せだ!」


 真剣を持つ手が震え、それを抑える手も震える。

 それでもハッキリと孝太郎は決意を口にした。


「俺は何もおかしくなっちゃいない。ここに来た時にお前に宣言した通りだ。俺は……俺は、生きるためにこっちに来たんだ、ちよと……唯一の妹と、生きて暮らすためにこっちに来たんだ!そして――」

「――ちよの足が治るなら、それが叶うなら、命を懸ける!!俺はちよの為なら、できる!」


 自分に言い聞かすように孝太郎は叫び、震える手で真剣を持ち直した。


「ちよのために!俺はこの男を殺す!殺して!ニンフェットに、……ユーにちよの足を治してもらうんだ!!」

「っ!!まて孝太郎!!」


 それまで黙って孝太郎の話を聞いていたウーが、その言葉に反応した。


「お前、やっぱりユーに言われてこんなことしてんだな?……はっきり言うぞ、ちよの足を治すにはが必要なんだ。いくらユーでも一人じゃちよの足を治せねーよ……分かったらさっさと、」

「――お前はちよに工房を見せてないそうじゃないか」


 孝太郎がすかさずウーに言い返した。

 ウーの肩が跳ねあがり、そしてまた彼女は黙りこくるしかなかった。


「ユーから聞いたぞ。……ちよ、100万人分の魔力って、つまり何か分かるか?」

「……わかんないよ」

「お兄ちゃんが教えてやろう。それは、だ。魔人は人間の血液を使って魔法を行使できる。そんな大事な事を、ウーはちよに言わずにいたんだ。――そしてウー。お前はその血液のために、イサミにルクスの拡大を指示したな」


 誰も何も答えず、孝太郎は震えを抑えながら話を続ける。


「すべてユーが教えてくれた。――お前は邪神討伐のために、魔力の充実のために、イサミと共にルクスの拡大を画策した。ルクスのシステム、血税を受け入れてくれる人間を増やすために、25年間、努力を続けたんだろう。――」

「――その結果がこれだ。お前らはした。ルクスは滅びかけ、イサミは死んだ。……だから俺たちをこの世界に呼んだ。同じことを俺たちにもやれと言うんだろう?――」

「――それも、今度はやり方を強引にしてな。聞けばイサミはこの世界でとてつもない人気があったそうだが、そんな男でも血税に賛同してくれる人や国を増やすのは困難だった。だからお前はこの世界を救うために、俺たちにこの世界を支配しろと言いたい。そうだろう?……お前が言った世界を救ってくれってのは、つまりってことなんだろ?」


 邪神に対抗する魔人の力、魔力の源、それは血液。

 その血液を分けてくれる人間を増やして、邪神を押し返そうというのがウーとイサミの狙いだった。今の魔人は邪神とまともに戦えないほど、血液が足りなかったのだ。

 幸か不幸か17年前の“星落とし”の大出現で、イサミは世界中を巡ることとなり、世界の興味と関心を引くことができた。

 ルクスの人口、そして同盟国を増やしていくことで、平和的に血税システムを広げようとしたが、失敗した。

 その理由は数多くあるのだが、血液を渡すことへの生理的嫌悪感が大きな一因であることは間違いなかった。


「っ……あぁそうだよ。……魔人は、契約によって人間社会に直接関与できないから、孝太郎たち異世界人にやってもらうしかないんだ。――」

「――人間の世界がまとまれば、各地に散らばってる対“星落とし”の人員もブリタンに呼べる。血税システムが広がれば、魔人はまた。……人間の血を、魔力を、集められる。――」

「――イサミは犠牲を伴わない平和的な連合を目指して失敗した。あの、イサミが、失敗したんだ。うちは、あいつを信じてた。けどダメだった。……それならもう、強引にでもやるしかなかったんだ。イングリットとヴィルヘルムの結婚に合わせて、次の協力者は敵の多いと思ってた。アーリアの一部に血税システムが広がることで魔力に余裕ができるし。それに協力者は敵を殺さずとも無力化させるだけでいい。ルクスとアーリアが勝って、負けた国が血税システムを受け入れてくれればケガは治せるしな――」

「――それでも、人と人との戦争だから死者は出る。けど、それでも、世界のために。少しの犠牲の上に、世界は救われるんだ。……そんなこと考えてた」


 魔人は無理やり『』はと考えるものたちだ。

 だからこのウーの考えは他の魔人と比べ、かなり過激だった。それだけ彼女は邪神に


「世界を救うために世界を支配しろだなんて、ホントにみたいだな、ウー。……ちよ、聞いただろう。こいつらは人間から血を奪って、それを使って魔法を行使する、悪魔なんだよ」

「……」


 話を最後まで聞いたちよが、黙って車いすを漕いで孝太郎の元へ向かう。

 ウーはちよに嫌われたと思った。まだ工房を見せたわけではないが、魔人が人の血を使う話はちよに黙っていたから。

 しかし、兄妹が一緒になって良かったと思った。この最後の時に、二人が一緒でないのは悲しすぎた。

 そして、世界の終わりが近いことを兄妹に伝えようと、口を開いたその時だった。


「っ……!?」

「ばか」


 乾いた音が夜に響いて、ちよが孝太郎の頬を叩いていた。

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