第23話 可憐な恋、孤高へのあこがれ
毎日着ている袴と、握っている真剣の柄。イングリットは真剣を握る腕を抑えるように、空いた方の手で袴の袖を掴む。
ぬらりと暗闇に怪しく光を受けて、彼女はその切っ先をヴィルヘルムに向けた。
「ふぅ……。ヴィル、あなたのことは兄として、慕っていました。こうしてここで、あなたの話を聞くまで、悩みました。ほんとうに。決めかねていた」
ギラつく切っ先を突き付けられ、ヴィルヘルムは静寂に自身の心臓の音を聞いた。
「っ……。イングリット!何度も言うが僕は、海軍を動かさなかっただけだ!イサミが死んだことは、僕には関係ない!!」
「……間接的に死の原因を作ったのはあなたです。私はあなたに復讐せずにはいられない」
「こっ、ここで僕を殺して何になる!?――ルクスとアーリアで戦争になるぞ!!」
――済んだことは、取り返せない……。
ナジャが送ったイングリットへのメッセージは、確かに彼女の心に残っていた。
「……人は、いつまでも、そのまま幸福でいられるわけじゃない」
――突然に、下肢を失うこともある。
「何の話だイングリット!?」
「起きたことを……受け容れて、今を、受け容れて、前に進むことができれば……。時間は、悲しみを洗い流し、人は、良く生きていける。のでしょうね――」
イングリットが最近出会った足を失った少女は、その悲劇を受け容れて、力強く生きていた。
「――でも、私には、無理です。とても、受け容れられない」
イサミの死が、父の死が、そしてこの身を目の前のこの男に明け渡すことが。
たとえそれがルクスを滅ぼす道であっても、受け容れられない。
「イサミと父が守ろうとしたルクスを、守ろうと、今まで、頑張って、耐えてきました。日々湧き上がる民衆の不満にも、襲い来る邪神にも……あなたとのキスも、会話も、あの花を手折ったことも!けど――」
「――限界です!!私は!!これから先、絶望の中で生きていくなんて無理!!希望なんて!見つけられません!!」
――信じた人の、名誉を取り返すこともできず、いつまでも、作った笑顔を貼り付けて生きていくなんて、私には、無理です。私は、そんなに強くない。
――ちよちゃんは、過去を取り返せるかもしれない。足を治せるかもしれない。でも、私は?私の取り返したいものは?
――『好きって気持ちにウソついちゃ後悔するんじゃないかって、わたし思うよ』
――ありがとう。ちよちゃん。私、ワガママに生きます。
真剣を両手に強く握り直し、涙で顔をぐちゃぐちゃにしたイングリットがヴィルヘルムに襲い掛かる。
――あぁ……もう、笑えません。
「キィャアアアアアアア!!」
「ひぃっ!?」
殺意を込めた剣幕に、怯んだヴィルヘルムが足をもつれさせて自らの背後に転ぶ。
振りかぶったイングリットの切っ先は、ヴィルヘルムの額を薄く切り取るに収まった。
額からだらりと流れる血が、彼の片目に入り込み、視界を赤く染め上げる。
「あっひっ!――だれか!!たすけてくれぇ!!」
ヴィルヘルムは恐怖から全身の制御を失った。
仰向けにずりずりとイングリットから離れることしかできず、助けを求めて泣き叫ぶ。
しかしその叫びは、暗闇の中に取り込まれ、誰に届くこともなかった。
「はぁ、はぁ……。もう、諦めて!!」
イングリットは再び、真剣を握る両腕を振りかぶった。
今度は外さないように、その心臓にめがけて突き入れる。
「……キアァアアアアアアア!!――」
******
イングリットが7歳の時、英雄がルクスに帰国した。
イサミという名の異世界人は、イングリットが生まれた頃に世界中で同時に出現した“星落とし”をひとつひとつ撃滅し、世界中にその名を轟かせたのだ。
各国が“星落とし”に襲われる中、さっそうと現れて倒していくその男に、世界中の人は強い関心と信頼を寄せていた。
「……はぁ」
自室で一人、イングリットは虚空を見つめていた。
――つまんないなぁ。
イングリットは広い部屋の中、純白のドレスに着飾って、何をするでもなく、ただ突っ立ってぼうっとしていた。
今日、これから異世界人が帰国し、その歓迎式を行うという話だった。
廊下からはバタバタと忙しそうな様子が聞こえてくる。使用人たちは歓迎式の準備で大変そうだ。
――遊んでって言えないなぁ。
イングリットはこの時からすでに、人に気遣いをすることができた。
王族ともあれば、いつまでも子どもらしくはいられないものだ。
「はぁ……。……笑顔の練習しよ」
しかし、あまりにも大人ではいけない。鼻についてしまう。
だから彼女は、子どもらしい笑顔だけはできるように努力していた。
イングリットは手鏡を取り出すと、口の端を引き絞って笑顔を作る。
にこっにこっと顔の筋肉をほぐすように、口の端に力を入れた。
――いけない、目元も作らないと。
笑顔は口元だけだとウソと分かりやすい。
目尻にしわを作るように、目の周りの筋肉に力を入れる。
――うん。今日もビックリするほど笑顔!
「――えーと。お嬢さん、どうしてそんな笑顔何だい?」
「ひゃっ!?」
正面から声を掛けられ、見上げると、そこには皴一つない顔に白髪交じりの髪をした、精悍な男が立っていた。
イングリットは鏡の中の自分の顔に夢中で、男が部屋に入ってきたことにまったく気付かなかった。
「……どちらさまですか?ここは一般の方は入ってはいけない場所ですよ」
歓迎式に向けて、王城の中庭から城館の一部はルクスの市民も呼び込んでいる。
英雄を一目見ようと、中庭にはすでに人々がごった返していた。
――それでも不審者にここまで侵入されるなんて、衛兵は何してるの。
「……あー、大丈夫、衛兵には許可を得てるよ。――僕は人込みが苦手でね。ついでに言うなら大勢の人の前に立つのも苦手だ。だから逃げてきたんだ」
「はぁ……?」
――……もしかして。この人が?
イングリットが考えつく前に、どたどたと廊下から走る音が聞こえて、それはそのまま二人のいる部屋に扉を開けて入ってきた。
「イサミー!どこだー!?……っと、おー!イングリット!うるさくしてごめんなー。この辺りで白髪交じりのおっさん見なかったか」
「魔王様。おひさしぶりです。……えーと」
いつの間にやら男は消えていた。
しかしイングリットの視界の端、魔王からは見えないベッドの裏に、身を縮こませて固まっている男が見えていた。
「……見てないです。不審者ですか?」
「いやー、イサミだよ。異世界人の。大きな式典が苦手らしくてさー。ありがとねー」
そして魔王は「おかしいな。この辺りにまだいるはずなんだけど……」と呟きながら部屋を出ていった。
部屋の扉が閉められ、イサミはその扉を見つめながらおっかなびっくり立ち上がる。
「やれやれ。位置が分かるというのは考え物だ。……やっと軌道に乗り出しそうで、張り切っているのはわかるんだけどね」
そう呟いて頭を掻く。そしてイングリットに向けてぺこぺこと頭を下げた。
「ふぅ……ありがとう、イングリット助かった。そして遅れてすまない。僕はイサミ。これからよろしく頼むよ。――ほんと、ありがとう」
「……はい。ふふっ」
――英雄とか言われてるけど。カワイイ人。
イングリットは、大の大人が小さい魔人に怯えて縮こまる姿が、どうにもおかしくて笑ってしまった。それでいて何度も頭を下げて感謝する、情けない大人が新鮮で楽しく思った。
「――あぁ。やっと笑ってくれたね。作り笑顔はもっと大きくなってから、大人になってから練習するといい」
「えっ?」
「君はずっと笑顔だったけど、笑ってはないよね。愛想笑いなんかはね、子どもはしなくていい」
――あー。……そっかバレてるのか。
イングリットは肩を落とす。まだまだ自分の作った笑顔は人にバレるのだと反省した。
「……でも、笑顔でいないと、私は王族なので。――私、毎日つまらないんです。退屈なんです。遊んでもらいたくても、みんなお仕事があってずっとはいられないでしょ?迷惑はかけたくないですし。――でもいつも不機嫌だと、みんな心配するでしょ?だから私は、笑顔でいないと」
会ったばかりの大人に話すようなことではなかったが、不思議とイングリットはイサミにそれを打ち明けてしまった。
イサミにはそんな、悩みを打ち明けてしまいそうな聖性ともいえる魅力があった。
「なるほど……。よし!」
「えっ?きゃあっ!?」
イサミはイングリットを一瞬で抱き上げた。
――あっ。
イングリットはイサミのその胸、腕から鍛え上げられた筋肉を感じ取り、少しの胸の高鳴りを覚えた。
「じゃあ今日はひとまず逃げてみようか!二人でここから!」
「えっちょ!?」
返事も聞かずにイサミは部屋の窓からイングリットを抱えて飛び出した。
「きゃあああああ」
「全速力で逃げるぞぉ!しっかり僕に掴まっててね!」
イサミはイングリットを両腕で胸に抱えて、王城の裏手に向けて風のように走る。
振り落とされないようにイサミの首に腕をまわして、イングリットは彼の顔と、通り過ぎるその景色を交互に見た。
晴天の下、集まった民衆がこちらに視線を集める。知らない顔が次々に流れていく。
イサミを見る。すこし汗ばんだ首筋、白い歯、そしてこちらまで楽しくなってくる無邪気な笑顔。
――この人は、なんて自由で。気持ちが良いんだろう。
「――ふふっ!あはは!」
風を切り、突き進む男の腕の中で、少女は生まれて初めて本当に笑った。
二人がそこに着いた頃、太陽はちょうど空の真ん中に輝いていた。
城塞は山の頂上付近にあるが、そこから何百メートルか離れた山の本当の頂上、その岩肌の上に二人はいた。
「うわぁ!きれい!――きゃっ」
ルクスが一望できるその場所で、イングリットはイサミの腕の中にいた。
時折強い風が吹くがイサミがビクともしないので、イングリットは安心してその腕に抱かれ、見える絶景を眺めていた。
ルクスが、そのすべてが見える。そこに生きる人が見える。
遠く輝く海岸線が、世界の果てなどないかの様に豊かにそこに在る。
「きれいだなぁ、この世界は。山も海も、それぞれの匂いをそのままに、自然の美しさを保っている。――僕はね、世界を救いたいんだ」
今は同じ景色を二人は見ていた。
「邪神を倒すんでしょう?お父様がそう言ってた――」
「――イサミならできるよ」
何の根拠もないけれど、この人ならやってしまえるとイングリットは信じた。
イングリットはそして景色から目を逸らし、イサミを見つめた。
「それはね、イングリット。――みんなでやるのさ、手伝ってくれるかい?」
そうして歯を出して笑うイサミ。その笑顔に、イングリットは完全にやられてしまっていた。
赤くなった顔を見せないために、彼の胸の中にその顔をうずめる。
「……はい」
「はっは!よし!そろそろウーも気付く!帰ってやるか――おっ」
そして王城に足を向けたイサミは、足元に咲いた一本の花を見つけた。
到底、草や花が咲きそうにない岩肌の上に、一本だけ根を張って。空を目指してまっすぐに伸びている。
その細長く伸びた茎の頂点に、半ボール状に小輪花が纏まるように咲いている。
「虹手毬じゃないか!」
「……?」
イサミはイングリットを花が見える位置まで下げた。
「――きれいな花」
「そうだろ?僕の好きな花でね。この花は、固い岩の上にも根を張って美しい花を咲かせるんだ。強いだろ。……ほんとに、虹手毬そっくりだ――」
「――そうだ!この花は、君に良く似合う」
そしてイサミはイングリットを抱きながら、手首をまわしてその花を根元から丁寧に手折った。
「君にあげる。――可憐な美、清らかな幸福、日々を豊かに。虹手毬の花言葉は、今の君に、そしてこれからの君に、きっとふさわしい。……これからは僕と、本当に笑顔でいよう」
イングリットは花を受け取った。かわいらしく身を寄せる小さな花弁たちを、とても愛おしく思う。
――この日の事を忘れない。きっとずっと。
そうして笑うイングリットは、少し照れていて、恥ずかしくて、けれど。
心の底から、笑っていた。
******
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