第20話 分水嶺

 ニッコリと笑顔のイングリットが、エントランスまで早足でやってくる。

 孝太郎はそのニコニコとした顔に潜む猛烈な怒りを感じて、イングリットのために何も言わず道を譲った。

 そして城館への扉の前、イングリットは立ち止まり振り向かずにナジャに声を掛ける。


「……ナジャさん、報告書、本当にありがとうございました」


 返事を待たずにイングリットは城館へと入っていった。

 気まずい沈黙がエントランスに残る。


「……ほっほ。さぁ、わしらも仕事がある。今日すべきを終わらせようかの」


 静けさを打ち破ったのはアンスガーだった。

 その声に応えるようにリーナは黙って城館に入る。それにアンスガーが続き、エントランスには孝太郎とナジャだけが残った。


「……私も城塞に戻ります」

「あっ!ちょっとまってくれ」


 城塞に足を向けたナジャを孝太郎は慌てて呼び止めた。


「聞きたいことがあるんだ。えーと」


 ――何から聞くかな……。

 いくつも残っている疑問の中から、ナジャに聞くべきものを抜粋していく。

 そうして彼は一つの疑問を導き出した。


「――そうだ!ウーにそっくりな女の子が昨日の夜、部屋に来たんだが……」

「――なんですって!?」


 ナジャは勢いよく振り返り、孝太郎の体を掴んでゆすり始める。


「なんで今まで黙ってたんですか!?……なにもされていませんよね!?」

「お、おちつけ。ちょっと話しただけだ!」

「ちょっと!?どんな話をしたか詳しく聞かせてください!」


 孝太郎はニンフェットとの会話をナジャに詳しく聞かせた。

 その間に片づけを終えたアンナもヴィルヘルムも、城館の中へと入っていった。




 太陽が沈もうとしている。空には雲が海となって、ただ暗く夜に近づいていく。

 孝太郎とナジャは長時間話し込んでしまっていた。


「――なんてこと。もう契約までしてしまってるなんて」

「名前を付けたことがそんなにまずかったか?聞く限り俺が生きているかどうかと、場所が分かるだけだろ?」


 孝太郎はナジャから説明を受け、自分がしたことの意味を知った。


「場所がわかるというのは困ります。あなたを白の代表から隠すことができない」

「……問題ないさ。さっきも言ったが敵意は感じなかったし、ちよのことも助けてくれたんだろ?味方かもしれない」

「あなたもちよさんも、誘惑魔法を掛けられたんですよ?二人とも効かなかったとはいえ。……死んだはずの者が魔人の理を外れて行動しているのです。信用してはいけない」

「魔人の理?」


 その意味が分からなくて孝太郎は聞き返した。


「魔人が人間に手をだすことはあり得ません。不可能なのです。私たちはそうできている。しかし彼女はちよさんを襲った市民を叩きのめした。……これは、警戒すべき事柄なのです」

「……俺にはよくわからないな」

「――とにかく急いで代表に電話しないと。ブリタンから急ぎで帰ってきてもらいましょう」


 そうして再びナジャは城塞、自分の工房に向けて歩き始めた。


「まて!俺も行く。……ちよの声が聞きたい」


 孝太郎は自分のスマホを見る。邪神を倒した後にこちらから電話できないかと通話履歴を見てみたが、非通知となっていたため電話できなかった。


「スマホから電話を掛けるのは無理です。それは受電専用ですので。……行きましょうか」




 ナジャの工房の一角に設置された珍妙な機械。

 何らかの文字が書かれた札が何百とくしゃくしゃに丸められ、球となったそれにいくつもの銅線がタコ足のように絡まっている。邪神の影響を受けないように作られた特注の通信機械だ。

 ナジャがそれに手をかざして魔力を流し込む。するとタコ足になった銅線がバラバラと開き、一枚の札に集まって淡く発光した。

 ツーツーと機械から音が鳴り、そして、


「……でない。そんな」


 ナジャが震える声でそう呟いた。

 その様子に気づいた孝太郎が、不安を胸に秘めたままナジャに話しかける。


「なにか、まずいのか?」

「……ブリタンには電話交換手がおりまして、そこから取り次いで代表へとつながります。……今はその電話交換手につながりません。つまりは、……ブリタンの通信網がパンクしている」

「……なにかヤバイことが起きてるってことか」


 ナジャは孝太郎に頷き、気持ちを落ち着かせるように深呼吸した。


「はい。……こんなことは初めてです。とりあえず文書で用件は送っておきましょう。……わたしはここで電話交換手が出るのを待ちます。孝太郎さんにも、ここにいてもらいたいのですが」

「……もちろんだ」


 焦る気持ちを抑え、孝太郎はナジャに頷いた。

 ――くそっ!ちよは無事なんだろうな!?

 ちよの身が心配で、しかしどうにもできない状況にいら立つ。

 それでも初めて工房を見た時のように、ナジャに迫るようなことはしなかった。


「――腹が減った。なにか食べ物は?」

「すみません。私が長い事引きこもっていたせいで、ちょうど切らしてまして。……ご飯とお風呂、入ってきて大丈夫ですよ。つながったら、さっきと同じように短距離通信であなたのスマホに連絡入れます」

「……わかった。行ってくる。ついでにナジャの食べ物も持ってくる」

「……ありがとうございます。お願いします」




 城塞を出ると、すでに外には夜の帳が降りていた。

 厚い雲に覆われて、今日は星の光が見えない。

 真っ暗闇の中、孝太郎は昨日見た美しい夜を思い出した。

 ――ニンフェット……ユーだったか。あいつと会った夜は、星光が暗闇を照らして、綺麗だったんだがな。

 中庭は暗く、足元が見えない。孝太郎はその中を一歩一歩確かめるように城館へと向かった。

 そして、城塞近く、倉庫の影に立つ二人の人物に気づくことはなかった。


******


「……行ったね」

「行きましたね」


 お互いの姿かたちさえ分からないような暗闇の中に、イングリットとヴィルヘルムの声が溶けて消える。

 倉庫の影で、二人は少し距離を置いて向かい合っている。


「……うれしいよ。こんな夜中に二人きりで秘密の話がしたいだなんて」


 そう言いつつ、ヴィルヘルムは警戒していた。

 わざわざこんな暗い夜に、中庭に出て二人きりで話をしようなどと、明らかに怪しかったからだ。


「……大事な話がありまして。大事な質問がありまして」


 イングリットの声色はいつものように朗らかで、しかし暗闇の中、その顔は見えない。


「これにしっかりと正直に答えていただけるのなら、今日にでも私は、ヴィルヘルム、あなたに抱かれましょう。……今ここで、すぐに、あなたの望むように犯されてもかまいません」


 ゴクリ、とヴィルヘルムは生唾を飲み込んだ。その音が静寂に響きわたり、彼は慌ててそれを誤魔化す。


「ん……おっと、ごめんね。ちょうど喉が渇いたんだ。――君が手に入るというならもちろん、正直に答えよう。さて、それは何かな?」

「――はい。なぜ父とイサミを殺したのか。お答えください」


 音のない暗闇の中で、粘りつくような風が吹く。

 きっと彼女は、深く笑っている。

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